「自分には何もない」と思っている方へ
「生きている以上、一人ひとりには、この世のための使命がある。」
「才能が一つもない人間なんていない。」
「何もないなら、何か始めることが重要だ。」
…いやいや、そうは言っても、何にもないんだもん(;´・ω・)。
このように考えている方もいるのではないでしょうか?
ごくたまに、それでも「あなたはまだ、自分の可能性に気付いていないだけだよ‼」といった言葉で、良かれと思って洗脳してくる方もいるでしょう(言い方w)。
…もしかしたら、私も洗脳しようとする一人かもしれません(;一_一)。
ですが、今回は「本当に何もなかったら、生きる価値はないのか?」ということについて書いてみようと思います。
最後までお付き合いいただけると幸いです。
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結論から申し上げると、生きる価値しかありません。
自分の中に、やりたいことや目指すものがないというのは、空の器を宿していると考えることができると思います。
多くの人の場合、自分の内にある器には、自分自身で満たされています。
よく言えば自己実現欲求ですが、悪く言えばエゴイストです。
…厳密には違いますが(笑)。
とは言え、ほんの少しでも器に他人を許容できる余裕があるならば、それが社会貢献や他者貢献を行えるキャパシティになるでしょう。
「自分には何もない」というのであれば、あなたの器は、そのほとんどを自分以外の存在への貢献に使えるということです。
これは「ホスピタリティ」の原資となる素質だと思います。
たいていの人は、わずかな許容量で貢献活動を行いますが、受け容れられる他者の心は微量であるために、いつしか器から自分の心があふれ出し、メンタル不調になってしまうこともあるでしょう。
ですが、空の器は、より多くの他者の心を受け止めます。
私は、これを才能と呼びたいのです。
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「自分には何もない」ということは、「自分は何者なのか?」を決定づける存在が自分ではなく他人となるでしょう。
「自分のことは自分が一番よく理解している」という言葉がありますが、さまざまな研究結果から、「自己評価」よりも「他者評価」のほうが、その人物を正確に捉えているという検証が成されています。
何者でもない自分を何者かにしてくれるのは、他者の存在です。
その他者を受け容れる器を持っている…と考えれば、これは才能だと思うのです。
以前、似たようなテーマで書いた記事があります。
他者との関係性が在って、はじめて開花する能力を秘めている方は、「自分には何もない」と考える傾向にあるのではないか?
このような仮説から、今回の記事はスタートしています。
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個人的な意見ですが、自分のみで何かを成す人間は、ごく少数だと思っています。
他者との関わりと、ほんの少しのセレンディピティ(思いがけない幸運)が、あなたを何者かにする要素だと思います。
つまり、あなた自身がどうなりたいかという意志は、何者かになるのに必要ないケースが一般的だと思うのです。
過去の偉人や成功者のサクセス・ストーリーには共通点があります。
それは、自分の人生を大きく左右する出会いと、思いがけない幸運です。
パナソニックを一代で築いた松下幸之助さん。
彼が採用面接の最後に「あなたは運がいいですか?」と尋ねるというエピソードは有名ですよね。
ここでの「運」とは、人との出会いである「人運」と、人生の岐路に正しい選択ができる「天運」の二つを指しているのだと思います。
「自分にはこれがある!!」と自負する人間は、どちらかの運を手にしているかもしれませんが、一つを手にしていることで、もう一つの運を見過ごしていることもあるように感じます。
ですから、「自分には何もない」と思うのであれば、常に謙虚に「人運」と「天運」を得るための行動を続けることが大切なのだと思います。
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究極的には、人は何者かになる必要すらないのかもしれません。
「何者か」という言葉自体が、可能性を狭める表現かもしれないのです。
ですから、「自分には何もない」というのは、もしかしたら、限りなく理想的な存在を象徴する表現なのかもしれませんね。
…考えすぎですかね!?(;´・ω・)
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ということで、最後までお読みいただきありがとうございました。
今回の投稿は以上です。
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