他人事の敗北
先日、地元の友人から「仕事を辞めたい」という相談がきた。
その友人は私と同い年の22歳で社会人一年目なので、辞めたいがまだ流石に早すぎる、という旨の連絡である。
一社目は1ヶ月、二社目三社目は半年で退職し、アルバイトもろくに続かない生粋のジョブホッパーである私に相談する意味が全く分からないが、私は迷わずその友人へ熱いエールを送った。
「辞めたいなら、辞めなさい」と。
すると友人は、
「辞めたいけどお前みたいになりたくないから辞めない」と即答してきた。
このメッセージを見た私は
「じゃあなんで相談してきたんだよ」と一瞬にして憤ったが、それと同時に
「ああ、自分って反面教師にされる存在に成り下がったんだな」ということを実感し、悲しいような虚しいような不思議な感情に襲われた。
私の祖父は二日に一回のペースで実家にやってきて母と一緒にご飯を食べる。
いつ来ても家にいる私を見て、
「なんで家にいるんだ。仕事はしてないのか」と聞かれる。
「仕事なんてとっくにしてないよ」と私が答えようと思った時、母は遮るように
「今日テレワークなのよ」と祖父に伝えた。
別の日、祖父がまた実家にやってきた。
その日私は友人と出かける予定があったので身支度を整えていたのだが、その私を見て祖父は
「どこに行くんだ。今日はテレワークじゃないのか」と聞いてきた。
「無職にテレワークは存在しないよ」と私が伝えようとすると、母が
「今日は午後から仕事なのよ」と答えた。
どうやら、私が無職であることは隠されているらしい。
近所の人にも「IT企業で働くテレワークリーマン」という肩書きで通っているらしい。
それを知った時、私は「ああ、自分って反面教師だし、隠されるような存在なんだな」と実感した。
自分は肛門のような存在であることを実感した。
かと云って、そこに悔しさや悲しさは微塵もない。
強がりでもなんでもなく、
「そういうもんなんだな」と思うだけである。
客観的に見たら私は圧倒的な負け組であり、惨めな人生であり、クズでありゴミであるらしいのだが、あくまでも「そうらしい」という感覚しか分からないのだ。
あくまでも他人事の敗北なのである。
それは何故かと言うと、「どこかで勝っている部分がある」という根拠のない自信というか、自惚れみたようなものがあるからである。
自己肯定感とか自分の軸とか、そんな綺麗で高尚なものではない。
独りよがりでご都合主義な強烈な自己愛である。
幼少期から自己愛が異常に強く、それ故に生きづらさを(自業自得)感じたり人間関係での失敗も沢山あったが、この自己愛がなければ私はとっくのとうにこの世からおいとましていたと思う。
フラットに、客観的に自分を見る能力があったなら、あまりの惨めさに自害していたであろう。
この自己愛に縛られ、その分救われてもきたのだ。
だからこそ、何かで負けても、失敗しても、バカにされてもあっけらかんとしている。あっけらかんとすることしかできない。
体育のマット運動で前転しかできず大恥をかいた時も、逆上がりは疎か前回りすらできなかった時も。
新卒で入社したイベント会社で働いていた時、イベント会場の裏にある肥溜めに落下し、「やっぱりお前はやると思った」と言われた時も。
ダンボールに封をするだけの日雇いバイトで社員のジジイに「こいつ遅すぎるんだけど」と延々と小言を言われた時も。
フリーターの友人に「いやあ、流石にお前みたいにはなれないな」と鼻で笑われ馬鹿にされた時も。
雑誌編集の会社で「やる気ある?」と言われた時も。
周りの同級生は真っ当に働いている中自分だけがニートで、友人には反面教師にされ、日雇いバイトでは機械のように扱われ、祖父と近所の人たちには無職であることを隠されている今でも。
「たまたまここでは負けただけだわな」と常に思っていたし、思っている。
「たまたま社会に適応できただけの人間が何を偉そうに」と本気で思っている。
「お前らみたいな奴らには持っていない何かが俺にはあるんだから」と常に心の中で中指を立てていた。
振り返れば、昔から出来ない事があまりにも多すぎて、そんな自分を嫌いにならないように、傷つかないように、自己防衛していただけなのかもしれない。
行き過ぎた防衛本能が働いて出来た自己愛なのかもしれない。
たまたまあの時は上手くいかなかっただけで。
たまたま負けただけで。
どこかの分野では、絶対に他の人よりも上手くできる。
絶対に勝てる部分がある。
そのどこかとは、どこなのか。
勝てる部分って、一体なんなのか。
それは分からないし、分かりたくもないし、知りたくない。
それが分かってしまったら、それさえも誰かに負けてしまった時、上手くいかなかった時、自分はいよいよ「他人事の敗北」ではなく「自分事の敗北」になってしまうから。
「最後の切り札」がバレないように、自分でも気付かないように、ひたすらデッキをシャッフルし続けるような日々を送っている。