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『詩』落書きしたいような青空

落書きしたいような青空だ
洗濯物を取り込もうとして ふと見ると
昨夜の夢の欠片かけらがシーツの上で
荷待ちをする船のように揺らいでいる
亡くなった詩人におもいを馳せつつ
まだ冬になりきれない風を
僕はしばし受け止める


日が昇り 珈琲を飲み 大学に近い公園で
哲学に近い言葉を拾う たった一行
それで一日が終わってゆく
そんな仕事を卑下しながら
それでも詩人は詩人になった 僕たちの
思想はまだ全く生まれてなくて
何かを掴むには幼過ぎた


人はいつ詩人になるのだろう 当たり前の
ごく普通の日常のなかで
何に苦しみを覚えるのだろう それとも
何に希望を抱くのだろう?
夏が開く前の雨のように あるいは
冬の前の星空のように
言葉は降るように溢れている
けれど穴の空いたフライパンみたいに
役に立たないものばかりだ


掬い上げる、という言い方は正しくない
フライパンの穴から覗くと たった一つ
河原の小石が光り出す
むろんそうでないこともある いやむしろ
そこにらくだはいないことを
初めから詩人は知っている
けれどフライパンの穴のほうが
針の穴よりずっとましだった


難し過ぎたのではない、きっと
僕らは考え過ぎていたのだ わかったような
あたかもそんなフリをして 僕たちは
大人になった気がしていた 僕らの前に
言葉が新鮮に滴っていた
僕らは一生懸命に語り合った 語り合って
何かがわかったような気になった ほんの少し
でも僕らは幼過ぎたのだ


落書きしたいような青空だ 冬になりきれない
こんな静かな一日の朝に
僕は詩人の訃報を知った テレビでも
朝刊の三面記事でもなく
ネットニュースを僕は見ていた
それは同じ言葉だが 詩人が愛した
それとは同じでない気がする
風に冷やされる前にシーツを取り込んで
詩集を開こうとおもって僕はやめた 古い友人に
電話をかけてみたくなったその代わりに
詩人が逝ってしまったぶんだけ
僕らも既に若くはない




まことにおこがましいとはおもったけれど、詩人谷川俊太郎さんの訃報を聞いてこんな詩を書いてみました。

谷川俊太郎さんを初めて知ったのは、詩集『二十億光年の孤独』だけれど、それ以前にNHKか何かの合唱コンクールで課題曲になっていたというのは、ずっとあとになって知ったことでした。僕らにとっては難しい曲で、確か出場できなかったように記憶しています。

そのあともデザイン学校で学んだ絵本だったり、マザーグースだったり、小室等さんの歌だったり、特にこちらから望んだわけでもないのに、本業の詩そのものとは違うところで、常にその作品が身近にありました。
辻邦生さんほどには影響を受けたとはおもわないけれど、やはり感慨深いものはありますね。

2節めは、もうずっと以前、それこそ歌人の俵万智さんがデビューしたばかりの頃、谷川さんが俵さんとの対談か何かで、

丸一日かけてやっとのことで一行詩を書いて、ああ今日は仕事をした、と、僕らはそんなことをやっている。

というようなことをおっしゃっていたのをぼんやりと覚えていて、そこからのイメージです。
ご冥福をお祈りします。


自宅の庭から撮影した今日の青空/撮影takizawa




今回もお読みいただきありがとうございます。
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