航西日記(29)
著:渋沢栄一・杉浦譲
訳:大江志乃夫
慶応三年四月二日(1867年5月5日)
晴。フランス、パリ。
午前、当地の有名な凱旋門という巨閣に登った。
この閣は、1700年代の末に、ナポレオン一世がオーストリア、イタリー諸国の戦争で殊勲を立てて凱旋した時の偉勲を後世に伝えるために、大土木を起こして建築したものであるという。
閣の全体は、横長の方面体で、全て密質の石で築いてある。
高さ約40メートル、正面の広さは約20メートル、側面の幅は、およそその半分、閣の中心およそ15メートルほどのところから円形に切り抜き、閣の下を前後左右とも自由に通行できる。
築きたてた石面には、四方とも全て神像や古代の英雄、ナポレオンの戦勝の図などを彫り、裏側には、この建築の縁起(説明書き)らしいものが記してある。
閣の下は一面に漆喰を、直径7、80メートルの円形に敷きならべ、入り口は鉄垣(金属製の柵)をめぐらして、太い鉄鎖をかけてある。
閣の下、左側の裏面に小さな扉があり、戸の中側は暗い小室で、その中ほどに石の階段があり、螺旋状に閣上に登っている。
日を限って、人々を登らせている。
門番がいて、一フランを払わされる。
石段の数は285段で、閣上にいたる。
閣は重層に建築してあり、下の一層は、歩行が自在であるだけである。
全体が石面で構成された四角な庭のようなもので、眺望は四方とも随意である。
その周囲の縁も巨大な石を胸の下あたりまで積んであり、ここから見下ろすと、正面は王室の門前に真っ直ぐ向かい合って、道路が直線で、走る事およそ18町ほど、道路は三面にわかれ、中側は広く、馬車や荷車などの通路で、両側はガス灯が立ち並び、また樹木が影をおとしている。
ガス灯の下から、両側とも人家の軒下までは、漆喰のたたきになっていて、歩く人の往来になっている。
馬車道と人行の道の境界のところどころに噴水泉を仕掛け、風で埃がたつ日には、ゴム管で水をまき、また、馬車道の端に小さな溝があって、ところどころから大きな溝に雨水を流し落とすようになっている。
パリ都下の壮麗な市街は、みな、このようになっている。
背面のガランド・アルメー街路も直線で、およそ20町ほど、その間、セーヌ川の鉄橋をこえ、初代ナポレオンの巨大な銅像が見える。
また正面の広壮な建物は、ノートルダムである。
これはキリスト教の本山のようなもので、府下第一の巨刹である。
また左に高くそびえるのは、パンテオンである。
これも巨刹のひとつで、65メートルもあるという高楼がある。
右はるかに舟が行き交うのはセーヌ川である。
岸にある二、三の巨屋は公議院、鋳銭局、外務局である。
その右の長円形のものは、博覧会場である。
右手の郊外に高く見えるのは、モンバレリヤンという、全府警衛の城である。
そのそばの樹林が鬱蒼としているのは、ブローニュの森である。
そのほか、郊外にいたるまで、配置の景観は、手にとるようである。
しかし、高所なので、目がくらんで、足に寒気を感ずる。
観終わってから下りた。