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二叉路

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福田六個と小池耕の公開される文通
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二叉路 第10回

二叉路 第10回



第十回 耕→六

 過度に華美な服装が下品だと言われることがある一方で、露出が多い服も下品とみなされる。校則がそれを縛ってくれるおかげで僕らは適当な創造性を発揮する。生活の中に創造性を発揮する場面はいくつもあって、その布に刺繍を施すか、穴をあけてみるか、そのままにするか、自分で選ぶことができる。(ちなみにここでの「穴をあける」は素肌を晒してはいるものの、素肌の凹凸から布の凹凸に目を逸らさせる

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二叉路 第9回

二叉路 第9回



第九回 六→耕

 方角がはっきりして、やっと生活の位置が具体的になってきた。というより、この話が他の話よりもどう具体的であるかが掴めてきたと言ったらいいか。神という反語が示す偉大と悲惨の極端、破壊や死への抗いがたい欲望、そして体制としての「戦争と平和」から逃走線を引いたところに小池の示す部屋はあり身体はある。つまり都市がある。おそらくずっと小池はそこにいて生の条件を考えていたのだが、僕がそ

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二叉路 第8回

二叉路 第8回

前回↓



第8回 耕→六

 第6回はたしかに混乱していた。自分でも原稿を送ってから「やばいかも」と言うか迷った。「ありうべきファイティングポーズとはいかなるものか」を突っ返す読解と勇気がなかったのは僕の落ち度だ。「あるいは僕もろとも一緒に転んでいるか?」いやいや。僕が(人が)転んでいるときにちゃんと「なにしてんねん」と言ってくれる人はなかなかいない。すまない。ありがとう。

 さて、しかし

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二叉路 第7回

二叉路 第7回

前回↓



第7回 六→耕

 第四回から第六回まで同じところをループしている。

 この身体の輪郭の危機には、言ってしまえば結論なんてない。部屋には入口も出口もない。小池は第四回の終わりの時点ですでに「定型を振り切ることができない以上(できたらつまり死んでいる)、定型を最大限逆手にとって、裏をかきたい」とまで言っていたわけで、ならばファイティングポーズという言葉に反応していいはずがなかっただ

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二叉路 第6回

二叉路 第6回

前回↓



第6回 耕→六

 前回は「他人依存の充足と絶対的な自己充足」という対比を用いながら家の話に入っていた。僕の考えでは自分にとっての理想、期待、欲望、充足はある意味では「絶対的に一つ」であはるけれど、ある意味ではいくつもの位相の自分において存在するし、第1回の福田の言葉を借りるなら、小池耕は何人もいる。と断ったうえで、「家」に対する福田の捉え方には概ね同意する。『PERFECT DA

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二叉路 第5回

二叉路 第5回

前回↓



第5回 六→耕

 第五回。ようやく話題が散ってきた感があって、かえって安心している。「真に受ける加減を適当に調節してほしい」だなんて言い訳はしなくてよろしいから、好きなように脱線したらいいし断言したらいい。二叉路に脱力と推敲の極があるとしたら僕が後者で[1]、真に受けたいところを受けて饒舌になるのだから、いずれにせよ恰好はつく。

 「碌でもなさ」の「総じて」について、僕が言おう

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二叉路 第4回

二叉路 第4回

前回↓


第4回 耕→六

 第四回。ここまでで感じたことを一つ言うと、「二叉路」の形式は福田にとって動きやすい反面、僕は少々ぎこちなくなってしまうような感触がある。簡単に言ってしまえば得意不得意の問題で、例えば対面でこの二人が喋るとき、その割合は福田8小池2くらいになりがちだ。それに対してこの往復書簡は、制約は緩いもののある程度福田と同じ量を返すことになっている。となると僕はいつもとはだいぶ

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二叉路 第3回

二叉路 第3回

前回↓



第3回 六→耕

 明確な応答から始めよう。まず、僕を「作家として、友人として」「分割してみることはピンと来ないからしない」という見方について。僕はそれに同意し、さらに、僕は作家ではないという立場を示したいと思う。

 僕は今のところ、作家というアイコンを特別視していない。それは「作品」というものがピンと来ず、短歌を主に作品としてではなくテクストとして捉えているからだ。テクストすな

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二叉路 第1回

二叉路 第1回

まえがき

福田六個と小池耕の二人で「二叉路」というnoteの連載を始めます。
福田と小池が交互にお互いへ向けて何かを話すという形式で、毎週火曜日、全10往復(20回)くらいを目安に連載する予定です。短歌の話は必ずしも含まれませんし、話がどう転がっていくのか、二人とも分かりません。
ただ話したいことを話します。

第一回は福田六個から小池耕に向けて。



第1回 六→耕

 往復書簡、第一回目

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二叉路 第2回

二叉路 第2回

前回↓



第2回 耕→六

 福田は第一回で僕の「みんな野球」の歌を皮切りに僕について話してくれた。「二叉路」の形式は福田も言った通り「ラブレター」でも「作品」でもない。ましてや「エアリプ」でも「試合」でもない。路地裏で二人がキャッチボールをしている映像を街なかのスクリーンに流すようなものだ。目を見てボールを投げ返す。
 
 話題の「2024年の抱負」はこれのこと。

上記事では「冴えない彼

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