下戸の雄叫び
平生西村賢太ファンを名乗っている私だが、お酒に関しては全く先生に共感する部分がない。
なにしろ、私は下戸なのである。(先生も元々は下戸だったようだが)
しかも、少しお酒が弱いとかのレベルではない。
ビールを1杯飲むだけで必ずリバースするし、
ほろ酔いなどの低アルコール飲料でさえ1缶飲むだけで全身が真っ赤になり、手足にはたちまち発疹ができあがる。
検査をしたことはないのだが、アルコールアレルギーなのであろう。
しかし、成人を超えるとどうしても「飲みの場」から完全に距離を置くことは難しい。
幸か不幸か、私は生粋のジョプホッパーの為、The飲み会に参加したことはないが、それでも飲みの場では今まで散々嫌な思いをしてきた。
しかし、どれだけ腹が立とうが下戸という肩身の狭さと生得の気弱さによってその怒りを無理に沈めてきたのである。
生粋の下戸であり生粋の文章弁慶(そんな言葉は存在しないが)でもある私が、今回は今まで飲みの場で感じてきた苛立ちと怒りと疑問を完全に放散していきたい。
もしも下戸の方が読んでくださっているなら、きっと共感してもらえるに違いないという、絶対的な自信がある。
①生でいいっしょ?
これは、いつかの飲み会で私が友人に言われた一言である。
大衆居酒屋に入り、席に座った瞬間にその友人がメニューを開くこともなく私に言ってきたのだ。
先述したように、私はビールは特に苦手な体質のため「いや、ビールじゃなくて他のにするわ」と言ったのだが、すると友人は舌打ちしながら「…早く選べよ」と言い放ってきた。
完全に意味不明である。
酒飲みは必ずと言っていいほど、
「1杯目は生でいい?」とまるで確定事項のように質問してくるが、いいわけがないだろう。
そもそも、どうして飲む物を他人に決められなければいけないのか。
1杯目にやたらと生ビールを勧めてくる馬鹿共は、サイゼリヤに行った時も
「まずはミラノ風ドリアでいいっしょ?」
と言うのだろうか。
もし言わないとすれば、何故サイゼリヤのミラノ風ドリアでは言わないのに、酒になった瞬間「生でいいっしょ?」が成立すると思っているのだろう。
アルコールで頭がイカれてしまったのだろうか。
②せめて一杯目は飲もうよ笑
これも居酒屋で言われたセリフである。
1杯目のチョイス時に「俺コーラで」と言ったら、そいつは気持ち悪い笑みを浮かべながら「コーラだめよ。せめて1杯は飲もうよ笑」と説諭するような口調で言い、結句私はカルピスサワーを頼む羽目になったのである。
これも完全に意味不明である。
1杯目からソフトドリンクを飲むのと、1杯目はお酒を飲んで2杯目以降ソフトドリンクに切り替えることになんの違いがあるのか。
酒飲みの連中はやたらと「皆で飲む」ことを大切にするがあれは一体なんなのか。
いつ違法になってもおかしくないような依存性の高い薬物を皆で摂取するという背徳感を味わいたいのかなんなのかよく分からぬが、付き合わされる方はたまったものではない。
アルコールを摂取しないと生まれない団結感や絆なんて最初から無いのと同じである。
③飲めば強くなるよ
ならない。以上。
④割り勘
下戸として一番辛く、最も腹が立ったのはこれかもしれない。
基本的に飲みの場だとお酒を飲んだ量は関係なく割り勘になる。
飲み放題は飲み放題で損だが、アラカルトの場合は更に地獄である。
実際、お酒を2杯しか飲んでいないのに6000円近く払ったこともある。
これでは誰かの酒数杯を自分が肩代わりしてやっているのと何も変わらない。
極稀に「お前ほとんど飲んでないから○○円でいいよ」と言ってくれる仏もいるが、基本的に酒飲みは思考回路がアルコールで腐っているので何も言ってこない。
どころか、こっちが割り勘に異議を唱えると
「ケチ臭い」だの「細かい」だのと支離滅裂なことをヒステリックに叫んでくる始末。
ここまでくると本当に救いようがない。
彼奴らはサイゼリヤに2人で行ったとして、1人が鱈服食べ、自分が殆ど何も食べていなくても割り勘を許せるのだろうか。
自分は辛味チキンしか食べていないというのに、相手が食べたミラノ風ドリアとカルボナーラとマルゲリータピザのお金を負担できる程の寛大な心を持っているのだろうか。
何も、こちらは一人一人飲んだ量を測り、その分の値段をきっちり払えと言っているわけではない。
ほとんど飲んでないから1000円安くするよ、とか
沢山飲んだから1000円多めに払うよ、ぐらいの気遣いで十二分なのだ。
まあ、その気遣いができないようなお粗末な人間性だからこそ浴びるように酒を飲んでいるのだろうが。
⑤アル中ペシミスト
酒を飲んで酔っ払った時の様子は十人十色である。
暴力的になる人、やたらキレる人、寝る人。
これはもうアルコールの副作用的なものなのでどうにもならないし、こちらに迷惑をかけなければどうでもいいのだが、いちばん面倒なのは酔うと泣く人間である。
いや、正確に言えば泣く人間が面倒なのではない。
「酒に酔って泣いているだけのタコなのに、恰も普段溜まっていたものが溢れ出してしまった」かのように演出する人間が大嫌いなのだ。
実際に私も複数人の飲みの場で突然一人が泣き出した場面に遭遇したことがあり、勿論ドン引きしたのだが、他の人たちは「普段ストレス溜めるタイプだから、お酒飲むと出ちゃうのよね」などとまるで頓珍漢な感想を述べ、その泣き上戸のアル中を慰め始めたのだ。
それに気を良くしたのかなんなのか、泣いた友人はその夜のことをイジると必ず、
「まあ、あの頃は色々あってさ」などとペシミストを気取った台詞を吐いた。
泣きに限らず、酒を飲んだら本音が出てしまう、本性が出てしまう、などというのも全て同類だ。
お前らは普段溜まっていたものが酒に酔って溢れ出しているんじゃない。
自分の限界も分からず、人目を気にせず泣くまで酒を飲んでしまうただのアル中である。
酒に呑まれて泣いているだけなのに太宰治(本名津島修治)を気取るのだけはやめてほしい。
と、ここまで散々悪口を書いたが、私は別に酒飲みが嫌いなわけではない。
日常生活のストレスを酒で和らげたり、酒好きの仲間と呑んでワイワイやるのは一種の憧れがあるし、羨ましくもある。
問題は、先述したような謎のしきたりやルール、「酒は全人類好き」という固定観念を押し付けてくる人間が嫌いなだけである。
書き忘れたが、「酒カス」などと自称して自分のだらしなさを開き直り、それをアイデンティティにしてしまうイカ野郎も嫌いである。
が、こちらに迷惑をかけなければ一向に構わない。
こんな卑屈で面倒な下戸の私を矯正してくれる素晴らしき酒飲みがもしいるのなら、是非一献傾けさせていただきたい。