JW606 高瀬の済
【垂仁経綸編】エピソード28 高瀬の済
第十一代天皇、垂仁天皇の御世。
ここは、纏向珠城宮。
日嗣皇子の大足彦忍代別尊(以下、シロ)は、ある決断を下していた。
シロ「我は、ようやく、決心がついたぞ。」
そこに、皇子に仕える、須受武良の首(以下、スズム)がやって来た。
スズム「ついに、御決断なされたのですな。」
シロ「うむ。我は、播磨稲日大郎姫こと『ハリン』を妻に迎えようと思う。」
スズム「されど、姫は逃げますぞ?」
シロ「なにゆえじゃ?」
スズム「男の求婚を受けた女が、一度は逃げ、男が、それを探し出すという習俗が有ったとか、無かったとか・・・。」
シロ「そういうことなら、致し方あるまい。受けて立とうぞ。」
こうして「シロ」は、姫が住む、針間国(現在の兵庫県南部)に向かうため、津国(現在の大阪府北部)の高瀬の済を訪れた。
シロ「二千年後の大阪府守口市高瀬町と言われておる。いわゆる、船着き場じゃ。淀川の河口と申せば、分かりやすいか?」
スズム「ところで、腰に帯びておられる剣に、何を懸けておられるのです?」
シロ「うむ。剣の上の緒に勾玉、下の緒に鏡を懸けておる。これで、三種の神器というわけじゃ。」
スズム「求婚に、三種の神器を模したモノが要り様であると?」
シロ「我らの時代には、そのような習俗があったようじゃな。」
するとそこに、一人の男が近付いてきた。
男「支度が、整ったようにござりまするな?」
スズム「ん? 何奴じゃ?」
シロ「おお! 待っておったぞ。伊志治こと『イッシー』よ。」
イッシー「媒のこと、我に、お任せくださりませ。」
スズム「媒? このような得体の知れぬ者に頼んでおったのですか?」
シロ「得体が知れぬとは、不躾な物言いじゃのう。『イッシー』は、針間国の豪族ぞ?」
イッシー「左様。御心配には及びませぬぞ。見事、媒の務め、果たしてみせまする。」
シロ「うむ。まことに、心強い。では、舟に乗ろうぞ。」
スズム「はっ。では、渡し守よ。舟を出せ。」
渡し守「あのなぁぁ。わしには、小玉という名が有るんじゃ。名で呼ばぬか!」
スズム「で・・・では、小玉殿。よろしゅう頼みまする。」
小玉「あのなぁぁ。わしは、木国(現在の和歌山県)の生まれで、長い間、渡し守をやっておるが、大王の贄人になった覚えはない!」
シロ「贄人? ヤマトの臣下ではないゆえ、舟は出せぬと申すか?」
小玉「当たり前田のクラッカー!」
シロ「く・・・くらっか? 朕公(親しく相手を呼ぶ言葉)よ。そうではあるが、ここは何とか、渡してくれぬか?」
小玉「どうしても渡りたいと仰るなら、渡し賃を賜りたいものですな。」
スズム「なっ! 汝め! まだ、貨幣経済に移行しておらぬと思って、戯言を、ほざくか!」
小玉「経済なら、いつの世も有りまするぞ。わしらの時代なら、物々交換じゃ。」
イッシー「い・・・如何なされまするか?」
シロ「うむ。では、旅の装いとして、頭につけておる、この弟縵を授けようぞ。」
小玉「弟縵?」
スズム「頭に巻く飾り物のことじゃ。ありがたく思うが良いぞ!」
小玉「た・・・たしかに、ありがたいことじゃ。燦然と光り輝いておる・・・。」
スズム「光が、広がっていく・・・。」
イッシー「こういうわけで、この渡しは『朕公の済』と呼ばれるようになったのじゃ。」
こうして、一行は海を渡り、明石(兵庫県明石市)に辿り着いた。
スズム「では、ここで、御饗と致しましょうぞ。」
シロ「そうじゃな。腹が減っておったのじゃ。」
イッシー「こうして、この地は、廝の御井と呼ばれるようになったのじゃ。ちなみに、廝とは、食事を掌る者たちのことじゃ。膳夫とも書くぞ。」
スズム「して、二千年後の何処になるのじゃ?」
イッシー「分からぬ。もはや、ロマンじゃ。」
小玉「姫を求める『播磨国風土記』の物語。皇子は、姫と夫婦になれるのであろうか。次回につづく。」
シロ「朕公よ。まだ、おったのか?」
つづく
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