【すべて現実で】「救われる方法」をネットのドブ川に求めるな【見つけるものだ】
「真実を教えないならネットで知るからいい」。
某坂道アイドルの歌詞にあるこの言葉。
ぼくも鬱屈していた頃は、リアルなどクソくらえだと思って、全ての答えをネットに求めていた。
生きづらさを抱えた人たちは、ネットにこもりがち。
リアルが上手くいかない、リアルでの居場所がないから、必然的にネットにすがるしかないんだよね。
ネットにはリアルでは出会えないたくさんの人がいて繋がれて、たくさんの声が聞けて。だからそこなら求めている答えがあるんじゃないか、救いを見つけられるんじゃないかって期待しちゃうんだよね。
これはすごい分かるよ。自分もそうだったから。
でもさ、ネットなんて結局はドブ川なんだよ。
肥溜めで砂金は見つけられないんだよ。
可能性があったとしても、クソにまみれて浸かったものは決して綺麗なものではないし、その前に自分自身が腐って死ぬ方が早い。
ネットで救いなんか求めない方がいい。共感なんて探さない方がいい。
SNSの肥溜めで、真実を答えを見つけようとするなよ。
馬鹿になるし、余計に病んで心が死んでいくだけだよ。
ネットで「答え探し」をするのをやめた訳
Xにて、以前ぼくのnoteを見かけたらしい人が、その記事を引用してリポストしてた事がありました。
ぼくの記事励みになったんなら良かったなあ、そう思ってその人のプロフに飛ぶと。
いわゆる生きづらい系の人で。
精神病界隈、夜職界隈のリポストをしていて。
その人が他にリポストしてたツイートのひとつがあまりにも気分悪くて、反射的にミュートブロックしてしまった。
「発達とかのヤバい奴はもう顔で分かる。一瞬で分かる。覇気というか、生気がないんだよね」
「いかにも、人生終わってるって顔」
…
うっせえわ。
てかてめえは誰だし何様だ。
経営者か何だかしらねえが、成功してんなら底辺なんか見てねえで黙って爆美女とファックしとけよ。
何も知らねえし知ろうともしねえくせに、障害を生きづらさをウエメセで語ってんじゃねえ。
そのツイート主は秒でブロックした。
そしてそのリポスト主も、ミュートして無かったことにした。
リポスト主も生きづらさでいろいろしんどそうらしい。
それは分かる。ただ、うんこだのま○こだののポストを垂れ流してて、正直気分は良いものではなかった。
その人のTLの他リポストも同様、キチガイだ産廃だなんだ、胸糞悪いものが多かった。
生きづらいはずのその人は、なぜあのようなツイートをリポストしたのだろう?
自分の存在を追いつめるツイートを、なぜあえて自分のTLに並べているのだろう?
ちょっと理解しがたかった。
下ネタは嫌いではないが汚物は嫌いだし、それ以上に関わりたくないものがあるから。
ぼくのnoteが刺さったようなら嬉しいが、どうしても不愉快を強く感じたので、自衛の為ミュートさせてもらった。
こっちは日々穏やかに過ごして創作を楽しみたいんだ。
ただでさえ綱渡りな人生の中、わざわざメンタルが壊れかねない地雷源は歩きたくない。
だから正直SNSは嫌いだ。
流れてくる発達障害精神疾患、そういった話題はほぼ全てネガティブなものなのでシャットアウトしてる。
だからぼくは自分の心を守る為に、ネットで病み垢を作ったり見たりするのはやめる事に決めている。
SNSにどっぷり浸ってネガティブな発言に囲まれてると、どんどん病んでいくし治るものも治らない。
発達障害だ精神病だHSPだ毒親だ非正規だなんだ、それについてお気持ち表明してる人たちの多いこと。
そしてそれにつく臭っせえ意見感想の多いこと。
X(旧twitter)はとくにそれが顕著。
テキストベースのSNSはもちろん、noteも同じ。
だから最近は、他者の記事もあまり見ないようにしている。
「有意義な情報があるかもしれない」と必死にネットを漁って、結果何も得られず傷ついただけで終わった事。
傷つくのがわかっているのについ見てしまって、案の定メンタルがズタズタにやられた事。
結論、SNS含めネットに救いは落ちていない。
いろいろ工夫して探しまわっても結局は苦しくなるだけで、百害あって一利なし。
それは今までの経験で分かった事。
ネット浸けによるメンタルへの悪影響
ネットというものは、どんな人間も病む仕様になっている。
どんな情報も、ネガティブも陰謀論も差別思想もエコーチェンバーでどんどん助長拡大されていく仕組みになっている。
それらを見続けると「おすすめ」として次から次へと情報が提供され、囲い込まれる仕組みになっている。
そうしてどんどんネガティブに侵食・寄生され、脳みそと精神が腐っていく。
メンタルに疾患を抱えている身であればなおさら、ネットとは常に適切な距離をとらなければいけない。
はっきり言っちゃえば、ネット空間というのは異常な環境だから。
スマホやネットの弊害について書かれた本が話題になってるように、ネット漬けは健全な脳みその成長、メンタルの安定に悪影響を及ぼす。
ネットというものは、見れば見るほど病む仕様になってるのだから、きっぱりと線引きする勇気をもとう。
デジタルデトックスが叫ばれる今、悩んでる今だからこそ、ネットから離れてリアルを向いて生きるべき。
自分の実体は現実世界にあるんだから。
前置きが長くなったけど、要は「生きづらさを解決する方法は、リアルで見つけていくしかないんよ」という事。
精神疾患の治療にあたって、医師やカウンセラーからも改めて忠告された事です。
『リアルの自分』を取り戻すにはどうすべきか
まずは、自分の精神を脅かす要素が、ネットにはたくさんあるということに気づくこと。
ネットやSNSを使ってる時に受ける、メンタルの悪化や身体へのダメージに、早目に気づけるようになること。
ネットに毒されている自分を、客観視して認めること。
ネット依存は医療機関に相談して、カウンセリングや対処療法を学んで治療していこう。
そのために心掛けるべきことは、
ぼくも重度のネット依存であると指摘され、心身の健康の為に治療を始めているところです。
ネットそのものを排除した生き方というのは、この現代社会なかなか難しいところはある。
調べものにはネットを使うし、創作活動でもSNSは楽しいものだから、使い続けたいものではある。
だけど、ネットという媒体はあくまでも、リアルをより便利にする為の拡張機能にすぎない。
リアルをおざなりにしてまで、浸かるべきものでは決してない。
ネットやSNSでの出会いで、温かい気持ちになったり、良い情報を得られたりする時ももちろんある。
だけど、嫌な思いをしたり、ネガティブに毒される事の方が悲しいかな圧倒的に多い。
だから自分を守る為には、ネットで不必要な交流や調べものはしない方がいいって事。
心が傷つかない程度の、最低限の利用で十分なんだって事。
ぼくも改めて、その心持ちでやっていきたいところです。
ネットが居場所だと思いこんでしまうと、リアルでの繋がりを軽視してしまいがちだけど、でも本来ネットに居場所なんて皆ないんだよね。ネットという異空間、匿名の世界の時点で、実体も実像もつかめない存在になってしまうから。
長々なったけど、「自分が救われる方法」なんてものは、デメリット過多な拡張機能を使ってまで探さなくとも、リアルで十分見つけていけるものだと思う。
良い情報とか、心のふれあいとか、温かい繋がりとか、全部そう。
百鬼夜行魑魅魍魎のネットを介すまでもない。
結局は肉体をもって生きている限りリアルに生きるしかないんだから、リアルの世界をいの一番に大事にしていこう。
ネット依存からの脱却については、治療が進み次第また自分なりにまとめていこうと思います。