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あなたの目にはどううつる?

駐車場でみつけたぺったんこの花。

次男がじっとみつめてポツリ。

「かわいそう」


私は、遠目にきれいだなあと感じていた。

全体灰色の人工物であるアスファルトを、自然と舞い降りた1輪の花が彩っていることや、

偶然、つぶされたにしては、あまりにも花の形がそのままであることに。

花は散るもの。押し花なんてのもある。

後天的に得た知識や常識が、かわいそうという感情をなくしていったのだろうか。

次男くらいの頃、私もかわいそうと感じていたのかはもはや思い出せない。

でも、かわいそうといわれたら、確かにかわいそうだ。


しゃがんで観察すると、

花びらに透けたアスファルトの色が痛々しい傷に見えてきた。


単に距離感、フォーカスの違いだったのかもしれないが、次男の一言で、見方・感じかたが変わった。


おそらく車にひかれたであろうこの花も、

押し花も、

どちらも人がつぶしたことに違いはない。

次男に押し花をみせたら、どう感じるのだろうか。

同じく「かわいそう」と感じるのだろうか。

それとも「きれい」と感じるのだろうか。

今度、みせてみよう。


もしも、押し花が残酷でないならそれはなぜだろう?

きれいなままずっといられるから?

生物としての命から、役割としての命に変わった?

でも、これって人間の価値観であって、

実際、花からしたらどうなんだろうか。

むしろ、自然と落ちて車に惹かれるより、

作為的に咲き誇っているときに摘まれるほうが嫌なんじゃないか。

って、脳がないのだから、どっちだって一緒なのかもしれない。

押し花にされようが、車にひかれようが、花は花としてただ存在してきただけ。

いや、花と名付けたのは人間なので、花としてすら存在していない?

ただそこにあるだけ?


今後、科学や倫理観が発展して、人間とは違う感覚だが、実は植物は植物でそうとうな痛覚や恐怖のようなものを感じているなんてことがわかったら、かわいそうで植物を食べられなくなるのかな。

でも、一部の人をのぞき、大多数の人が、今だって肉を食ってるしな。

肉は食いたい。野菜も食いたい。

まあさすがに生きるために食べるとして、日本文化代表の生け花はどうなってしまうのだろう?かわいそうで、みていられなくなるのだろうか。

捕鯨のように、バッシングされる時代がやってくるかもしれない。

でも、フラワーアレンジメントは世界中にあるから、非難はされないかもしれない。

うまけりゃ肉を食うように、美しければ花を生け続けるのかも。

とりあえず現代科学では痛みも恐怖も花は感じていないので、今後も私は生け花を美しいと感じるし、かわいそうどころか面倒くさいと思いながら草むしりをする。


さて、そもそも一花咲かせたこの花は、本当にかわいそうなのか?

何を感じたとしても、結局、感じているのはそれをみている人。

そこにその人の美学や価値観はあれど、そこに花の考えはないのだから、正解などはない。

アリストテレスの窓の子どもたちだったら、どう感じるのだろうか。

今度、話してみよう。



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ゐどむ(いどん)
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