[日記]生き急ぎ野郎ころもやぎ
昨日何やかんやあって、八王子で9/29(日)に開催される創作系イベント「TAMAコミ」に参加申込をした。
本当は来年に参戦する予定だったのだけれど、「まー勢いでやってみよう!!」とイベント参加へ漕ぎ出した。多分手続きが順調にいっていれば参加申し込みができているはず。
…………しかし、なのだ。
私が参加するイベント、実は9月はTAMAコミを含めて2回あることになるのだ。
しかも1週間の間に2回……なのだ。
そう、私は9/23(月・祝)に行われるイベント、J庭56にガッツリ参加するのだ……。
一週間に2回イベント参加予定、流石に頭抱えた。でも止められなかった……。衝動が抑えられなかった(などと供述しており)。
イベント出るの好きだからね。思わず勢いで参加しちゃった!てへっ☆
とか言ってる場合じゃないよ!!!!!私、今12月のイベント用の本も作りたいのに週2イベント参加してるのWhy?????
イベント参加することで様々な準備をしなければならなくなって、今日やることをノートに書き出したらそのタスクの多さに脳味噌が爆発した。え〜ん(自分で蒔いた種)
とりあえず今日は、SNSでのTAMAコミ参加告知、見本誌準備・POPのデータ作成、お品書き作成に小説購入してくれた人へのささやかなプレゼントのデザインから発注、支払いをして1日が終わった。
まだポスター作成が終わってないので、小説執筆の合間にやろうかなと思っている。
いや、こうして振り返ってみると、今日はマジで意味不明なくらいイベント準備に力を入れた一日だったな…。頭がおかしくなるかと思った。実際頭と身体のスピードが追いついてない感じがするというか、心だけ置いてかれてる感じがするかも。この一日、何を準備していたのか?実感が全然ない。
とはいえなんだけど、TAMAコミでは新刊はなくJ庭56とラインナップは同じだから、お品書きは共通のやつだったりするし、作業自体はそんなに多くはなかったんだよな。でもあまりに身体と頭が速く動くからマジで精神的に「…??」って理解ができずにいる。
衝動で動きすぎている。そうわかってるつもりなのに止められない。
そんな話を最近ずっとタムロしてるインターネットコミュニティで話した。すると、「何が原因でその衝動性が高まるのかを解明すると生きやすくなりそうですね」との言葉をもらった。
私を突き動かす衝動性、それはなんだろう。
頭で考えてみた。
すぐに思いついたのは「死」に対する恐怖。
「もし明日突然死んだらどうしよう?」
ソレは、誰しもが考える事だと思う。でも、皆それをずっと考えている訳ではないだろう。でも私はいつもずっと考えている。明日、死んだらどうしよう。死んだら、死んだらどうしよう。
私が好きな歌手は突然死んだ。
舞台の上で、愛する歌を歌って。
その話を聞いて、私は「人は、こんなにもあっけなくいきなり死んでしまうのか」と思い知らされた。その瞬間から、私の「死」に対する強い感情が加速する。
希死念慮はずっとあった。今までやっと薬でナリを潜めていたその感情が、今度は別の形で私を襲う。「明日死ぬかもしれない」という恐怖が、私の足を勝手に走らせる。脳味噌を高速で回転させる。
人はいつ死ぬかわからない。
いつ死ぬかわからないから、死に際に「良い人生だった」と言えるように今を全力で生き抜きたい。やりたい事は全部やりたい。お金がなくても余裕がなくても、何が何でもやり尽くしたい。後悔したくない。
どうせ、死んじゃうなら。死んでしまうなら、私は目一杯愛する人やモノを抱きしめ続けたい。死んでしまうその時まで、愛する人の頬の感触を愛していたい。
そういう、死への強迫観念的な感情が私を衝動的な行動へと駆り立てるのだと私は推測している。
病院で相談したほうが良いなーとは思う。
「死ぬのが怖くてイベントに週2回連チャンで出たり予定詰め込みまくって頭が壊れそうです!順序立てて行動できない!死への衝動的な恐怖が止まらない!嫌だ!後悔して死ぬのだけは嫌だ嫌だ嫌だ!」
なんてそんな事を叫んでみろ。速攻で精神病院行きだよ。それか薬を増やされる。でも喚きたい気持ちもある。楽になりたいから。薬でこの頭がどうにかなるならなんとかしてほしい。
死への恐怖って皆どう乗り越えてるんですか?
私はいつ死ぬかわからない恐ろしさから生き急ぐのをやめられません。死ぬならなんかいいタイミングで勝手に死にたい。
舞台の上で死んだあの人のことが忘れられない。
死は選べない。わかりきってるから怖いんだ。
死ぬのが怖い。死ぬ瞬間に、「後悔と絶望」に押し潰されるかもしれないことが怖いんだ。
まだやりたいことがあったのに、なんて思いたくない。絶対。だからいつだって生き急ぐ。
明日も生きていられますように。
幸せだったなって笑って死ねますように。
ぐちゃぐちゃの脳味噌で、白い壁に祈りを捧げている。