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JW444 さらば桃太郎

【崇神経綸編】エピソード19 さらば桃太郎


第十代天皇、崇神天皇(すじんてんのう)の御世。

ここは、磯城瑞籬宮(しきのみずかき・のみや)。

地図(磯城瑞籬宮)

崇神天皇こと、御間城入彦五十瓊殖尊(みまきいりひこいにえ・のみこと)(以下、ミマキ)の元に、ある人たちが参内(さんだい)していた。

それは、ミマキの大伯父、大吉備津日子(おおきびつひこ)(以下、芹彦(せりひこ))。

妻の高田姫(たかだひめ)(以下、たか)。

芹彦の娘、包媛(かねひめ)(以下、カネ)。

ミマキの、もう一人の大伯父、若日子建吉備津日子(わかひこたけ・きびつひこ)(以下、タケ)と、タケの子、武彦(たけひこ)(以下、たっちゃん)。

そして、ミマキの大伯母、倭迹迹日百襲姫(やまとととひももそひめ)(以下、モモ)である。

系図(芹彦、たか、カネ、タケ、たっちゃん、モモ)

ミマキ「桃太郎が揃(そろ)って、吉備(きび:現在の岡山県と広島県東部)より参られるとは・・・。如何(いかが)なされました? よもや『くらんくあっぷ』と申されるのではありますまいな・・・。」

地図(吉備)

芹彦「うむ・・・。ミマキよ。それがしは、これにて引退となる! さらばじゃ!」

ミマキ「やはり、そうなりまするか・・・。」

モモ「そうなのよ。出雲(いずも)の神宝事件の記事が、芹彦の最後の活躍なのよね。」

地図(出雲)

たか「旦那様が引退なされるので、私も、共に引退することとなりました。」

カネ「そして、私も引退です。大王(おおきみ)・・・。名残惜しゅうございますが・・・。」

ミマキ「そ・・・そんな・・・義母上まで? そんな、一気に『くらんくあっぷ』せずとも・・・。」

モモ「ってことで、私も引退なのよね。まあ、本来なら『箸墓伝説(はしかかでんせつ)』で死んじゃってるわけだから、これだけ長く出演出来て、良かったと思ってるわ。」

たっちゃん「伯父上、伯母上様方、そして、カネ・・・。達者でな・・・。」

ミマキ「ん? 義母上も引退すると申しておるのに『たっちゃん』は引退せぬのか?」

たっちゃん「我(われ)には、まだ活躍する記事が残っておりますれば・・・。」

タケ「それに、私も出演し続けるぞ。」

芹彦「なにぃ!! なにゆえじゃ! それがしが引退するのじゃぞ?! おかしいではないか!」

タケ「されど、作者より、もう少し出演して欲しいと言われておってな・・・。」

モモ「まあまあ、仕方ないじゃない。一緒に引退出来ないのは寂しいけど、作者も、何か考え有って、そういうことにしたんでしょうし・・・。」

ミマキ「そ・・・そうなりまするか?」

芹彦「止むを得ん・・・。では、それがしが、どこに葬(ほうむ)られたのか、解説致せっ。」

ミマキ「か・・・かしこまりもうした。伯父上は、吉備中山(きびのなかやま)に葬られもうした。その名も、中山茶臼山古墳(なかやま・ちゃうすやま・こふん)にござる。」

地図(中山茶臼山古墳)
中山茶臼山古墳(大吉備津日子陵)拝所

芹彦「その通り! 吉備の地で、秋津洲(あきつしま)の弥栄(いやさか)を願っておるぞ!」

こうして、芹彦、モモ、たか、カネの四人は引退となったのであった。

そして、年が明け、紀元前37年、皇紀624年(崇神天皇61)となった。

ミマキ「わしの治世(ちせい)も六十年を過ぎたか・・・。」

するとそこに、ミマキの子供たちがやって来た。

すなわち、彦五十狭茅(ひこいさち)(以下、のまお)。

国方姫(くにかたひめ)(以下、ニカ)。

千千衝倭姫(ちちつくやまとひめ)(以下、チック)。

五十日鶴彦(いかつるひこ)(以下、イカッピ)。

倭彦(やまとひこ)である。

つづく

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