菜食主義者 〜ハン・ガン〜
慰めや情け容赦もなく、引き裂かれたまま最後まで、目を見開いて底まで降りていきたかった。もうここからは、違う方向に進みたい。
〜著者あとがきから抜粋〜
今年のノーベル文学賞作家で話題となっているハン・ガン氏。初めて読む彼女の著書『菜食主義者』は3篇の連作となっており、『ヨンヘ』という口数の少ない平凡な様相の主婦が、彼女の夫、実姉の夫、実姉其々の視点で描かれるというものだ。
表題にもなっている『菜食主義者』では、ヨンへがある日突然、冷蔵庫のあらゆる肉を捨ててしまう。卵や牛乳さえも。それまで美味しい肉料理を夫のために作り、自身も食べることが好きだった彼女を変えてしまったものとは何だったのか。
夫にとって妻は特に惹かれて結婚したわけでもなく、熱く愛したわけでもない。言うなれば彼女に特別な魅力がないのと同じように、特別な短所もないように思えたから結婚したにすぎない。
妻の奇行に日々不満が募っていく夫は、妻の実家の家族に相談して食事会を開く。それが悲劇の幕開けになるとは夢にも思わずに。
読者としてはスッキリしない鬱々とした1話目。ノーベル文学賞選考の基準とはいったい...と首を傾げたくなるが、次の『蒙古斑』でその疑問は打ち砕かれた。
実姉の夫の視点から見たヨンヘはまるで別人のように魅力的だ。芸術家の義兄によって裸体全身にボディペインティングされた植物の蔓や花びらは生き物のように蠢く。カメラが回る前で、しなやかにうねるヨンヘの肢体。色彩に溢れた官能的な描写に眩暈がしそうになる。
そして最後は実姉による視点。彼女のヨンヘに対する献身的な愛情深さ、我慢強さが心を抉る。
食事を拒否し、自滅的に痩せ衰えていくヨンヘ。
殻のような肉体の向こうに彼女の魂が時空を漂う。それは幼い日々に受けた父の暴力から逃れるかのように。
人間は孤独だ。お互いに知り得ないものを心に秘めている。それは親子であろうと夫婦であろうと踏み入れられない深淵なのだ。
翻訳の素晴らしさも際立つ、圧倒された作品だった。ハン・ガン氏をきっかけに自分の中で韓国文学の窓が開かれた気がする。
夢の中では、夢がすべてのようじゃない?でも、目が覚めたら、それがすべてではないってことがわかる......だから、いつか私たちが目を覚ましたら、そのときは.....
『木の花火』抜粋
暖かい場所を探し泳いでた
最後の離島で
君を見つめていた 君を見つめていた
夢じゃない 独りじゃない 君がそばにいる限り
汚れない獣には戻れない世界でも
夢じゃない 独りじゃない 君がそばにいる限り
いびつな力で守りたい どこまでも
スピッツ『夢じゃない』