二叉路 第2回
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第2回 耕→六
福田は第一回で僕の「みんな野球」の歌を皮切りに僕について話してくれた。「二叉路」の形式は福田も言った通り「ラブレター」でも「作品」でもない。ましてや「エアリプ」でも「試合」でもない。路地裏で二人がキャッチボールをしている映像を街なかのスクリーンに流すようなものだ。目を見てボールを投げ返す。
話題の「2024年の抱負」はこれのこと。
上記事では「冴えない彼女の育て方」(以下「冴えカノ」)のメタフィクション要素とハーレムラブコメ要素について話した。抱負としての「立体的であること」「手広くあること」を併せ持つものとしてたまたま「冴えカノ」がはまっただけで、抱負にとって「冴えない」とか「育てる」というワードに深い意味はない。ここでは特にハーレムラブコメ的なものを僕がどう感受しているのかを掘り下げる。「多彩」や「あいまい」にもつながると思う。
ハーレムと聞くと憧れの対象のようにも思えるが、実際に渦中にいる主人公にとって、それはもう大変なことだ。「誰でも選べる」という全能感、「誰かを選ばなければいけない」という重圧、「誰も選べない」という不能感の連続。ハーレム状態を維持するためにはすべてに対してあいまいな態度をとり続けるしかない。けれどストーリーはただ一人のヒロインを選び取ることを要請する。
僕はこの要請を長年受け入れあぐねていた。「誰か一人なんて選べないよ!」というやつだ。だから「多彩」で「あいまい」だとも言える。でも元日に見た「冴えカノ」の劇場版は一つ示唆をくれた。(※ここから改行まで少しネタバレ)ストーリーが要請するイベントとして、主人公が本命ヒロインから離れざるを得なくなるという展開があった。これは他のヒロイン候補に近づくイベントではあるのだが、同時に本命ヒロインとより強く結びつくという結末につながる。起承転結の「転」だ。ストーリーの要請から逃げていたせいでストーリーが用意する面白い側面を今まで見逃していたのだろう。僕は一方を選択することは一方を捨てることだと何故か思っていたけれど、ハーレムラブコメはそうではないのだった。だから未来に少し安心したうえで、僕もこうあろうと思った。
僕は例えばヒロイン候補キャラとして「音楽」「絵」「短歌」「勉強」を設定して、ハーレム状態にあると言ってみる。この場合、ヒロインを選び取ることを要請するのは……「人生」という名の「秩序」だろうか[1]。僕が今年誰かひとりを選び取るに至るかは分からないけれど、結末があるなら「冴えカノ」のように幸せな結末にしたいし、負けヒロインがいるなら「冴えカノ」ように大切に弔わなければならない。そういう意味も込めて「冴えない彼女の育てかた」を抱負にした。
それにしても今年発売の美少女ゲームに登場する「就活」とかいうヒロイン候補は冴えてなさすぎて困る。
さて、長くなってしまったけれど、僕の話はこれくらいにして福田六個の話をしよう。あまり長く説明するよりは、福田の印象をインパクトとともに紹介できそうなnote記事を2つ貼っておく。短歌の話は次回以降、タイミングがあればしてみたい。
ちなみに僕は、福田が僕にしたように作家として、友人としてというふうに福田を分割してみることはピンと来ないからしない。そのあたりが連続しているか重なっているように思えるのは、この一年での福田の急激な変わりようと、改名の様子を目撃していたからだろうか。
六個という名前になったのは『つくば集第3号』発行からだ。聞くに、「ろくでもない」の響きのよさが由来のひとつらしい。福田のnoteの現在のプロフィールには「総じて碌でもない、というわけでもない」とある。「ろくでもない」可能性を一旦想定しているように見える。とはいえ「というわけでもない」のだ。僕もそう思う。僕が例えば「多彩」であることで「ろくでもなさ」から免れているとしよう。そこに時間を割いていると言ってもいい(「ろくでもない」かどうかはその人の時間の使い方に現れてくるような気が僕はしている)。福田が何に時間を割き、何によって「ろくでもなさ」を免れているように見えるか。まず僕が思いつくのは、読み、書き、喋ることだ。またその意欲、持久力、安定感。
例えばnoteでの「収集」や「右体」といったシリーズ。福田が都度自分に必要な方法を模索し、結論を出し、着手し、継続するというような。特に「国事」の記事なんかは僕の特性からかなり遠いところにあるし、つまり福田らしさでもあると思う。
福田六個はこの世の「ろくでもなさ」を憂い、そこに抗うように読み、書き、喋っているように見える。福田にとって「ろくでもない」とはなんなのか、そして、僕が今のところなかなか持ちえない言語的な営みへのモチベーションはどういうものなのか。読み、書き、喋ること、特に言うならこの二叉路という特殊な場で僕たちができることは何だろう。
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[1]前回の注3のダグラスの話が面白かった。あいまいなもの、無秩序で未分類なものとしての汚穢(なんかきもちわるいもの、得体のしれないもの)を短歌でやりたいしやっているつもりではある。
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福田六個のnote↓
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