JW457 無くなった神社
【崇神経綸編】エピソード32 無くなった神社
第十代天皇、崇神天皇(すじんてんのう)の御世。
紀元前34年、皇紀627年(崇神天皇64)。
天照大神(あまてらすおおみかみ)(以下、アマ)の御杖代(みつえしろ)である、倭姫(やまとひめ)(以下、ワッコ)は、新たな鎮座地(ちんざち)を求める旅に出た。
そして、隠市守宮(なばりいちもりのみや)に辿り着いた。
二千年後の三重県名張市(なばりし)である。
「ワッコ」の曾祖父、大彦(おおひこ)。
采女(うねめ)の香刀比売(かとひめ)(以下、カット)。
大称奈(おおねな)(以下、ねな)。
その弟、大荒(おおあら)(以下、アララ)が解説に加わる。
大彦「前回は、隠市守宮の五つの候補地のうち、二つを紹介したんだな。」
ワッコ「では、三つ目を紹介致しまする。三つ目は、三輪神社(みわじんじゃ)にござりまする。」
ねな「三輪? それって、大物主神(おおものぬしのかみ)が祀(まつ)られた神社のことよ?」
ワッコ「その通りじゃ。こちらの社(やしろ)では、大物主神が祀られておったようじゃな・・・。されど、候補地になっておるのじゃ。なにゆえかと問われても、答えられぬが・・・。」
大彦「ところで、何処(いずこ)に鎮座しているのかな?」
アマ「かつて、箕曲中村(みのわなかむら)に鎮座しておったが、今は無い・・・。」
大彦「えっ? どういうことなのかな?」
アマ「分からぬ。されど、消え失(う)せてしもうたわけではないぞ。心配無用じゃ。」
カット「そうなのです。西暦1907年(明治40)12月9日、瀬古口稲荷神社(せこぐち・いなりじんじゃ)に合祀(ごうし)されたのです。鎮座地は、瀬古口(せこぐち)にござりまする。」
アララ「あらら・・・。そういうことになっちゃった。」
ワッコ「で・・・では、四つ目を紹介致しましょう。次は、名居神社(ないじんじゃ)にござりまする。こちらも、御多分(ごたぶん)に漏(も)れず、祭神は『アマ』様ではありませぬ。」
ねな「大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)になってるわね。合祀もされてないみたいよ。」
カット「されど、こちらも候補地なのじゃ。ちなみに、鎮座地は、下比奈知(しもひなち)じゃ。」
ワッコ「で・・・では、最後の五つ目を紹介致しましょう。田村大明神(たむらだいみょうじん)にござりまする。こちらも、かつては東田原(ひがしたわら)に鎮座しておりましたが・・・。」
大彦「無くなってしまったのかな? どこかの社に、合祀されてしまったのかな?」
ワッコ「左様にござりまする。新田(しんでん)に鎮座する、美波多神社(みはたじんじゃ)に合祀されておりまする。こちらは『アマ』様も祀られておりまするので、御安心くださいませ。」
アララ「あらら・・・。そういうことになっちゃった。」
アマ「皆の者、解説、大儀(たいぎ)であった。」
大彦「では、そういうことで、悲しいけど、それがしは、これにて『くらんくあっぷ』なんだな。」
ワッコ「えっ? ひいじいさま? これにて引退と申されまするか?」
大彦「仕方ないんだな。もう、歳なんだな。」
こうして、隠市守宮の解説と共に、大彦は引退したのであった。
その翌年・・・。
すなわち、紀元前33年、皇紀628年(崇神天皇65)1月。
ここは、磯城瑞籬宮(しきのみずかき・のみや)。
崇神天皇こと、御間城入彦五十瓊殖尊(みまきいりひこいにえ・のみこと)(以下、ミマキ)は、涙を流していた。
つづく