このテーマについては何回だって書こうじゃないか‼
今の会社に転職して、一ヶ月が経ちました。
現在、職種的には福祉なのですが、私の担当は「福祉支援員」という名の「会社のバランスをとる人」だと思います。
ここまでの話を聞いても、一体全体何のことかわからないと思いますが、今回は「ジェネラリスト」について書いていこうと思います。
最後までお付き合いいただけると幸いです。
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今は「個の時代」と言って「個性」であったり「個人」というものにフォーカスが当てられ、ジェネラリストよりもスペシャリストを目指す方が多いのではないでしょうか?
もちろんこの選択は間違っておらず、社会に出る中で何かに特化しているというのは、その人の「強み」であり企業にとっても即戦力が見つけやすいという意味で双方にとってwin-winな状態であると思います。
一方、ジェネラリストとまではいかなくとも、広範なジャンルを網羅的に押さえている方というのは、汎用性は高いけれども強みが見えないので、会社として…言葉は悪いかもしれませんが「使いにくいコマ」というレッテルを貼られかねません。
私は、その「使えないコマ」という役割が自分の特性に合っていると思っているので、「今からスペシャリストになろう!」とか、全く思いませんが…。
むしろ、このままジェネラリストとして、質の向上を目指していこうと考えているわけなのです。
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これまた個人的な意見ですが、こんなことを言っている私でも、若い人や好きなことがある人は、スペシャリストを目指した方が良いと考えています。
それは、先ほど述べた「強みがはっきりとわかる」ということもありますが、一般的に、何か一つを極めた人間が次の専門性を修めに行くという事の方が、キャリアパスに繋がりやすいからです。
何もかも中途半端だと受け採られやすいジェネラリストにとって、転職や異動というのは、本人にとって苦痛でなくても、企業にとっては振り分け方がわからないので、毎回悩みのタネになるのではないでしょうか?
私は現在、開所したばかりの小さな会社ではありますが、三つの職務を掛け持ちで担当しています。
業務について細かくは言えないのですが、社内と社外の役回りを、それぞれを担当させていただいています。
一般的な企業では「営業兼マーケティング」ですとか「労務兼人事」と言った兼業はあるかもしれませんが、社内統制と社外営業を担当する一般社員というのは、なかなかいないのではないでしょうか?
このような立場にいるのは、私に強みがないからでもあるのですが、それと同時に、今の経営者が、私の広範な能力に対して価値を与えてくれたからという側面もあります。
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ジェネラリストというのは、一般的にはあまり評価されません。
ですが、ニーズはあるのです。
そして、そのニーズに合致した時、どれだけのパフォーマンスを発揮できるのか?
これがジェネラリストの真髄だと思います。
では、私自身はどうなのか?と言いますと、そのような真髄を極めたというような優れた能力は全くありません。
ただ年齢的なものもありますが、質問力と課題解決力を意識するようにはしています。
どちらもコミュニケーション力の一つですが、何が問題で、それをどうすれば解決できるのか?という、どんな会社にとっても利益に繋がりやすい思考法を意識しています。
例えば、困っている消費者に対して、問題解決の一つの回答とも言えるサービスを提供する。
あるいは、社内の効率を向上させるための打ち手を、どのタイミングで、どのように打つのか?という手法は、ビジネススキルとして鍛えることもできますが、日常生活の中でこそ培われる能力だと私は思っています。
過去に投稿した記事で、私が持っている資格などに関する記事があります。
上記に記載した資格だけでも、かなり広範だと言えるのではないでしょうか?
例えば、社内のITインフラの構築が難しい状況の会社に、少しでもできる人間が加わることで、チームというのは変化することもあります。
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今回は、なんだか自分の能力を買い被り過ぎている気がして、すごく気が引けるのですが(笑)、私の能力は、企業にとって推進力を生み出すエンジンになれるのでしょうか?
個人的には、エンジンの性能を向上させる潤滑油やガソリンの役割をになっているのではないかと思っています(というか思いたいw)。
直感的に、油というのはあまり着目されることはないかもしれません。
例えば車でも、同じ排気量なのに燃費の良し悪しがあるというのは、エンジンを始め、多くのパーツが最適な状態で稼働しているからこそ、性能の差が生じると思います。
一方で、全く同じ性能の自動車に対し、ガソリンの質が違うだけでも性能の差が生じることがあります。
自動車の例ではおそらく、ガソリンに着目する人間は多いと思いますが、企業内の人材に対して、このような着眼点を持つ人間というのは少ないのではないでしょうか?
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私は、最近になってよく思うのですが、人に救われている部分が非常に多いと感じています。
キャリアや働くことに関して言えば、救われていると言うか拾われているという表現が正しいと思います。
…これまた、自分を過大評価しているようで気が引けるのですが、要するに私を原石だと信じて磨いてくれる人に出会っているということです。
この言葉を「羨ましい」と思う人がいるかもしれませんが、自分を磨いてくれる人に出会える、たった一つのポイントは「自分が行動しているかどうか?」だと思います。
自分ではあまりピンと来ませんが、学び直しで通信制大学に通ってみたり、この年齢で新たな資格に挑戦することは、同世代の中で、あまりしている人が少ない思っています(…noterさんは別w)。
単純に私の周りの人間がしていないだけかもしれませんが、それでも全体的に見れば少ない方ではないでしょうか?
そこに希少性を感じて拾い上げてくれた経営層に対し、当然に恩があるわけですから、私はその恩を返したいと思うわけです。
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私は、基本的に働くことが好きなので、この「恩を返す行為」が好循環となり、企業に貢献できる喜びを感じ、経営層も、磨いた石がただの石ではなかったと、信念や自信に繋がればいいなと思います。
経営層が何を考えているのかよく分かりませんが(笑)、それでも、このような現状に至っている要因は、すべて行動からであり、その行動というのは、どこかで無自覚に進めた最初の一歩が何よりも大事だったのだと私は思っています。
人間は「0から1へ」というのは非常に心理的ハードルを感じますが、「1から2へ」と移行することには、前者に比べ、あまり抵抗がないように感じます。
ですから、一歩前へ踏み出してしまえば、二歩目も三歩目も、自然と踏み出せるようになると私は信じています。
やりたいことがたくさんある方というのは、毎日時間がないでしょうし、お金もないかもしれません(…私だけかもしれませんがw)。
そして、自分が本当にやりたいことを見つけられないまま、社会に出ることになるかもしれません。
しかし、社会に出るときに、自分の本当にやりたいことに出会っている必要はないと思います。
社会に出てから学べばいいだけなのです。
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人の成長は人それぞれなので、必ずしも学校から社会への転換点で、次の進むべき道が決まっているはずがないのです。
就職や転職、あるいは進学を考えた際に、先が見えないと思うのは悩みではなく、むしろ当たり前のことだと思うので、どうかそこで自分自身を疑うのではなく、改めて自分を信じる機会にしてほしいと私は思います。
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ということで、最後までお付き合いいただきありがとうございました。
…余談ですが、ちょっとスキ制限が掛かっていますので、拝読遅れますことをお知らせしますm(__)m。
今回の投稿は以上です。