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#御礼
No.90|百日行願90日目(2024年10月31日)
こんにちは。
百日行願、九十日目。
今日も命を頂きました。
ありがとうございます。
電話相談。聴けば聴くほどに壮絶な人生。
今日も「命の御礼」を軸に聴かせて頂きました。
まずは反省。
『命の御礼』を打ち出すタイミングが悪かった。
生きたいとは思っていない人へ、
本当は生きていたいけれど「死にたいと思ってしまうほど生きるのが辛い」と感じている人へ、
(電話相談の相手はほとんどがこの状態)
No.78|百日行願78日目(2024年10月19日)
こんにちは。
百日行願、七十八日目。
今日も命を頂いております。
ありがとうございます。
幼稚園児の三女が友だちのワンちゃんが死んじゃったのを「かわいそうだね~」と言いつつも、「今日も命を頂いてありがたいね」との私の言葉に対して、「明日も生きていられますように」と言っていたので、次のような話をしました。
三女にも「今日も命を頂いた御礼を神様に言おうね」と日々伝えています。分かっているかいな
No.72|百日行願72日目(2024年10月13日)
こんにちは。
百日行願、七十二日目。
まずは、昨日の投稿後も無事に命を頂くことができました。
そして今日もなお。有り難いことです。
これ以上のおかげはない。
自分が生きているということ、そのおかげに対する自覚。
このおかげ(わが命)を喜べたら神様はお喜びになる。
そう確信しております。
あたりまえのこと。
人間に助かってほしいと、その想い1つで神様は人間を生かそう生かそうと想って、今日もあ
No.71|百日行願71日目(2024年10月12日)
おはようございます。
百日行願、七十一日目。
今日も命を頂いております。
生きながらえております。
ありがとうございます。
命を頂いたということ。
どこまで分かっているんでしょうかね。
この事実、このおかげ。
命なくしては何も出来ない、何も思えない、何一つままならないのに、
にもかかわらず不平不満を並べる始末。
はぁ〜。申し訳ございません、しか出てきやしません。
何を勘違いしているの
No.30|百日行願30日目(2024年9月1日)
百日行願、三十日目。
今日も命を頂きました。
ありがとうございます。
最近良く思うことは、
『お腹が空いていれば、大抵のものは美味しいし、残さず食べ尽くす』
ということ。
お菓子好きの三女。ご飯前にお菓子を食べてはご飯を残したり、少し「嫌だなぁ」と思うご飯を残しては、その後に大好きなお菓子やジュースを欲しがったり、その姿を見ていて強く感じたことです。
ほかに食べるものがあるから目の前のもの
No.23|百日行願23日目(2024年8月25日)
百日行願、二十三日目。
今日も命を頂きました。
ありがとうございます。
私は6歳のときに交通事故にあいました。それは五度目の交通事故です。
はじめは3歳。相手はトラック。それから軽微な事故も含めて三度。
最後の五度目は6歳のときにタクシーにはねられました。
小学校1年生ではありましたがまっったくのうろ覚え。
大半は親から聞いた話です。
それと両親の手記。当時の日記です。
宗教家になるときにく
No.3|百日行願3日目(2024年8月5日)
百日行願、三日目。
50代氏子の訃報。
親からのお届け。
自害とのこと。
ふとよぎる、なぜ?
なぜ、じゃない。
私の祈りが足りなかった?、でもない。
生きているわたしにできることは……。
今日頂いた命への御礼、ただそれだけじゃないか。
生きていればいろいろなことが起こる。
解釈もその都度でコロコロと変わる。
考えれば考えるほど、ドツボにハマり
24時間あっても足りないようにもなる
No.1|百日行願1日目(2024年8月3日)
2024年8月3日
百日行願開始。
数日前から福岡正信さんの『わら一本の革命』を読んでいます。
これもやらない
あれもやらない
天地の働きを真に信じて
なるべくお邪魔にならないようにと努めた結果……
何十年と命を賭して
『自然農法』
を生み出されました。
科学者や、学校の先生や、宗教家、
誰かに何かを教える人たちへも
強いメッセージを残してくれています。
お邪魔にならないように
目の前