JW450 狭山池を造ろう
【崇神経綸編】エピソード25 狭山池を造ろう
第十代天皇、崇神天皇(すじんてんのう)の御世。
紀元前36年、皇紀625年(崇神天皇62)7月2日。
ここは、磯城瑞籬宮(しきのみずかき・のみや)。
崇神天皇こと、御間城入彦五十瓊殖尊(みまきいりひこいにえ・のみこと)(以下、ミマキ)は、詔(みことのり)を発表した。
ミマキ「農事は、国の大きな基(もとい)じゃ。民(おおみたから)の生きる拠(よ)り所じゃ。」
合いの手として、中臣探湯主(なかとみ・の・くかぬし)(以下、クッキー)が尋ねる。
クッキー「当たり前にあらしゃいますけど?」
ミマキ「うむ。されど、川内(かわち)の狭山(さやま)の埴田(はにた)では、水が少ないゆえ、その国の百姓(ひゃくせい:多くの人たち)は、農事を怠(おこた)ってしまっておる。そこで、たくさんの池や溝を掘り、農事を広めようと思う。」
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