ママってなに?
妻の不在時、次男が長男に話しかけた。
「ママになって!」
次男は長男の傍にいくも、
長男はそのままswitchをやり続ける。
次男は長男の横に座り、画面をのぞく。
5分ほどして、次男が私のところに戻ってきた。
私「長男はママになってくれた?」
次男「うん。ゲームを見せてくれた。」
それだけでいいのか・・・
さてさて、「ママ」とはいったいなんなのだろうか?
この場面で、妻だったらゲームをやり続けることはしない。
(そもそも妻はゲームをしないけど)
おそらく何かをやっていたとしても一度手をとめて、
次男の顔をみて、
話しを聞くだろう。
長男は次男をチラ見すらせずに、ゲーム画面に集中・・・
ただ、次男が傍にいることを拒まず、一緒にはいた。
それだけで、次男のこころは満たされていた。
先月、トーマスランドにいったときの写真を見返したのだが、
長男の次男を見守る視線が優しい。
毎日、喧嘩ばかりしているが(次男のほうが強い)、
ちゃんと繋がっているんだな。
ここでの次男のママとは、
「一緒にいたいという気持ちを無条件に受け止めてくれる存在」
なのかもしれない。
その昔、私は理想のパパ像を本気で考えたことがあった。
パパに必要な要素をすべて抽出して、自分は何ができていて、何が欠けているかを考えた。
ボトルネックをあぶりだして底上げしたら、スーパーパパになれるじゃんと!
一覧を作成後、ひとりよがりでは意味がないので、妻にそれを見せてみた。
言われた言葉が、
「それってしんどくない?私も理想求められたら嫌だし、いまのままで十分。」
たしかに妻は、無条件で受け止めてくれる存在だ。
理想に、心の「余」裕をプラスして、
『よ・りそう』ことが大切なんだって、気づかされた。
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