一体、いつから私はここまで怠惰な人間になってしまったのだろうかー そんな事をふとした時によく考える。 小中学生の頃は真面目でどちらかと云うとクラスの人気者タイプ(決して思い上がりではない)であった。 それなのに、一体どこで道を踏み間違えたのか。 何がきっかけで、仕事は続けられず日雇いバイトさえ当然のように無断欠勤するような屑になってしまったのか。 どれだけ考えても答えは出ないのだが、この自問自答を繰り返す度に、人生最初にアルバイトをした高校1年生の頃をいつも思い出す。 中
先日、地元の友人から「仕事を辞めたい」という相談がきた。 その友人は私と同い年の22歳で社会人一年目なので、辞めたいがまだ流石に早すぎる、という旨の連絡である。 一社目は1ヶ月、二社目三社目は半年で退職し、アルバイトもろくに続かない生粋のジョブホッパーである私に相談する意味が全く分からないが、私は迷わずその友人へ熱いエールを送った。 「辞めたいなら、辞めなさい」と。 すると友人は、 「辞めたいけどお前みたいになりたくないから辞めない」と即答してきた。 このメッセージを見た私は
平生西村賢太ファンを名乗っている私だが、お酒に関しては全く先生に共感する部分がない。 なにしろ、私は下戸なのである。(先生も元々は下戸だったようだが) しかも、少しお酒が弱いとかのレベルではない。 ビールを1杯飲むだけで必ずリバースするし、 ほろ酔いなどの低アルコール飲料でさえ1缶飲むだけで全身が真っ赤になり、手足にはたちまち発疹ができあがる。 検査をしたことはないのだが、アルコールアレルギーなのであろう。 しかし、成人を超えるとどうしても「飲みの場」から完全に距離を置くこ
先日、全財産が700円になってしまったため満を持して日雇いバイトに出向いた。 10℃前後に設定された極寒の食品工場で、料理キットの袋詰めしていく日雇いバイトである。 ベルトコンベヤーの前に日雇い戦士達が数人並べられ、目の前には野菜や肉などの大量の食材が置かれている。 作業前に社員が点呼を行い、工場長らしき人間が「あなたは人参1つ入れてください」「あなたは麺つゆを2つ入れてください」と日雇い戦士達に順々に指示を出していく。 私の担当は「きのこ1つ」だった。 ベルトコンベヤーが
このnoteで再三記しているように、私は現在無職である。 基本的には朝から晩までネットサーフィンか西村賢太先生の小説を読んで過ごし、気が向いた時にだけ、というか所持金が完全に底をつきそうなタイミングで日雇いバイトに出向くという生活を送っている。 故に、常に金欠状態なのだが、西村賢太先生の小説を買い集める事は辞めないため、最早金欠を超えて借金まみれになっている。 幸い消費者金融からの借金はないものの、家族からは100万円近く、奨学金も含めたら400万円程借金がある計算だ。 こ
村上春樹がキモいという件がXで話題になっている。 無論、村上春樹の人格ではなく作品が、描写がキモいという話である。 私は村上春樹の作品は読んだ事がないのでどういった部分が気持ち悪いのかは全く分からないが、きっと何作読んだところで「キモい」という感想は抱かないと思う。 正確に言うならば、「キモい」と思ったとしても、その後に「これでこそ小説だよな」という感想を抱くと思う。 私は人並みに読書をする方ではあるが、 約1年前からは物故私小説家である西村賢太先生の作品しか読んでいないし
先日、とある文芸賞に応募した。 400字詰原稿用紙87枚分、私にとって過去最長となる小説である。 などと云うとあたかもコンスタントに執筆している小説家志望の若者のようだが、本格的に小説を書いたのは今回が初めてだ。 数千字程度のショートショートやエッセイの公募には何度か参加した事があるが、中編、長編小説の公募には今まで参加してこなかった。 正確に言えば、参加することができなかった。 締切を目指して書き出してはみるものの、長い小説を書き切ることが今まで一度もできなかったのである。
西村賢太先生ファンの方には説明不要だと思うが、【西村賢太追悼文集】とは先生と生前親交のあった関係者から一般の読者まで、幅広い方々が寄稿した先生への追悼文をまとめた一冊である。 私自身、毎日のように西村賢太に関することをXで呟いたり、このnoteにも何度か書いたりしておきながら、実は【西村賢太追悼文集】はついこの前まで未読であった。 絶版になってしまった先生の作品を集めることと復読をついつい優先してしまい、いつでも読める文集(失礼極まりない)を後回しにしてしまったというのが理
某IT企業から圧迫面接をされ、怒りに打ち震えた私は本社に長文のクレームメールを送った。 その後、担当の面接官ではない別の人事担当の者がメールと電話を私によこし、平身低頭で謝罪してきた。 私はその場ではなんとなく和解の形をとり電話を切ったものの、どうにも怒りは収まりきらない。 そこで、私はこの一連の出来事をXに書き込むことにした。 無論、現在使っているアカウントではなく、当時使用していたアカウントである。 「某IT企業に圧迫面接をされ、この仕事は向いていないから工場で働けなど
裁判沙汰になった経験が人生で二度ある。 しかも、一年間で二度である。 と云うと、恰も武勇伝のような、老人がする「昔はよく悪さをしていた」云々の痛々しいアピールのように感じるかもしれないが、決してそんなつもりはない。 毎週noteを書くと勝手に決めたはいいものの4回目にして早くもネタ切れをしているというのもあるし、折角の貴重な経験なのだから書いてみようという極めて虚心坦懐な気持ちからである。 一度目の裁判沙汰は、約一年前に起きた。 当時私はニートで転職活動をしており、ボロボロ
私のXを見てくだすっている方はご存知かもしれないが、私はSNSを割と積極的に使っている方だ。 他の人の投稿等を見るのは勿論、noteは誰にも頼まれてもいないのに毎週書いているし、誰も聴いていないラジオを週に2回公開している。 で、そうなると必ず沸いてくるのが 【承認欲求ポリス】である。 【承認欲求ポリス】とは私が勝手に名付けただけなのだが、 「自分以外の人間が目立とうとするのを絶対に許さず、目立とうとしている人間の足を引っ張り、自分が気に入らない他人の行動は全て承認欲求や自
私が人よりも長けている能力と云えば、 「人を嫌いになる能力」である。 些細な言動が癇に障り、邪推し、直ぐにその人を嫌い、陰口を周囲の人間に言い続けるという救いようのない性質を持っている。 それは同性に対してだけではなく異性に対してもなので、今まであまり人を好きになった経験がない。 柔らかな体温に触れたいという希求は人並み以上にありつつも、恋愛感情を抱くことは人よりも少ない方であると思う。 当然、そんな私に想いを寄せる異性などいるはずもないので、そうなると恋愛経験が少なくなるの
基本的に無口で根暗な私だが、西村賢太先生について聞かれると無駄に話しすぎてしまう癖がある。 西村賢太先生はおろか、読書すら全くしない友人や家族に対しても先生の作品について熱弁してしまうのだ。 そうすると決まって聞かれるのが 「西村賢太のどこが面白いの?」という質問だ。 この問いはファンの人たちの間でも必ず話題になるのだが、根がカッコつけにできている私はいつも「単純に面白いから」などと云う身も蓋もない答えを言ってしまう。 これは本音でもあるが、好きなものの好きな理由を考えるの
自分が好きになった対象へのアプローチの仕方は人それぞれである。 他人の趣味や応援の仕方をとやかく言うのはナンセンスであるし、めいめいが好きなようにやればいいだけの話だ。 きっと一人ひとりにポリシーや流儀のようなものがあるのであろう。 で、「私の流儀」などと言うと少し大袈裟になってしまうが、私は好きになったものはとことん追求し、身銭を切るタイプである。 というより、気付いたら身銭を切ってしまっているタイプである。 勿論お金が全てではないし、お金でしか人や物の価値を図れない成金
専門学校を卒業後、新卒で入社した会社は1ヶ月、次は半年、その次も半年で退職し、半年間の無職期間を経て再び社会復帰をした。 その会社には一度面接で不採用の旨を言い渡されたのだが、他に行くあてもなくこれ以上無職期間を引き延ばすのは精神的にも経済的にも厳しいと踏んだ私はダメ元で再度連絡をし、リベンジ面接をしてもらい、【スキルはないが熱意と意欲はある若者】として内定を貰ったのであった。 そして7月8日から入社し、初日こそ順調だった。 短期離職は履歴書に書いていないし(れっきとした
2024年7月6日土曜日。 西村賢太先生の生誕祭(故人に対して生誕祭というのもおかしな話だが)が開催された。 場所は勿論、鶯谷の信濃路。 タイトルは【嘆謬忌は淸えても】。 僭越ながら私がタイトルを考えさせていただいた。 参加者の方から「これはどういう意味なんですか?」と何度か聞かれたのだが、正直深い意味はない。 【羅針盤は壊れても】をもじり、西村賢太っぽい難読漢字(というほどでもないが)を使いたかっただけである。 西村賢太っぽい難読漢字や難読単語ならいくらでもあるのだろうが