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『詩』トキントキンの鉛筆で

鉛筆を尖らせる
チョンチョンにあるいはトキントキンに
文字を書くわけではない 黄河のような
手帳を開くとそこに大河が流れているので
尖った鉛筆の先でそれをなぞる あるいは
昔覚えた懐かしい歌が
流れ出すのでそれを捕まえる 空中に
トキントキンの鉛筆の先っぽを泳がせて


手帳に芯の先を押し付けると
ポキッと折れて飛んでゆく 捕まえた
歌と楽譜はまるで違うもののようで 悔恨が
小さな疵となってページに残る


二本目の鉛筆を手に取って空へ向けると
黒い 小さな穴がそこにく おぞましい
顔のないものたちがその穴から染み出して
たちまち大河に乗って流れてゆく 憎しみが
赤紫の染みを作る 新たなページに
そうしてそこがぶよぶよになって 鉛筆の
トキントキンが引っかかってしまうので
僕は手帳を放り投げる いつの間に
腰を下ろした背後の荒れた叢に すると


枯れ草や棘棘とげとげでいっぱいの 泥にまみれた
ゴム草履や自転車のチューブなんかも落ちている
荒れ果てた叢の真ん中に
手帳が落ちたあたりから トキントキンの
鉛筆が するすると育ってゆく
あたかもジャックと豆の木の太いつるのように
驚いて呆けたように見守っていると 鉛筆は
どんどんどんどん大きくなって 先端の
トキントキンが空を突いて 眩い光が
穴からシャワーのように溢れ出す


眩しさに俯き 眼を伏せると 鉛筆から
太い枝葉がずんずんと伸びて
空を覆い尽くすように広がって 星の上に
優しい涼やかな影を落とす 見覚えのある
いつしかそれは大木となって 穏やかに
世界を羊水のように包み込む


ゆっくりと頭を上げて眼を開くと 駄菓子屋の
もう随分昔に亡くなったお婆さんが
隣でにこにこと微笑んでいて たくさんの
草色を含んだ色鉛筆を僕によこす 鉛筆は
トキントキンじゃなくチョンチョンでもなく
柔らかく丸みを帯びていて いつの間に
手にしたスケッチブックを僕は開いて
果てしない草原をそこに描く 少し燻んだ
山葵色わさびいろの色鉛筆で


憎しみや 濡れたような悔恨や
どうにもならない怒りなどが 草原と
僕との間に横たわる 大河となって
逆巻く渦となって流れてゆく 涼やかな
鉛筆の日陰だけではどうにもならない
止めようのない激しさで 駄菓子屋の
それでもお婆さんが渡してくれた
色鉛筆で僕は描く 何枚も
まだこの星の上に残っている 青空と
地平線のある草原の絵を




先端を鋭く尖らせた鉛筆が好きです。<トキントキン>というのはそういう状態を言う愛知の方言だそうで、つい最近まで知りませんでした。子どもの頃は「チョンチョンにする」と言ってたけれど、これも方言だ、というようなことが、ネットで調べると出てきます。

子どもの頃は、鉛筆削り器が壊れたりなんかで、父にナイフで削ってもらったことがよくありました。父はあんまり尖らせるのが好きではなく、もっとチョンチョンにして!と注文をつけたことを覚えています。

中学高校になるとほとんどシャープペンかボールペンで、鉛筆なんて技術か美術の時間くらいしか使わなかったけれど、デザイン学校に入るとそういうことに口うるさい先生がいて、鉛筆は自分で使いやすいよう、手で削るもんだ、というのが最初の教育でしたね。なので、トキントキンはもちろん、平たく削ったり太く残したり、濃さも含めて何本も持っていました。

詩の中の鉛筆の大木は世界樹に近いイメージです。

あと、色鉛筆のイメージはこちらで、非売品なのだけれど、いつどこで手に入れたのか、全く覚えていません。でもこういうのは好きですね。お持ちの方はいらっしゃいますか?

撮影takizawa




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