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ワタシトコトバノチカラ

noteを始めて1ヶ月が経過した。
自分のによる、自分のための、自分ごとな発信。
それがぼくのnote。

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誰かに見てもらうために書くのではなく、自分が辛くなったり苦しくなった時に見返せるように始めた。だから、見てる人たちからしたらよく分からない表現もあったであろう。

発信をしているとあることに気づく。

あぁ、自分頑張ってるんだなって。そりゃ、成果はまだまだだけど、考えて、失敗して、それでももう一度トライして、泣きそうな気持ちをそれでももう一歩踏ん張って。また、少しだけ頑張ろうって小さく決意して。

応援してもらいたいがないわけでもない。

キタガワくん!がんばれ!
コウタくん!ガンバレ!
おれ、がんばれ。

って毎日自分に言い聞かせながらやっている。

お前の頑張りなんて大したことない。上には上がいる。なんて思う人もいるかもしれない。ぼくからしたらそんなこと知らねーよ!っておもう。周りと比較されるためにやってないし、比較するのは昨日の自分なんだから。常にそう言う意識でやってる。ここはぼくの世界だ。世界の中心はじぶん。それなのに、人がどうとか、この人はすごいなとか考えてる場合じゃない。

ぼくは今日なにが出来るようになったの?
ぼくは今日なにが反省点なの?
ぼくは今日なにを思ったの?

そればっかり考えて、自分と向き合い続けてる1ヶ月だった。何でこんなことやり始めたんだろう?そんな事を思わなくはない。何事も続けようとするとその感覚って出てくるよね。だからこのnoteが役立った。ここに書いてあるのは、ある日に、ぼくが思ってる事。ぜんぶ気持ちがある言葉。

コトバが伝える威力みたいなものを、凄みを、自分で実感している。結局のところ、自分を支えることに一番つながるのは自分の意思と過去のコトバなんだとおもう。ぼくはそうだから。

自分で書いたくせに、自分の言葉で励まされている。時には涙も出そうになる。そう、ぼくは泣き虫だ。悔しくて悔しくてたまらない時とか、心から嬉しい時も、誰かに感謝している時も涙が出てしまう。28歳になったいまでも、気持ちはむかしのままなのかもしれない。

昨日もnoteで素直と表現してくださったコメントに出会った。よく言われる言葉でもある。もし、周りから見てそうなら、間違いなく言えることとして、素直に育ててくれたのはなにより、家族なのだ。

コトバ、キモチ、ジブン。

小さい時に両親がいないと悟り、それらを押し殺すように生きてきたぼくは大人になっていくにつれ、押し殺せなくなってきた。これが大人になることなのか?とおもうが、「もう、我慢しなくていいんだよ」とそれも自分らしさと認めてもらえる人たちに理解してもらいなさいと、両親から言われているような気がする。

たまには身体も休めて、明日をがんばらないとね。


ぼくは明日明後日の自分に向けて、これからもここで頑張っているアピールをする。恥ずかしげもなく。


1ヶ月続けたこと。
まず、よく頑張りました。
次は1ヶ月と1週間も目指そう。
ベイビーステップ。
時間の経過とともにこれを大きなストライドにしよう。

たったの1ミリでいい。
成長しよう。


もっと、成長速度がとか言い出したりおもうようなら、「うさぎとかめ」の物語でも思い出そう。


ゆっくりでいい。
たまには後ろを振り返ろうね。
ゴール出来たら勝ちなんだから。
焦るな。
迷うな。

誰よりも自分を信じてていいんだよ。


大丈夫。

人生は変わる。
変えたいと思って1ヶ月走った記録もある。

かめさんだってそう。
うさぎさんより早くゴールについて亀人生?が変わったはず。


本気で思って、真剣に向き合ってたら、外野の声は気にならない。誹謗中傷はできなくなる。笑いものには出来なくなる。真剣な人を馬鹿にできるほど、人間できてない。


やったこと、思ってること、自慢げにはなそう。


おれ、がんばれ。

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