際なる漢字は天へとつながる梯子を語源に持つという。道理で瀬戸際好きな方々には、人間離れした雰囲氣の者たちが多くおいでるわけだ。そのせいか、新しきことや珍しきことも等しく際で起こる。コロナ云々でなかなか際まで行けないという場合、まずは身近なところから際を探されてはいかがだろうか。
どこの街でも、朝の市場を散歩するようにしている。日常会話が朝食越しに響き、朝から生の喜びをそこはかとなく感じられる。現地の言語で朝食メニューを少しずつ覺えていくのも醍醐味であろう。でも、人にとっての至極の御馳走は、朝いちばんのアクビになる。目覺めたら、おおきくアクビされるとよい。
時空越えをされた方は等しくこうおっしゃる。今ここしかなしと。たしかに真理なものの、そんな安易に聖人面される一場というのは概して醜い。やはり真理を識っていてなお、未来に声をあげ、過去を愛す方が増えて欲しい。たとえ真理から外れてもまたそれもおもしろしと視る余裕こそダンディズムである。
人は情報をちゞめて経験する。わずか3%の情報を美化して、外界を視ているわけである。その脳からの脱獄は陽を意識的に視よと先人は説く。その点で過日の海からのぼる朝陽はたしかであった。無論、朝陽と夕暮れの身体的経験はまったく異なる。陽のさらに奥を視ること。これを解脱といった。陽を視よ。
ハンガリーの博物館で茶を点てた際、収蔵まえの茶碗を使わせていただいた。ご夫人が逝かれたあとに師が焼いた黒茶碗で、現地の客にも愛でられていた。それから三年後の暮れ、師も急逝し、茶碗だけがその博物館に今も収蔵されている。願わくば百年おきくらいに蔵からだし、一服点てて欲しいものである。
梅雨のあいま、もみじの落ち葉が苔のうえに幾つかあるのにふと目がとまった。このような紅葉は秋のことと無意識におもっていたので、虚をつかれたかたちだ。まるで竹垣のなかから、秋だけがフライングしてやってきたようである。夏のなかに秋があり、生のなかに死がある。味わいつくして、歩まれたい。
秋の紅葉より、巫女の袴のほうが映える写真がある。前者には夏の青を背負いし赤を想い、後者には原始の赤を感じる。概して異色のあわせがその深みを際立たせるものの、それは感覚や思考といった五感の獄中での話に留まる。一切を棄て果てたさきにある景色は、血そのものの色しかないのではあるまいか。
ものの良しあしを視る際は、間髪をいれなければ嘘である。間ができれば、思考という名の魔がさしてくる。純粋に生命を感じるか否かで即決されたほうがよろしい。字は概して音の死骸であるが、それでも生命を感じさせる字は存在する。逆に昨今、生命を感じさせぬ人が増えた。駄目なものは駄目なのだ。
人が五感という牢獄に閉じこめられて久しい。たとえ第六感をいれたとしても、その狭さにさして変わりはない。さらに母語が牢獄の鍵として、根強く人を脳内に閉じこめる。ある程度の娯楽が獄中生活でもよしとさせるものの、やはり人は広大無辺の宇宙の外にいるべき存在なのだろう。ASAP脱獄されよ。
皆が来てくれたと祖父は微笑し、祖母の墓に花を活けた。そよ風が吹き、ふと見あげれば光に照らされた紅葉があった。葉は一様に視えながらも、そこには濃淡があった。濃淡ごとに奏でられる葉擦れが青空に響く。やがて風もやみ、千手の紅葉も祖母に合掌してくれた。そんな初夏の一葉を今年も眺めている。
男にはご無沙汰がないといただけない。久方ぶりにたまたま出会い、そのときの仕事ぶりを垣間見せるあたりで止めておかないと、男としては視るに堪えられなくなる。不言と不在。せめてこの二点を綱渡りしなければ、男同士の美味い酒は期待できないであろう。男はつながらない故に、つながるのである。
私はこの軀をプラハのバターのようにしたい。原型は固体と液体のあいだでねっとりしながらも、かたまるときはかたまるし、とけるときはとける。要は、英語の不定冠詞aをつけてよいのかどうか迷う、曖昧な存在でありたいのだ。でも、しばらくはおとなしく丸くなっていよう。熱々なパンと出逢うまでは。
閉館でケアンズの図書館にはいりそびれた。館内にはまだ利用者が多く残っている。暮れなずむ群青色に輝く星がやけに目についた。かつて僧侶が原本を複製した写本室が図書館の原型だからだろうか。等しく閉館後の図書館には微かに神聖さが漂う。人類への贈り物にはやはり図書館ほど右にでるものはない。
ケチケメートのラダイ博物館で茶を点てた際、石フェチな職員がおり、石談議に花が咲いた。男ふたりで話にふけっていると、「大使がきているというのに、なぜあなたたちは石の傍らから離れないの」とおそらくこのようなハンガリー語で叱ってくる女性職員がきた。いわずもがな、大使より石が大切なのだ。
木の根に肥点を打つことで、漢字の「本」は誕生した。上が強調されたなら「末」になり、「本末」ははじまりと終わりをいう。おそらく宇宙のはじまりも本であった。詩集からさえずりが生まれ、絵本から風景がでてきたのである。人が本を書いたのではない。本が己を読ませるために、人を誕生させたのだ。
水たまりに闇しか映らぬ時分の散歩は厭ではない。目立ちたがり屋の陽ざしも居留守をしておるし、街の喧騒も自粛しはじめる。なにより中空を横断する天使の羽根が黑ずんでゆく夜景がよい。惡魔なき天使なんぞにいつまで現を抜かしているおつもりか。漆黑の日輪を愛で、堕天する。これぞ夜の散歩である。
橋には物語がある。概して川は村の外れにあり、そこに橋が架けられるパタンが多かったからだ。新しき靈は等しくあちらからやってくる。そのあちらを繋ぐのが橋であった。やがて橋は巨大になり、文明色が強くなった。真っ暗な川に映る橋の灯りを眺めていると、そこからまた物語が架けられるようである。
物語の原型は、この世からあの世へといき、再びこの世に還ってくる移動にある。これは眼の左右差から生まれたものだけれども、古くはシュメール時代の神話から視られる型なのだ。そこから幾千年も人類は経てきたが、あの世をインターネットにし、往復する姿は未だ変わらない。随分と一途な種である。
過日の茶室に飾られていたお軸は『渓聲』であった。或る晩に坐っていると、水のせせらぎが釈迦の聲に聴こえたという有名な蘇東坡の句になる。眼と同様、私たちの耳には外界の聲がほとんどはいっていない。おそらく森羅万象が今朝もささやきかけてきているものの、一度も耳を傾けられたことはないのだ。
現地名しかなく、しかも私にはそれが聴きとれぬ食べ物がかなりあった。また口に入れたいと渇望するものも少なくないが、いかんせん名がわからないのだ。筆頭はZacatecasの裏路地で出逢ったパンもどきで、帰國まえに再び足を運んだが、やはり覺えられぬ音であった。やはり無名こそ美味である。
縄文人はこちら(here)をサトと呼び、あちらをヤマ(there)と呼んだ。ヤマは魂が集う異界であった。ヤマ登りは或る意味、神が棲まいし中央へとでかけ、神の遣いとして帰還することであった。それが故に人はヤマ登りを終えたものを英雄視し、サトとヤマのあいだに神社を建ててきたのである。
靈は霊に堕してから、祝詞箱を意味する「口」を三つも失い、文字通り靈力を失った。人が守護靈に依存するようになった分岐点である。肉がある奇蹟を忘れ、目に映らぬ虚へと逃げた。本来は人が靈を護るべき存在であるのに。このような心意氣を灯せば、日々、靈は肉端会議をしにやたらと人に集まるのだ。
プノンペン郊外に茶室『臨川』を創ってから、初めてカンボジア人に教えた文化はお辞儀であった。お辞儀は昔お時宜で、時が満ちて自ずと頭をさげる営みになる。日本人はすっかり忘れてしまったが、お時宜にも真行相つまりは三種類があり、TPOで使い分ける。日本人なら、たしかなお時宜をされたい。
まだ眼球にできることはあるのだろうか。こうして人は視えぬ世界へと惹かれていくが、近年、私は眼前に映る物質を愛でるようになってきた。量子的に虚構でもよい。今ここで触れる奇蹟はなかなか味わうべきものであろう。そして、やがては視ること自体が眼で触れる感覚にまで昇華していくようである。
落語家の名人が坐ると、折り目正しくされた脚が座布団と同化して視えるように、昼寝上手は床と軀の縁どりが曖昧になる。私が出逢った至極の昼寝名人は、実は人ではなかった。灼熱のなかのタイで、冷たい石のうえに睡られた神々しいお姿は今も忘れない。まるで石までもが昼寝をされているようであった。
NY Cafeの玄関には異様に反りかえった天使が彫られてある。借りができたのは着物で真夜中のブダペストを散歩した挙句、迷子になったときになる。方向音痴が過ぎ帰宅困難を覚悟した夜明けに、黒光りする天使が突如現れ、街の東西南北を私に示してくれたのであった。諸君、やはり天使は黒に限る。
すっかり西欧化の奴隷になり、絶対美と云えば黄金律とパブロフの犬のように吠えられるが、東洋にもカネワリなる絶対美への計算方法がある。美に東西はなく、たどりつく絶対美もほぼ等しいが、ただ東洋は絶対美をだしたあと、あえて九㎜ほどズラし、近似値をとる。その微かな外れに美を視るからである。
東京に豪雨が、プノンペンではしとしと雨が増えて幾年か経つ。それでも淡々と水無月には紫陽花が咲き、年月が流れた。じめじめとして敵わぬとこれまで海外逃亡をくり返してきたが、眼前に花が咲いているでせうと云わんばかりの疫病流行。傘をさし、懐にひっかかっていた時計を今朝も愛でたいとおもう。