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JW590 埴輪誕生

【垂仁経綸編】エピソード12 埴輪誕生


第十一代天皇、垂仁すいにん天皇てんのう御世みよ

西暦3年、皇紀こうき663年(垂仁天皇32)7月6日。

大后おおきさき日葉酢媛ひばすひめ(以下、ひばり)が薨去こうきょした。

ここは、纏向珠城宮まきむくのたまき・のみや

地図(纏向珠城宮)

涙にくれる、垂仁天皇こと、活目入彦五十狭茅尊いくめいりひこいさち・のみこと(以下、イク)と共に「イク」のきさきにして「ひばり」の妹たち、そして、大連おおむらじ大夫たいふたちが話し合っていた。

系図(妃たち)
人物一覧表(大連と大夫たち)

ちなみに、オリジナル設定である。 

マー「大連おおむらじ? なにってんの?! 先年せんねん大王おおきみきんじられたでしょ!?」 

ニック「せやけどなぁ・・・。やっぱり、先進国として、他国から見られへんのは・・・。」 

バタ子「何度も言いますけど、大王おおきみみことのりですから!」 

くにお「殉死じゅんしが、人々を悲しませることは、十二分じゅうにぶん承知しょうちしておりまする。されど、任那みまなの豪族たちが、日々、うれいておられることは、御存知ごぞんじにござりましょう?」 

地図(任那)

あざみ「それって、作者のオリジナル設定でしょ?! 『記紀きき』に書かれてないこと、ってしくないんですけど!」 

武日たけひ「じゃっどん、世界せかい情勢じょうせいっちゅうモンも、気にせんと・・・。」 

マー「だ、か、ら、そんなのほうっておけば、いいって、言ってるのよ!」 

ちね「ほうっておくって? なにうてんねん。そないなことしたら、ヤマトが分裂するんやで?」 

バタ子「分裂? 大仰おおぎょうな言い方だと思いますけど・・・。」 

オーカ「お・・・大王おおきみは、如何いかがおぼしにあらしゃいますか?」 

イク「ひ・・・ひばり・・・(´;ω;`)ウッ…。」 

カーケ「聞いてなかったのかね?!」 

あざみ「大王おおきみ? 殉死じゅんし禁止きんし。それで、よろしいですよね?」 

イク「いや・・・大連おおむらじ大夫たいふたちの言うことにも、一理いちり有る・・・。」 

マー「ちょっと! なにってんの!」 

イク「でも、殉死じゅんしは、いやだ。」 

ニック「せ・・・せやけど・・・。」 

イク「ほかの『やり方』をさがすんだ! 必ず、良い『やり方』が有るはずだ! みんなで考えるように!」 

こうして、大王おおきみから課題が出されたのであるが、良い意見など、なかなかず・・・。

翌日か、数日後の朝のこと・・・。

野見のみ宿禰すくねが「イク」の元にやって来た。 

系図(出雲氏:野見)

野見のみ大王おおきみ。おはようござりまする。夜の警護役けいごやくである、宿禰すくねつとめ、つつがなくえもうしたので、挨拶あいさつまかしましてござりまする。」 

イク「ああ・・野見のみか。おはよう・・・。つとめ、御苦労だったね。」 

野見のみ「ははっ。では、これにてがらせていただきまする。」 

イク「あっ! そうだ! 野見のみ!」 

野見のみ「は? 如何いかがなされましたか?」 

イク「まだ、野見のみには聞いてなかったね。此度こたび大后おおきさきみささぎについてなんだけど、殉葬じゅんそうわる、いい『やり方』ってないかな?」 

野見のみ殉葬じゅんそうわるモノ・・・。ようは、人が死なねば、よろしいのですな?」 

イク「そういうことだね。」 

野見のみ「では、つちくれをひととしては、如何いかがにござりましょう。」 

イク「つちくれ?」 

野見のみ左様さようわれ故郷ふるさと出雲いずも(現在の島根県東部)には、土部はじべと呼ばれる、職人たちがおりまする。この者たちを呼び寄せましょう。」 

地図(出雲)

こうして、野見のみは、百人の土部を呼び寄せると、はにつち(赤くてねばる土)をもちいて、人や馬、様々な物の形を作り、これを「イク」に献上けんじょうしたのであった。

様々な形

野見のみ「これよりは、この土物はにもって、人にえ、みささぎに立てましょう。」 

イク「これだ・・・。これだよ!」 

ニック「これが、埴輪はにわ起源きげんなんやで。立物たてものとも呼ばれたみたいやな。」 

バタ子「ただ、円筒えんとう埴輪はにわは、もっと前から有るみたいで、この話は、形象けいしょう埴輪はにわ起源きげんみたいですよ?」 

円筒埴輪
形象埴輪

カーケ「『バタ子』? これが、ロマンなんだぜ。」 

バタ子「こ・・・これが、ロマン・・・。」 

イク「とにかく、野見のみには、鍛地かたしところさずけよう。」 

あざみ「埴輪はにわ製作せいさく工房こうぼうってことね。」 

イク「そして、土部はじべうじさずけよう。これからは、土部はじべむらじ野見のみ名乗なのるように。」 

野見のみ「かたじけのうござりまする。」 

こうして、埴輪製作集団が誕生したのであった。 

つづく

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