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「知識を得る」って賢そうだけど、何も成果を出していないよね!?
読書をしたり、勉強したり、セミナーに参加したり、ググってみたり…。
多くの人が、いろいろな方法で知識を得るために学習の機会を設けていますよね。
知識を得る。
…言葉だけ見れば、何か特別なことをしているように感じませんか?
以前の私は、新しい知識を得るたびに、それが自信に繋がると思っていましたし、知識を得ようともしない人に対して、優越感を抱いていたとも思います。
ですが、「学ぶ」という行為を掘り下げていくと、実は「知識を得る」という行為は、初歩中の初歩だということに気がつきました。
その瞬間、私が抱いていた優越感は、単なる思い込みに過ぎないと分かりましたし、いかに頭でっかちな思考だったのかを痛感しました。
ということで、今回は「知識を得てからの話」を書いてみようと思います。
私のような恥ずかしい思い込みを回避するためにも、最後までお付き合いいただけると幸いです。
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「知識」とは?
まず最初に、知識について考えてみましょう。
私たちは、どうして知識を得ることを一つのゴールに捉えてしまうのか?
それは、「知ると識る」の違いを説いてみたり、「DIKWピラミッド」において知識のヒエラルキーが上位に位置していることが原因の一つだと私は考えています。
知識という言葉を分解すると、諸説ありますが「知る=知らない情報を入手する」「識る=記憶する」と大別できると思います。
つまり、適当なカップにピンポン玉を放り込んで、一瞬でもカップに入れば「知る」であり、零れ落ちることなくカップに収まれば「識る」ということになります。
要するに、どちらもインプットすることを指しているのですが、「知るではなく識ることを目指そう」と表現してしまえば、知識の質を高めることは出来ても、その先を考える機会を失いかねません。
また「DIKWピラミッド」とは、4つの階層のピラミッド図で、下から「データ・情報・知識・知恵」という階層に分かれたものです。
DIKWとは、各名称の英語表記の頭文字を並べたものであり、検索していただければ、すぐにヒットすると思います。
このピラミッド構造だけを見れば、知識はデータや情報よりも優れていると認知できるので、知恵の一歩手前…と錯覚してしまいそうになりますが、「知恵=活用する」状態に至るには、もう一つのハードルが存在します。
それが「理解=分かる」という状態です。
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理解して、実践する。
では「知る」と「分かる」の違いから見てみましょう。
「知る」とは、先ほどインプットのことだと述べた通り、知らなかった情報を入手することです。
それに対し「分かる」とは、「知る」の次の工程であり、不明瞭な状態を明瞭にすることを指します。
知っていなければ、分かることはあり得ません。
漢字に戻すとニュアンスが伝わると思いますが、「知識を理解する」と表記すれば、二つの違いが感覚的に腑に落ちるのではないでしょうか?
さて、ここまでの「知識を得て、理解に至った状態」というのは、あくまでも脳内の活動に過ぎません。
何の行為にも成っていないとも言えます。
であるならば、次は何をすればよいのでしょう?
知恵に進むために、私たちは「アウトプット=実践する」というフェーズに移行することになります。
ここではじめて、他人が認知できる状態になるのです。
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ゴールはどこにあるのか?
「知識を得る」ことがゴールではない、という話は「理解し、実践する」フェーズまでやってきました。
ここから一気にゴールまでを考えて行きたいと思います。
では、noteでの投稿活動を例に考えてみましょう。
今、私たちは投稿活動を行うために必要な知識を理解し、実践しようとしています。
つまりはスマートフォンやパソコンと向き合い、記事を書こうとをしているワケです。
さて、せっかくなので目標を立ててみましょう。
一つの記事につき100人の方が読んでくれるよう実践を繰り返すと、どのような結果になるでしょうか?
…深く考えなくてもいいですよ?(*'▽')
個人差はあるでしょうが、いつか達成する日が来るでしょう。
目標を達成した…これを「出来る」状態になったと表現します。
そして、次はもっと容易に100人の方に読まれる記事を投稿できることでしょう。
これが「出来る=習得した」ということになりますが、余談を挟ませてもらえるなら、ビジネスの世界では、この「習得」のフェーズに到達して、はじめて収入を得る段階になったと言える状態です。
…話を戻します。
有料・無料に関わらず、知識で止まっている方に、自分の習得までの工程を教示する。
この「習得できた人が自分の歩んできた道を指し示す行為」こそが、「貢献=分かち合う」というフェーズであり、現代において、一つのゴールとなる行為だと私は感じています。
これは「共有=シェア」と言い換えてもいいでしょう。
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学習の五段階
今回進めてきた「知識・理解・実践・習得・貢献(共有)」は、学習の五段階という考え方で、NLP(神経言語プログラミング)では「無意識的無能」や「無意識的有能」という表現を使うこともあるようです。
つまり、れっきとした人間の行動科学的観点に基づいたものです。
それぞれの過程をクリアするには、膨大な時間が必要なのですが、もう一つ困難さを象徴する言葉があります。
先に述べた理解と実践の間には「習慣の壁」と呼ばれる見えないハードルが存在するのです。
これは、インプットからアウトプットに移ったあとに習得するまで継続する必要があり、個人によっては心理的な障壁となるということです。
また、習得できても、他者と分かち合うには、目先の自分の利益を捨てる必要も出てくるでしょう。
これを「自我の壁」と呼びます。
…以上、ここまでの話を遡れば、知識を得たところで満足してはいけないということを、ご理解いただけるでしょうか?
学びは一生涯をかけて没頭できるものです。
自己研鑽を忘れず、他者貢献の域に達するまで、歩んで行けたら素晴らしいですよね。
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ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。