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【朔 #148】オオサンショウウオ

 サンショウウオと聞いて、真っ先に思い出すのはオオサンショウウオであろうか。
                半裂、と言ってください。
      犇めいて交尾するオオサンショウウオの映像、これは北海道?
            養父市へ合宿に行った際に配られた冊子には、オオサンショウウオに触れてはならぬ、と書かれていた。法令違反であるから。でも、高原にオオサンショウウオは居なかったし、オオムラサキも居なかった。唯一、出会えたのは霧。本当の霧は隣に居る人さえも隠しつつ、その裂け目(半裂?)から麓の建物を数軒見せる。四方の霧が薄まると、隣にはいつのまにか想い人が座っていた。私は再びレインコートを被る。
          はんざきの傷くれなゐにひらく夜/飯島晴子『儚々』
            ぷにぷにやねぇ。
                   朝比奈秋『サンショウウオの四十九日』(新潮社)が芥川賞を受賞した。巧みな文章、わざとらしくない象徴性、そして死の本質(的なさびしさ)と生の不確定に対して深く、そして直に触れることができた物語。当然の結果だと思う。表紙も素晴らしい。サンショウウオも素晴らしい。サンショウウオが二匹ぐるぐる回っている。互いを追って。
        手足浮く山椒魚の歩みかな/小川軽舟『無辺』
       九州は宮崎と鹿児島と熊本の接するあたり、山奥も山奥に泊まった時もオオサンショウウオの注意がなされた。四方を囲む山々は霧に隠れていて、その昔、合戦場であったというここには、首を洗った川があり、川というより小川であった。落ち葉が堆積して暗い水の流れにオオサンショウウオは潜んでいたのだろうか。あったのは、筍と木耳と干草と墓。猪の気配。
    サンショウウオはイモリのような大きさのもののことも指す。なんとも可愛い目をしている。なるほど、この小さなサンショウウオを想像上で膨らませてゆくと重力に耐えきれずにのっぺりと平らな体になる。これがオオサンショウウオだ。
      オオサンショウウオは夜行性である。おはよう。

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