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航西日記(30)

著:渋沢栄一・杉浦譲
訳:大江志乃夫

慶応三年四月三日(1867年5月6日)


晴。フランス、パリ。

夜九時から、チュイルリー宮殿での舞踏会ぶとうかいを見るのに、お伴をした。

このきょは、席上に滝などをこしらえ、庭園には灯火ともしびを張りめぐらすなど、国内事務局の主催した会と同様の盛会せいかいであった。

チュイルリー宮殿は、皇帝の居城きょじょうであって、前は市街に接し、左はセーヌ川に面し、周囲は石造せきぞう長屋ながやづくりで、入り口の門々には、砲兵が警衛けいえいに立っている。

城中じょうちゅうは石できつめ、往来おうらいの自由を許している。

右のほうには、鉄垣てつえんの仕切りがあって、中ほどに石門があり、門上に石でった獅子ししかざりがある。

門の正面は、プラス・ド・ラ・コンコルドという広場のような地所ちしょで、漆喰しっくい三和土たたきになっており、数百のガスとうがある。

三和土たたき:「たたつち」の略。赤土・砂利などに、消石灰とにがりを混ぜてり、ってたたき固めた素材。3種類の材料を混ぜ合わせることから「三和土」と書く。土間どまの床などに使われる。

また、噴水があって、暗夜あんやでも灯光とうこうが、くまなく照らして、人の眉毛まゆげまでも確かめられるほどの明るさだ。

その壮麗そうれいさは、手をってたんずるほどである。

門の左右に騎兵が立衛りつえいしている。

門に入って舗石ほせきの広場に玄関のようなものがあって、内に入ると左右に階段があり、正面の屋根に国旗が立っている。

ここは広さが間口まぐち十間じゅっけん(約18m)、奥行おくゆ六十間ろくじゅっけん(約109m)ばかりであろう。

これが、王宮である。

みな、二階、または、三階建てで、まわっており、同じつくりのしょ官庁かんちょうもある。

門内往来の左には、また、広場がある。

三方とも王宮同様の構えで、ミゼイ(博物館)といって、古品物こひんぶつ陳列ちんれつしておく官局かんきょくである。

二階は油絵あぶらえ、あるいは古代の珍品ちんぴん、各国からの分捕品ぶんどりひんなどを置いてあり、初代ナポレオン在世ざいせい当時とうじの衣服、諸道具類を秘蔵ひぞうし、仏国フランスおこったさま画図がとや、持っている軍艦の模型などがある。

油絵の場所は、古代の名画など、めずらしいものがあるので、画を好む者は、男女ともに許しを受けて模写もしゃすることができる。

王宮の裏手うらてに、広い庭がある。

樹木がしげって、噴水ふんすい泉池せんちもあり、周囲を鉄垣てつえんでめぐらし、入り口には砲卒ほうそつ守衛しゅえいし、その中は、男女貴賤きせんわずに遊歩ゆうほ往来が自由で、王宮から、一目ひとめで見える所である。

平日に、皇帝がしたしく兵を指揮しきする調練ちょうれんは、この場所でおこなうという。

じつに、王侯おうこうの庭園であるということができよう。

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