JW512 神谷の神社
【垂仁天皇編】エピソード41 神谷の神社
第十一代天皇、垂仁天皇(すいにんてんのう)の御世。
ここは、丹波国(たんば・のくに:現在の京都府北部)の比治(ひじ)の真名井(まない)。
丹波道主王(たにわのみちぬし・のきみ)(以下、ミッチー)が薨去(こうきょ)した。
そして、残った家族たちは、神谷太刀宮神社(かみたにたちのみやじんじゃ)の解説をおこなうのであった。
残った家族たちとは、妻の河上摩須郎女(かわかみのますのいらつめ)(以下、マス子)と五人の娘たち。
すなわち、日葉酢媛(ひばすひめ)(以下、ひばり)。
真砥野媛(まとのひめ)(以下、マー)。
渟葉田瓊入媛(ぬばたにいりひめ)(以下、バタ子)。
薊瓊入媛(あざみにいりひめ)(以下、あざみ)。
竹野媛(たかのひめ)(以下、たかのん)。
そして「マス子」の父で、大臣(おおおみ)の尾張建諸隅(おわり・の・たけもろすみ)(以下、ケモロー)と、その息子、倭得玉彦(やまとえたまひこ)(以下、玉彦)である。
ケモロー「そ・・・それは、エピソード301で、我(われ)が質問したことだがや。」
マス子「後の世に、神谷神社(かみたにのじんじゃ)が合祀(ごうし)されると、旦那様が解説なさってますね・・・(´;ω;`)ウッ…。」
ひばり「そうだったのですか?」
マス子「エピソード301でね・・・。つつがなく、丹波平定が成るようにと、祈願して、旦那様が、社を建てはったんやけど、そのときに、神谷神社も建てはったんよ。」
マー「じゃあ、私たちが産まれる前から、神谷神社は建ってたわけね?」
ケモロー「その通りだがや。ほんで、此度(こたび)、太刀宮が建ったわけやが、このときは、別々のところで祀(まつ)られとったっちゅうことだわ。」
玉彦「ほんで、後の世になって、一つになったということか・・・。」
バタ子「じゃあ、合祀される前の神谷神社の鎮座地(ちんざち)って、どこなの?」
マス子「合祀される前は、神谷明神谷(かみたに・みょうじんだに)っていう、山林の中の開けた平坦地に鎮座してたんよ。二千年後の地名で言うたら、京丹後市(きょうたんごし)の久美浜町神谷(くみはまちょう・かんだに)よ。」
ケモロー「ちなみに、祭神(さいじん)は、大国主大神(おおくにぬしのおおかみ)だがや。」
あざみ「でも、どうして、合祀されちゃったのかしら?」
マス子「千年後に、倒れちゃったみたいね。」
たかのん「それで、再建せずに合祀しちゃったんだ・・・。」
ケモロー「ほんでも、神谷明神谷には、旗指神社(はたさしじんじゃ)が残っとるでよ。」
ひばり「旗指神社?」
マス子「太刀宮の旗持ちと言われる社(やしろ)でね。二千年後も、毎年の太刀宮の例祭では、神谷地区から大旗を立てる風習が残ってるのよ。」
マー「父上が亡くなられたあと、いろいろなことが起こるのですね。」
マス子「ところで、おとうさま? 娘たちのこと、どうにかなりませんの? 旦那様も、それだけが気がかりだったんです。丹波を治める、跡継ぎも、早う決めんとあきませんし・・・。ホントに、大王(おおきみ)は、何を考えてはるんです?」
ケモロー「わ・・・分かっとるがや。毎年、毎年、答えをはぐらかせとるが、此度こそは、しっかりと答えてもらわんとな・・・。」
こうして「ケモロー」は、国中(くんなか:現在の奈良盆地)に帰ると、垂仁天皇こと、活目入彦五十狭茅尊(いくめいりひこいさち・のみこと)(以下、イク)に奏上(そうじょう)するため、纏向珠城宮(まきむくのたまき・のみや)に参内(さんだい)したのであった。
ケモロー「大王! 『ミッチー』が薨去してしもうたがや。もう待つことは出来んでよ。大后(おおきさき)の件、一体、どうするがや!?」
「イク」は、何と答えるのであろうか?
次回につづく