マガジンのカバー画像

歴史を体験する【太平洋戦争編】

9
現地取材や史料に基づいた太平洋戦争に関するエピソードを編纂。特に、特攻隊や、特攻作戦に唯一異議を唱え独自の夜襲攻撃で戦い抜いた美濃部少佐と芙蓉部隊に関する「こぼれ話」を綴ります。
運営しているクリエイター

記事一覧

私たちを守る見えない存在とつながる。それが「祈り」ということ。

私たちを守る見えない存在とつながる。それが「祈り」ということ。

「終戦の日」への違和感終戦の8月が訪れようとしています。
今年は戦後79年、沖縄返還から52年となります。
毎年、この時期になると戦争に関する情報がたくさん出ますが
その多くが核心からズレていると私は感じています。
たとえば、しばしば「反省」という言葉が使われますが、何を反省するのでしょう。
祈りを捧げていますが、どの方向にどのような祈りを捧げているのでしょう。
長年、武士道について研究してきた私

もっとみる
あんまり緑が美しいから

あんまり緑が美しいから

あなたの目が映し出した空を、緑を
あなたが感じたのと同じ美しさで
わたしは、私の目に、心に、
映し出すことができているでしょうか
もしもわたしが今日、死ぬのなら
あなたとおなじくらい
この世界を美しく感じるでしょうか
いまは遠い空の彼方
あなたは、この世界を、あのときと同じくらい
美しいと、感じていますか?

美濃部少佐の遺言

美濃部少佐の遺言

昨日に引き続き、芙蓉部隊と美濃部少佐のお話

後編です。

海軍がのきなみ後方に下がってしまい

期せずして最前線となった岩川基地。

敗戦が濃厚となる中、少佐は最後の作戦を計画しました。

けれど、それは、実行されることはなかったのです。

なぜなら、終戦を迎えたから・・・

芙蓉部隊は解散し、少佐は戦後、航空自衛隊に入隊しました。

自衛隊の黎明期を支えたのです。

「あの戦争とは何だったのか

もっとみる
こんな負け戦で死ぬのは嫌だ

こんな負け戦で死ぬのは嫌だ

8月になると戦争の話題が多くなるので

ウンザリする人も多いことでしょう。

わたしもそうです。

ただ、私の場合、ウンザリする理由は、

1.左翼的反日思想に傾倒する人は日本たたきをする

2.右翼的愛国思想に傾倒する人は特攻隊をはじめとする

  戦士を「勇者」とのみ美化する

この二点にあります。

なぜ思想をベースに観ようとするのでしょう。

それでは、多くのことが見えなくなります。

もっとみる

戦争に息子を見送った母の実話|小名木善行×石川真理子

今回は息子を戦地に送り出した
「お母さん」たちについてのお話です。
関行男大尉のお母さまのことは
元海軍兵だった方から伺いました。
また、芙蓉部隊の最年少飛行士で
何度もお目に掛かった坪井晴隆さんから
教えていただいたお母さまとのエピソードを
お話ししています。
「立派な母」としてのみ描かれてきた「お母さん」たちの
本当の姿を知っていただきたい。
ちなみに、サムネイルは「陸軍の特攻隊」です。
関行
もっとみる

ほのかな甘みが切ない特攻隊員のお菓子「海軍タルト」

ほのかな甘みが切ない特攻隊員のお菓子「海軍タルト」

神風特別攻撃隊=海軍特攻隊の隊員が出撃の際に食したといわれるお菓子をご存じですか。
【海軍タルト】がそれです。
鹿児島県は鹿屋にある老舗菓子店・富久屋が、その当時、特攻出撃する若者達のために、せめて…という思いで作ったものです。
特攻隊員が人生最後に口にしたであろう【海軍タルト】。
「若くして散った彼らのことを忘れないで欲しい」との願いと共に、今も、復刻版が販売されています。

「特攻隊のお兄ちゃ

もっとみる

芙蓉部隊かく闘えり!最年少飛行士の「戦闘の記憶」

特攻を拒否して独自の夜間奇襲攻撃で終戦まで戦い抜いた芙蓉部隊の最年少飛行士だった故・坪井晴隆さん。美濃部少佐のことや戦闘について、仲間達のことについて等、当時の想い出を語っていただいた貴重なインタビュー動画です。若い方々にもご覧いただきたく、noteでも公開いたします。

あの日私は特攻隊員と同じ空を飛んだ

あの日私は特攻隊員と同じ空を飛んだ

11月30日、ふと、「ああ、そういえば」と想い出したことがあります。
去年の同じ日、私は鹿児島県鹿屋市にいました。
海上自衛隊鹿屋基地から哨戒機P3-Cに搭乗し、鹿児島湾上空を飛んだのは、午後三時過ぎ。
斜めの日射しが眼下に広がる海を黄金色にきらめかせ、富士山を思わせる開聞岳は夕焼け色に染まっていたのを、今もはっきりと憶えています。
私は操縦桿を握るパイロットのすぐ後ろの席にいて、涙を必死でこらえ

もっとみる