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随筆・日記
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2024年7月の記事一覧

【朔 #161】環太平洋の水母たちに告ぐ

【朔 #161】環太平洋の水母たちに告ぐ

 階段室とはどんな部屋なのか。
              それは天使の休憩所みたいな部屋か。紫煙の淀む天井。
                 弾丸がこぼれるのと画鋲がこぼれるのは大した差がないが、七月の、
     饑神、
       はたゝ神、
           梅の色の(つまりは純白の)羽を止めて扇風機はわずかに傾いた。
                   お前にもある二つの精神の

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【朔 #160】発火するまでの蓬の腰

【朔 #160】発火するまでの蓬の腰

 埴輪の中からゑのこ草。(これが花道以上の花道?)
 鷗、鴨目、鴨長明、仮名。
 鷹が飛来して、
 私は選ばれる八人のうちの一人。
 発火するまでの蓬の腰を、桃も葡萄も、冷房車を時速如何。藻に絡まった水鉄砲はまだ何か吐き出している。交信する。村肝の、電熱線、それは昼顔、休暇、止血剤、いやいや、陳列の詩学なんて不可能かもしれない、恋々と、三叉路を渡る影は雪だるま。
 だから、
 一個の振り子になって

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【朔 #159】君は五月か何かと勘違いしている

【朔 #159】君は五月か何かと勘違いしている

 全身日焼けとは全身火傷のようなもので、よくもまあ、虫達は火傷しないもんだなと思いつつ百合の蕾の前を行く。饒舌な日もあったり、三人、新人会メンバーとして参加したが、私ひとり二十代。とりあえず、螽斯とか?
 鹿と寝たいね……。
 ほら、朝の沖。
 蟬が鳴き始める。風鈴も。
 愛なくば、
 家を訪ねてきて、何を話すのかと思ったらいきなり欅(明易き欅にしるす生死かな/加藤楸邨)の楚に飛び移った、君は五月

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【朔 #158】若さはまた

【朔 #158】若さはまた

 ああ、そうそう、
 若さについてね。
 その前にもう一杯いただけますか。
 なんせ虚子の蟬について語るのに必死で。
 はいはい、それでですね、藤田湘子と飯島晴子という俳人を……
 知らない?
 そうですか、
 いえ、教科書にもあまり載らないので、当然です。
 若さはまた餓にも似たり花葵/藤田湘子
 穴惑刃の如く若かりき/飯島晴子
 この二句なんですがね。
 両者とも自らの少年期なり青年期を回顧し

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【朔 #157】蟬の存在感

【朔 #157】蟬の存在感

 高浜虚子『五百句』(名著復刻版 近代文学館)を入手。三百円也。
 虚子の偉大さは理解しつつも、選集などを読むとどうも淡白な感じがしていた。しかし、この一冊はそんな感じが全然無い。清濁併せた虚子の世界観がよくわかる。特に心を鷲掴みにされたのは次の句。

 一読、先ずこの蟬の存在感に気付くだろうか。蟬とだけあれば、その鳴き声の喧しさを想起するだろう。しかし、この句では蟬の動作が明示されていることで、

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【朔 #156】太陽の上で昼寝

【朔 #156】太陽の上で昼寝

 全国を騒がせている、我が県の知事について書こうかと思ったが、不毛なのでやめだ。一つ書いておきたいのは、当時、私の同級生はほとんど彼に投票していたこと。私は別の候補に投票していて(自慢でもなんでもない。その候補が知事になったら、既得権益の上で安定的な県政運営がなされただろう。それを是とした時点で私も愚者です)、彼らに理由を問うと「変えてくれそう」だと。印象選挙の結末がわからないほどの愚かさを、なん

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【朔 #155】彼へ私の意識はぶつけられたのだ

【朔 #155】彼へ私の意識はぶつけられたのだ

 野村喜和夫『観音移動』(水声社)を読み終える。思うに野村喜和夫とシュルレアリスムというのは相性が良すぎる。表題作「観音移動」からして絶妙なバランスで書き切っているし、「ニューヨークのランボー」には尊敬するランボーとの対話をナンセンスともとれるリアリティに引き寄せていてそれがたまらなくシュールだ。そして、なにより「夜なき夜」。この小説集の最後を飾るに相応しい短編で主人公が若かりし日の自分と対話する

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【朔 #154】占領されている占領されているんだ矢印の矢印の先まで矢印の嵌る矢印まで

【朔 #154】占領されている占領されているんだ矢印の矢印の先まで矢印の嵌る矢印まで

 人生は使い古された手拭のように涼しい。
 、
 、  。    、
   、
               →
       、。
   ……
    。      、、
  、
 。
      、
 猫が鳴いている。野村喜和夫か。
 よくよく聞けば、
 トランペットが拉げているだけだった。
 全身筋肉痛に苦しみながら、私は、滝壺に向かう。新たな一行を得るために。
 投身するのは十代までで、

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【朔 #153】こんなところにも書くことの快楽がある

【朔 #153】こんなところにも書くことの快楽がある

 十字架にかけられた聖母、
 などという歌詞、
 なんたるイメージ!
 ストア派・・・→
 かつ、
 笑え。
 「書く」=「搔く」ことの快楽は……、
 俳人協会から出ている自註現代俳句シリーズで先月刊行された『小川軽舟集』。そのなかで「高野槙春月さらにのぼりけり」の句に付された文章にてかくあり。

 こんなところにも書くことの快楽がある。しかし、この絶対的とも言える句の抒情を見よ。モチーフだけでは

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【朔 #152】形而上的な熊

【朔 #152】形而上的な熊

 きみどりいろのこいびとが、
 天空で祝われていた──。
 朝なさな、
 藤垂れてくる、この、
 一天。
 風鈴に海を返す。
 美空ひばりだ。
 誰もかれも、
 蟬の彼方を知らない、
 無垢な頃を持たずに生きてきた。
 大阪の暮れ方は凄まじく、私に水母がたくさんあることの、形而上的な熊? 詳らかに汗の匂いさせて、肉体よりも精神が欲しい。おい、フロイト。あなたの眼光が偽物みたい。千円札はまだ野口。

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【朔 #151】鬱、美しい後年

【朔 #151】鬱、美しい後年

 カンナ?
 目が覚めればそこには日本があり、私は千里中央に突入する。
 案山子を捨てにきて、
 はてしない、
 鰡の子がきらきらと腹を光らせている──。
 カンナ?
 青鷺みたいな、白鷺みたいな、
 鬱、美しい後年、
 金魚は金魚畑で収穫され、
 相対性理論であるとともに、
 獺だ、
 獺のままだ。まだ、
 古、恋?
 カンナ?
 いくたにもふぬる/幾度も触るる唇と、生きて、来て、ふうっと、
 

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【朔 #150】渦、烏頭、鶉

【朔 #150】渦、烏頭、鶉

 黒岩徳将『渦』(港の人)を読み終えて、店を出た。軽食を済ませたような読後感は、決して容易に味わえるものではない。胃もたれもせず、物足りないわけでもない。そして、この世界の再認識可能な領域に気付かされて、炎夏七月、私は三宮駅に入る……。
 渦、烏頭、鶉、
 裸、la、二重か、
 大きな唇が都市の真上。
 カラオケは?
 空いてないって。
 残念。
 海行こ。
 行こ行こ。
 飯田龍太が、……。海驢

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【朔 #149】スタンガンください

【朔 #149】スタンガンください

 海を見ようと路地を抜けた。そこには幽霊のようなぼろぼろの花が立っていた。海月は居なかった。明日は土曜日。
 スタンガンください。
 髙柳克弘『現代俳句ノート』(ふらんす堂)が今の読書。殆ど飯田蛇笏・飯田龍太に頁を割いていて、以前から聞いていた通り、相当に影響を受けた俳人らしい。筆者の語りによって提示される蛇笏像は面白い。意外な一面を引き出してくれている。これから龍太の章へ入る。
 昨日の夢は可笑

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【朔 #148】オオサンショウウオ

【朔 #148】オオサンショウウオ

 サンショウウオと聞いて、真っ先に思い出すのはオオサンショウウオであろうか。
                半裂、と言ってください。
      犇めいて交尾するオオサンショウウオの映像、これは北海道?
            養父市へ合宿に行った際に配られた冊子には、オオサンショウウオに触れてはならぬ、と書かれていた。法令違反であるから。でも、高原にオオサンショウウオは居なかったし、オオムラサ

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