見出し画像

「介護の大変さを、少しでもやわらげる方法」⑩「悲しみや嘆きを、無理に抑えないこと」

   いつも読んでくださる方には繰り返しになり、申し訳ないのですが、私は、臨床心理士/公認心理師の越智誠(おちまこと)と申します。家族介護者の心理的支援を仕事にしています。

 さらに、すでにご存知のことかもしれず、すみませんが、私も家族の介護をしていた時期があります。(リンクあり)。その時間の中で、家族介護者の方の、こころのサポートが必要だと考え、臨床心理士になりました。

 介護をされている方にとっては、いつ終わりが来るか分からない毎日が、ずっと継続している感覚だけは、周囲の状況が、今のようなコロナ禍になったとしても、もしかしたら、変わらないのかもしれません。そして、その感覚は、他の方々には、なかなか理解されにくいことだと思います。

 このnoteの記事も、できたら、家族介護者の方のために、少しでもお役に立てれば、と始めて、続けています。「介護の大変さを、少しでもやわらげる方法」は、今回で10回目になりますが、「悲しみや嘆きを無理に抑えないこと」について、お伝えしたいと思います。

「悲しさの表し方」について

 社会の文化的な背景について、詳細を語れる能力も資格もありませんが、それでも、一般的に「悲しさ」に対して、どのように思われているかついての印象はあります。

 たとえば、突然、ご家族を失った方の葬儀の場面。
 夫を亡くされた配偶者の妻の方が、喪主となり、涙も見せずに、あいさつもされた時に、とても立派だと思われ、今の日本社会でも、かなり評価されることだと思います。

 逆に、突然の死を受け入れられず、泣き崩れて、あいさつもできない方がいらっしゃった場合は、それは、故人への思いの強さが現れていて、それも、立派なことだと、個人的には思うのですが、でも、そのほうが自然なことにもかかわらず、今の日本社会では、まだ、前者「悲しさがあるのはわかるけれど、それを外へ見せない」方が、より「評価」される傾向があるように思っています。

 それは、もしかしたら、生活のすべての場面で、今だに見られる傾向かもしれません。

「前向きの呪い」

 やや大げさな表現になってしまいますが、「前向きの呪い」としか思えないようなことは時々、あります。
 とても辛いことや、悲しいことや、理不尽な出来事に遭遇し、どうしようもなく、無力感や絶望感に陥っている時には、とても明るくはなれませんし、まして笑うことなど出来ない方が、人として自然だと思います。

 今は、それほど言われなくなったのかもしれませんが、一時期、「辛い時ほど笑顔で」というような言葉をよく聞きました。それは、確かに本当の事の一つでもあるのですが、この言葉が意味があるとすれば、悲しさや辛さの中にある人が、その一番底にある時には、おそらくは周囲が何も見えないくらいだったのが、ほんの少しだけ余裕を取り戻し、ふと、この言葉が目に入り、どこかで納得感が広がって、少し笑顔になれるような時だと思います。

 いい言葉があるのよ、といったような姿勢で、とても辛い状況の中にいる人に、外側から、こうした「辛い時ほど笑顔で」といった言葉を投げかけるのは、その大変な状況にいる人にとって、その言葉をかけてくれる行為は、「善意」だけに、より辛くなる可能性があります。

 もちろん、人によっては、そうしたことが、それこそ「前向き」に作用することもあると思いますが、少なくとも、私にとっては、そうした様々な「前向きワード」は、介護で、とても辛い時には、まるで「呪い」のように感じることも少なくありませんでした。

悲しさを受け止める難しさ

 自分にとって大事な人であっても、目の前でとても悲しみ、涙を流したりしている場合に、その悲しさを、そのまま静かに受け止めるのは、そのこと自体も、大変なことなのは間違いありません。

 その受け止める辛さを逃れるために、悲しみの中にいる人に「前向きな言葉」をかけてしまうのも、ある意味では自然なことだと思います。

 だから、少し意地悪な見方だとは思うのですが、「前向きな言葉」は、悲しみを受け止めることの大変さを避けるために、発せられている可能性もあるかもしれません。

 その言葉をかけてくれる方の「善意」を疑うものではないのですが、人間の気持ちとして、「前向きな言葉」が発せられる時に、そんな理由もあるのだろうか、と考えたこともあるのは、どうして「前向きな言葉」が「呪い」になることがあるのか、その理由を知りたかったからです。

 これが正解かどうかは、分かりませんが、悲しさといった強い感情は、周囲の人への影響が大きいということかもしれません。そして、それを受け止められない場合がある、というのも自然なことだと思います。

認知症の悲嘆

 この本は、何度も紹介しているので、またかと思われる方もいらっしゃると推察するのですが、今回のテーマにもふさわしいと考えたので、引用させてもらいます。

 認知症の悲嘆を抱える人の立場は不利になります。愛する人の認知症からもたらされる喪失は止まることなく、長年にわたることもありますから、悲しみを乗り越えたり、悲嘆し終えたりはできません。何も悪くなくても、悲しみが慢性的なものになるのです。

 こうした慢性的な悲しさの中にいる時に、その「悲しさ」を理解されたり、受け止められる前に、「介護うつ」という言葉を、介護者が知らないところで、専門家によって、投げかけられることも少なくありません。

家族介護者と専門家の「目盛り」の違い

 認知症のご家族を介護されていると、極端な言い方をすれば、毎分、毎時間、毎日、微妙な変化があり、それは、多くの場合は、ネガティブな変化であり、家族介護者の気持ちに、そのたびに負担がかかっていると思います。

 その変化は、昨日まで出来たことが、できなくなったり、今までの「その人らしさ」が少し欠ける、といったことなので、日常的に見ていると、悲しさに襲われることになりがちです。

 それは、そうした微細な変化に気がつくからこそ、おそらくは細やかな介護を可能にしていると思うのですが、その一方で、その繊細さが、介護者の負担になってしまうという矛盾もあるので、なんともいえない気持ちになることもあります。

 そして、そうした微細な変化に気がつくことによって、専門家の見方とは少し違うことになる可能性もあります。

 以前も書いたと思うのですが、医療関係者や介護の専門家からみると、その症状の変化に対しての「目盛り」が、家族介護者とは、違うように思います。(この場合は、医療関係者と、介護の専門家でも違うと思いますが)。

 一番、細かい「目盛り」で、要介護者を見ているのは、おそらくは家族介護者です。24時間、365日介護を続け、介護が必要になった家族をずっと気にかけ続け、だからこそ、わずかな変化にも反応し、場合によっては悲しんだり、ショックを受けたりしていると思います。

 それは、もう少し大きい「目盛り」で、要介護者を見ている専門家から見れば、そんなに細かい変化に反応しなければいいのに、といった気持ちになることもあるかもしれません。

 そして、この認識のギャップが、時として、介護者への「理解」から遠ざけてしまうこともありえます。

 私の知見からすると、介護者が慢性的な悲哀を抱えていることが孤立の原因になります。そうした悲しみに恐れを感じて、人々が距離を置くのです。(中略)周囲は悲しみを鬱という名で片付け、孤立から楽にしてあげるような手は何も打たないことがよくあります。 (「認知症の人を愛すること」より)。

 それは、孤立感という介護者のストレスになる要因を作ってしまうと思いますから、この「悲しさ」に関して、周囲の専門家が「理解」をしようとし、孤立感を少しでも軽減させる行為や言動があれば、それ自体が、介護者のストレスを和らげることになりそうです。

悲しみや嘆きを、無理に抑えないこと

 こうして、周囲の人たちも、「善意」にも関わらず、家族介護者が、率直に悲しんだり、嘆いたりすることが、暗黙のうちに抑制されている環境に、誰もがいるように思います。時には、家族介護者の内面に、その抑制をさせてしまう考えがあることも、少なくない印象があります。

 それが、悪いわけではありません。ただ、悲しい時に、悲しんだり、嘆きたい時に、嘆くことは、心身の苦痛を、少しでも和らげるための働きでもあるはずです。

 途中でも嘆くのを良しとしましょう。新しい喪失に気づいたら、その大小にかかわらず、嘆いたら良いのです。(「認知症の人を愛すること」より)

 さらに、これは、国立がんセンターで数多くの癌患者に話を聞いて支えてきた精神科医の言葉なので、介護と一概に一緒にしたり、比べたりするのは、どちらの方々にも失礼になるかもしれません。それでも、辛い状況にいる人の振る舞いとして、参考になると思いました。

 つらい出来事に出会ったとき、悲しみに暮れる気持ち、怒りに震える気持ちも押し込める必要はありません。むしろこれらの負の感情にも重要な意味がありますので、心に蓋をしないことが大切です。

 どなたか、温かく肯定的に見守ってくれる人がいて、その前で、悲しんだり、嘆いたりできれば、大変さは、かなり和らぐとは思うのですが、そうした人がいなかった場合は、安全な場所で、一人でもいいので、悲しい時は、悲しんだり、嘆いたりし、そして、そのことを、ご自分だけでもきちんと認めてもらえたら、少しでも大変さはやわらぐ可能性があります。

 もし、よろしかったら、試みていただければ、幸いです。また、この方法がフィットしない時は、他の方法も紹介していますので、参考にしていただければ、ありがたく思います。

 今回は、以上です。


(他にも、いろいろと介護のことを書いています↓。読んでいただければ、うれしく思います)。



#介護相談       #臨床心理士  
#公認心理師    #家族介護者への心理的支援    #介護
#心理学       #私の仕事   #気分転換
#家族介護者   #臨床心理学   #気持ちを楽にする方法

#介護負担感の軽減    #介護負担の軽減

#孤立感   #悲しみを抑えすぎない   #リラックス

#推薦図書   #介護相談   #コロナ禍  





この記事が参加している募集

 この記事を読んでくださり、ありがとうございました。もし、お役に立ったり、面白いと感じたりしたとき、よろしかったら、無理のない範囲でサポートをしていただければ、と思っています。この『家族介護者支援note』を書き続けるための力になります。  よろしくお願いいたします。