【97】マインドフルネス実践 ー 自分の手に感謝する
ご訪問頂き、誠にありがとうございます。
本日も以下テキストで新しい課題に取り組みます。
Week4は「自分の手に感謝する」です。
自分の手が忙しなく動いているのを、まるで第三者的に見ることで、その動きを冷静に観察するという課題です。
日頃意識しなくとも、右手と左手は互いに協力し合いながら、様々な仕事をしています。
それは無意識すぎて、自分では気づいていないかもしれません。
例えば、食器を片付ける際の手の動きを見てみます。
1. 左手にスポンジを持って、右手で洗剤をスポンジにつける。
2. スポンジを右手に持ち替えて、汚れた食器を左手で持ったら、右手のスポンジでこすり落とす。
3. 一旦食器とスポンジを置いたら、左手で蛇口を捻って(左腕でレバーをあげるかもしれません)水を出し、再び左手に食器を持って右手で泡を撫で落とす。
4. 右手で蛇口を締めて、両手で食器の水を切る
5. 右手で布巾を持って、左手に持った食器を動かしながら拭いていく
食器を手洗いしようとするというだけでも、書き出すとこれだけの工程を無意識にやっていることになります。
実際には、汚れの多い部分を集中的に洗ったり、複雑な構造をしているものは、スポンジの角を利用したりなど意識している場合もありますが、それでも手の動きは自動操縦モードに入っているはずです。
この時の動きをあえて第三者的に眺めてみるというのがこのワークです。
このワークでの学び
🔸 それぞれの手が、まるでそれ自体が意志を持っているかのように動いていて、非常に独特な動きであることがわかる
🔸 右手と左手が自然に助け合い、一つの仕事を完成させていることに気づく
🔸 左手と右手は互いに、また自分の身体を傷つけることがないことに気づく。
→ すると人間関係でも同じではないかと気づく
🔸 自身の手の偉大さに気づき、感謝できる
確かに自分の手で自分の眼を突いたりすることは普通あり得ないわけです。
むしろ熱いものに触れると反射的に手を引っ込めるたり、ボールが顔に当たりそうになったら咄嗟に顔を防いだり、と自分を守ろうと動いてくれていることでしょう。
禅の世界では、このように意識しなくても体が自分自身を世話することは「本性」であり、人間が本来持っている善性や知恵が果たす機能であり、それは慈悲であると説明するようです。
千の手を持ち、その手のひらに目を持つ観世音菩薩は、この慈悲を示していると言います。
心が邪魔をしなければ人が本来持っている叡智と慈悲が共に働くはずということです。
つまり、自分の手が目を傷つけないようにできているように、人間の本性というものは、自分はもちろん他人を傷つけるようにはできていないということです。
ではなぜ人が争ってしまうようなことが起きるのか?
人間が争うのは自分を取り巻く人間関係に対する慈悲がぶつかり合うからでしょう。
自分や家族、コミュニティ、はたまた国家の単位で慈悲を発揮する。
それとは相入れない別の慈悲が目の前に立ちはだかってきた時に自分たちを守ろうとする慈悲の心が発動して争いとなるのでしょうね。
ふとそういったことを考えてしまいましたが、個人的には普段何気なく動かしている手の動きを観察してみると、意外にも複雑なので自己肯定感も高まる気がしました。
ピアノをされている方の動きは本当にすごいですよね。まさに「手が独立した生き物のよう」です!
ここまで行かずとも、普段noteを書いているこの手の動きもなかなか複雑に動いていますね。
いつも働いてくれている自分の手に感謝します😊
ここまで読んで頂き誠にありがとうございました。
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