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高堂つぶやき集。
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#高堂院

ハンガリーの博物館で茶を点てた際、収蔵まえの茶碗を使わせていただいた。ご夫人が逝かれたあとに師が焼いた黒茶碗で、現地の客にも愛でられていた。それから三年後の暮れ、師も急逝し、茶碗だけがその博物館に今も収蔵されている。願わくば百年おきくらいに蔵からだし、一服点てて欲しいものである。

時空越えをされた方は等しくこうおっしゃる。今ここしかなしと。たしかに真理なものの、そんな安易に聖人面される一場というのは概して醜い。やはり真理を識っていてなお、未来に声をあげ、過去を愛す方が増えて欲しい。たとえ真理から外れてもまたそれもおもしろしと視る余裕こそダンディズムである。

人は情報をちゞめて経験する。わずか3%の情報を美化して、外界を視ているわけである。その脳からの脱獄は陽を意識的に視よと先人は説く。その点で過日の海からのぼる朝陽はたしかであった。無論、朝陽と夕暮れの身体的経験はまったく異なる。陽のさらに奥を視ること。これを解脱といった。陽を視よ。

人が五感という牢獄に閉じこめられて久しい。たとえ第六感をいれたとしても、その狭さにさして変わりはない。さらに母語が牢獄の鍵として、根強く人を脳内に閉じこめる。ある程度の娯楽が獄中生活でもよしとさせるものの、やはり人は広大無辺の宇宙の外にいるべき存在なのだろう。ASAP脱獄されよ。

物語の原型は、この世からあの世へといき、再びこの世に還ってくる移動にある。これは眼の左右差から生まれたものだけれども、古くはシュメール時代の神話から視られる型なのだ。そこから幾千年も人類は経てきたが、あの世をインターネットにし、往復する姿は未だ変わらない。随分と一途な種である。

梅雨のあいま、もみじの落ち葉が苔のうえに幾つかあるのにふと目がとまった。このような紅葉は秋のことと無意識におもっていたので、虚をつかれたかたちだ。まるで竹垣のなかから、秋だけがフライングしてやってきたようである。夏のなかに秋があり、生のなかに死がある。味わいつくして、歩まれたい。

ものの良しあしを視る際は、間髪をいれなければ嘘である。間ができれば、思考という名の魔がさしてくる。純粋に生命を感じるか否かで即決されたほうがよろしい。字は概して音の死骸であるが、それでも生命を感じさせる字は存在する。逆に昨今、生命を感じさせぬ人が増えた。駄目なものは駄目なのだ。

男にはご無沙汰がないといただけない。久方ぶりにたまたま出会い、そのときの仕事ぶりを垣間見せるあたりで止めておかないと、男としては視るに堪えられなくなる。不言と不在。せめてこの二点を綱渡りしなければ、男同士の美味い酒は期待できないであろう。男はつながらない故に、つながるのである。

縄文人はこちら(here)をサトと呼び、あちらをヤマ(there)と呼んだ。ヤマは魂が集う異界であった。ヤマ登りは或る意味、神が棲まいし中央へとでかけ、神の遣いとして帰還することであった。それが故に人はヤマ登りを終えたものを英雄視し、サトとヤマのあいだに神社を建ててきたのである。

すっかり西欧化の奴隷になり、絶対美と云えば黄金律とパブロフの犬のように吠えられるが、東洋にもカネワリなる絶対美への計算方法がある。美に東西はなく、たどりつく絶対美もほぼ等しいが、ただ東洋は絶対美をだしたあと、あえて九㎜ほどズラし、近似値をとる。その微かな外れに美を視るからである。

木の根に肥点を打つことで、漢字の「本」は誕生した。上が強調されたなら「末」になり、「本末」ははじまりと終わりをいう。おそらく宇宙のはじまりも本であった。詩集からさえずりが生まれ、絵本から風景がでてきたのである。人が本を書いたのではない。本が己を読ませるために、人を誕生させたのだ。

橋には物語がある。概して川は村の外れにあり、そこに橋が架けられるパタンが多かったからだ。新しき靈は等しくあちらからやってくる。そのあちらを繋ぐのが橋であった。やがて橋は巨大になり、文明色が強くなった。真っ暗な川に映る橋の灯りを眺めていると、そこからまた物語が架けられるようである。

皆が来てくれたと祖父は微笑し、祖母の墓に花を活けた。そよ風が吹き、ふと見あげれば光に照らされた紅葉があった。葉は一様に視えながらも、そこには濃淡があった。濃淡ごとに奏でられる葉擦れが青空に響く。やがて風もやみ、千手の紅葉も祖母に合掌してくれた。そんな初夏の一葉を今年も眺めている。

過日の茶室に飾られていたお軸は『渓聲』であった。或る晩に坐っていると、水のせせらぎが釈迦の聲に聴こえたという有名な蘇東坡の句になる。眼と同様、私たちの耳には外界の聲がほとんどはいっていない。おそらく森羅万象が今朝もささやきかけてきているものの、一度も耳を傾けられたことはないのだ。