JW450 狭山池を造ろう
【崇神経綸編】エピソード25 狭山池を造ろう
第十代天皇、崇神天皇(すじんてんのう)の御世。
紀元前36年、皇紀625年(崇神天皇62)7月2日。
ここは、磯城瑞籬宮(しきのみずかき・のみや)。
崇神天皇こと、御間城入彦五十瓊殖尊(みまきいりひこいにえ・のみこと)(以下、ミマキ)は、詔(みことのり)を発表した。
ミマキ「農事は、国の大きな基(もとい)じゃ。民(おおみたから)の生きる拠(よ)り所じゃ。」
合いの手として、中臣探湯主(なかとみ・の・くかぬし)(以下、クッキー)が尋ねる。
クッキー「当たり前にあらしゃいますけど?」
ミマキ「うむ。されど、川内(かわち)の狭山(さやま)の埴田(はにた)では、水が少ないゆえ、その国の百姓(ひゃくせい:多くの人たち)は、農事を怠(おこた)ってしまっておる。そこで、たくさんの池や溝を掘り、農事を広めようと思う。」
クッキー「池を造るのであらしゃいますか?」
ミマキ「その通り! その名も、狭山池(さやまのいけ)じゃ。二千年後の大阪府は、大阪狭山市(おおさかさやまし)に有る、我が国最古の人工池なのじゃぞ!」
クッキー「なるほど・・・。川内が大阪府、狭山が大阪狭山市・・・。では、埴田は?」
ミマキ「大阪狭山市の半田(はんだ)じゃ。埴田が、半田に転訛(てんか)したのであろうな・・・。」
クッキー「ほな、早速、造りますぅ。ちなみに、狭山池の近くには、狭山神社(さやまじんじゃ)が鎮座(ちんざ)しておりますぅ。鎮座地は、大阪狭山市の半田にあらしゃいます。」
ミマキ「池が造られる前から鎮座しておる社(やしろ)じゃな? たしか、天照大神(あまてらすおおみかみ)と素戔嗚命(すさのお・のみこと)が祀(まつ)られておったな?」
クッキー「それだけではありません。我(われ)の祖、天児屋根命(あめのこやね・のみこと)も祀られておりますし、中臣臣狭山(なかとみ・の・おみさやま)も祀られますぅ。」
ミマキ「中臣臣狭山? 聞いたことのない人物じゃのう。汝(いまし)の親戚か?」
クッキー「まだ登場しておりませんが、我(われ)の孫にあらしゃいます。」
ミマキ「最近、産まれてない者が出て来ておるが、流行(はや)りなのか?」
クッキー「倭姫(やまとひめ)こと『ワッコ』様のことにあらしゃいますか?」
ミマキ「そうじゃ。わしの孫なのじゃが、まだ産まれておらぬのに、活躍しておるのじゃ。」
クッキー「我らの時代は、伝承の時代にあらしゃいます。そのようなことも、有るかと・・・。」
ミマキ「そ・・・そういうモノなのか?」
とにもかくにも、狭山池が築造されたのであった。
そして、それから数ヶ月の時が流れた。
そんなある日のこと・・・。
「ミマキ」の元に、三人の人物が参内していた。
すなわち、彦太忍信(ひこふつおしのまこと)(以下、まこと)。
彦坐王(ひこいます・のきみ)(以下、イマス)。
そして、日嗣皇子(ひつぎのみこ:皇太子のこと)の活目入彦五十狭茅尊(いくめいりひこいさち・のみこと)(以下、イク)である。
イク「大王(おおきみ)? 狭山池の中に社が有るのは知ってる?」
ミマキ「唐突に何じゃ? 池の中に社じゃと?」
池の中の社とは?
次回につづく
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