JW329 絁を織ろう
【東方見聞編】エピソード12 絁を織ろう
第十代天皇、崇神天皇(すじんてんのう)の御世。
武渟川別(たけぬなかわわけ)(以下、カーケ)は、東海地方を旅していた。
付き従う者は、下記の通り。
息子の武川別(たけかわわけ)(以下、ジュニア)。
大伴豊日(おおとも・のとよひ)。
それから、久米彦久米宇志(くめ・の・ひこくめうし)(以下、うし)である。
そして、旅の途次に加わった、多弖(たて)である。
一行は、甲斐国(かい・のくに:現在の山梨県)を訪れ、大滝神社(おおたきじんじゃ)を紹介したのであったが・・・。
民(は)「ちょいと待ちょお(ちょっと待って)!」
ジュニア「なんじゃ?」
民(は)「祭主は、誰がやるんら?」
多弖「祭主? 地元の者が、やれば良いではないか。」
民(に)「ほんだけんど(そうだけど)、ヤマトの方に祀って欲しいんさよぉ(ですよ)。」
カーケ「そんなことを言われても困るんだぜ。」
民(に)「ほんだけんど、いいら(いいでしょう)?」
カーケ「むむむむ・・・。」
豊日「カーケ様! どうするんや?」
カーケ「どうすると問われても、答えられないんだぜ。」
民(い)「紀元前507年、皇紀154年(懿徳天皇4)8月14日に、向山土木毘古王(むこうやま・とほひこ・おう)が亡くなられてから、ヤマトの方が来てないんさよぉ(ですよ)。」
ジュニア「エピソード104のことじゃな?」
民(ろ)「ほうです(そうです)。だから、祭主、やってくりょお(やってください)!」
民(は)「らちあかんけ(どうにもならないんですか)?」
うし「どうしても、夜麻登人(やまとびと)じゃないとダメなんすか?」
民(に)「やあっちゅうこん(嫌ってこと)?」
カーケ「嫌ではないんだぜ。ただ、誰を残すか・・・。」
ジュニア「父上! 我(われ)が残りまする。」
カーケ「ジュ・・・ジュニア?」
ジュニア「おじいさま(大彦のこと)と、再び会う約束を致しましたが、これも民(おおみたから)が為(ため)。おじいさまも、きっと分かってくれましょう。」
カーケ「ジュ・・・ジュニア・・・。さすがは、それがしの息子なんだぜ・・・(´;ω;`)ウッ…。」
こうして、ジュニアは甲斐に留まり、大滝神社の祭主となったのであった。
息子との別れに、後ろ髪をひかれながら「カーケ」は、更に東へと進む。
山を越え、川を渡り、遥かに広がる関東平野を歩んでいくと、ある場所に辿り着いた。
豊日「ざっくりとした感じで進んでいるんやじ。」
うし「ところで、ある場所って、どこっすか?」
多弖「何を隠そう。久自国(くじ・のくに)に辿り着いたのでござる。」
豊日・うし「ええぇぇぇ!!」×2
カーケ「もう、そんなところまで来てしまったのかね?」
多弖「カーケ様に伝承が無いゆえ、あっという間に着いてしまいましたな。」
カーケ「喜ばしいことなんだぜ。うん。これは、喜ぶべきことなんだぜ・・・(´;ω;`)。」
豊日「たしか・・・久自国とは、千年後の常陸国(ひたち・のくに)の久慈郡(くじ・こおり)を指すんやったな?」
うし「その通りっす。二千年後の地名で言うと、茨城県の常陸太田市(ひたちおおたし)や大子町(だいごちょう)などが有る地域のことっすね。」
カーケ「では、多弖とは、これにて、お別れなんだぜ。」
多弖「左様ではござりまするが、せっかくゆえ、お付き合いくださりませぬか?」
豊日「住処(すみか)を移しただけではないち、思うちょったが・・・。」
うし「なにか、やらかしたんすね?」
多弖「実は、この地に、機殿(はたどの)を建て、常陸国で初めて、絁(あしぎぬ)を織ったのでござる。」
豊日「絁?」
カーケ「絹織物(きぬおりもの)の一種なんだぜ。糸の細いモノを絹(きぬ)と呼び、糸の太いモノを絁と呼んでいたみたいなんだぜ。」
多弖「左様にござりまする。平安時代に編纂(へんさん)された『令義解(りょうのぎげ)』という書物に、そう書かれておりまするな。」
カーケ「その通りなんだぜ。その書物の一文を参考にして、大陸由来の精巧な織物を絹と呼び、国産の太くて荒い糸の方を絁と呼んでいたと、学者たちは考えているんだぜ。」
うし「でも、奈良の正倉院(しょうそういん)に残された、絹と絁には、大きな差がなくて、学者も困惑してるみたいっすね?」
多弖「もしかすると、原料の生糸(きいと)が大陸産か、国産かで、判断しているのかもしれませぬな。」
カーケ「これぞ、ロマンなんだぜ!」
豊日「その手があったかぁ。」
カーケ「ところで、多弖が成したことは、それだけなのかね?」
多弖「いえいえ、それだけではありませぬぞ。我(わ)が祖、綺日女命(かむはたひめ・のみこと)を祀る社(やしろ)を建てもうした。」
豊日「神社の名前は?」
多弖「その名も、長幡部神社(ながはたべじんじゃ)にござる。」
うし「長幡(ながはた)って、絁のことっすね? 絁を織ったから、その名前にしたんすか?」
多弖「左様。そして、後の世には、我(われ)も祀られることになりまする。」
カーケ「ところで、鎮座地(ちんざち)は何処(どこ)なのかね?」
多弖「茨城県の常陸太田市幡町(ひたちおおたし・はたちょう)にござる。」
豊日「では、これにて、多弖殿とも、お別れなんやなぁ。」
多弖「名残惜しゅうござりまするが・・・。」
こうして、一行は、多弖とも別れ、再会の地、相津(あいづ)を目指したのであった。
つづく
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