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『「介護時間」の光景』(212)「クスリ」。6.25。

 いつも、このnoteを読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして記事を、書き続けることができています。

 初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 私は、臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

介護時間の光景

 この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。

 個人的な経験にすぎず、細切れの記録になってしまいますが、それでも家族介護の理解の一助になれば、と考えています。

 今回も昔の話で、申し訳ないのですが、前半は、19年前の、2004年6月25日の話です。後半に、2024年6月25日のことを書いています。

(※ この『「介護時間」の光景』シリーズでは、特に前半部分の過去の文章は、その時のメモと、その時の気持ちが書かれています。希望も出口も見えない状況で書いているので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば幸いです)

「通い介護」

 1999年から、母親に介護が必要になり、介護中にいろいろとあって、2000年には、自分自身も心房細動の発作になりました。医師に、「過労死一歩手前です。もう少し無理すると死にますよ」と言われたこともあって、母に病院に入ってもらうことにしました。自分が病気にならなかったら、ずっと家でみようとしたのかもしれません。

 その頃、妻の母親(義母)にも、介護が必要になってきましたが、私は、母親のいる病院に毎日のように通っていました。帰ってきてからは、妻と一緒に義母の介護をしていました。

 そして、仕事をすることを諦めました。転院してからも、母親の状態は波があり、何の前触れもなく、ひどくなり、しばらくすると理由もわからずに、普通に話ができるようになったりしました。
 医学的には、自分が病院に通っても、プラスかどうかわかりません。だけど、そのことをやめて、もしも二度とコミュニケーションがとれなくなったら、と思うと、怖さもあって、ただ通い続けていました。これは、お見舞いといったことではなく、介護の一種であり、「通い介護」と名づけてもいい行為だと思うようになったのは、それから何年かたってからでした。

2004年の頃

 2004年の前半は、母の状態も安定していて、病院に通う頻度を少し減らしても、大丈夫なように思えていました。

 少し先のことが考えられそうな気がしていたので、気持ちまでやや明るくなっていたような時でした。

 その頃の記録です。

2004年6月25日

『病院までのバスで、知っているスタッフと乗り合わせ、誕生日のことを少し話す。

 6月は母の誕生月だった。

 病院に着いたら、母は、この前外出で出かけた水族館のことを、みんなに聞かれた、と喜んでいた。

 夕食は45分。

 病院の相談室の人が、辞めちゃうらしい、という話を聞いた。

 え。もっとお礼を言いたかったのに、と思った。

 午後7時に病院を出ようとして、出入り口のところで、その相談室の人に会った。

 4年前にこの病院に転院してきて、その時から、いてくれた人だった。

 異動だそうだ。

 残念です、という言葉が適切かどうかわからないけれど、そう言っていた。

 そして、ここに入院するときに、家族の話まできちんと聞いてくれて、どれだけありがたかったかを伝えた。

 あの時があるから、今があるのは本当だと思う。

 ありがとうございました、と言えた。

 外は雨が降っている』

クスリ

 自分の心臓をみてもらうために、病院へ行く。

 母が入院している病院からそれほど遠くない場所。

 空が広い。

 心房細動の発作を起こしてから4年が経つけれど、ずっとジゴキシンとバッサミンと胃の薬は飲み続けていて、治るわけではないらしい。だから、きれいな病院だけど、気持ちは重い。

 待合室で待って、呼ばれて、医師に、この前、発作を起こしそうな感じがしたので、その話をした。

 そうしたら、脈が飛ぶときに気をつけてほしい。それが何回かあって、その時に頓服でいつも持ち歩いている青と白のカプセルのサンリズムというクスリを飲んだ方がいい。

 そうするとその二時間くらい後に来る発作を防げるかもしれない。

 そういったことを言われたのだけど、そんなわずかな変化に気づけるだろうか。自分で気をつけるしかないのだろうか。

 病院を出る。

 空はやっぱり広く見える場所だった。

 それが気持ちいいと思えないことが多い。

                        (2004年6月25日)


 その後、2004年の10月に母の肝臓にガンが見つかり、手術もして、一時期は回復したものの、その翌年に再発し、母は2007年に病院で亡くなった。

 それからも、義母の在宅介護は続けながら、心理学の勉強を始め、大学院に入学し、修了し、臨床心理士になった。介護者への個別で心理的な支援である「介護者相談」も仕事として始めることができたが、2018年の年末に義母が103歳で亡くなり、妻と二人でずっと取り組んできた在学介護が、突然終わった。昼夜逆転の生活リズムを修正するのに、思ったよりも時間がかかり、そのうちにコロナ禍になっていた。


2024年6月25日

 関東も梅雨入りしたようだ。

 だけど、急に暑くなったりすると、気持ちは夏に近づく。

 今日はにわか雨が降るかもしれないけれど、基本的には気温も高いので、洗濯をするには大丈夫そうだが、明日からまた雨らしい。

 通常の洗濯物だけではなく、少し前にやっと使わなくて済むようになった、冬用の寝具を洗うことにしたのは、干す場所に多少の余裕がありそうだからだった。

 庭にも、いろいろな花が咲いている。

 いま目立つのは、青紫色のルリマツリだった。

認知症予防

 「認知症予防」という言葉を目にすることが多いのだけど、専門医さえ、この言葉を使う人がいることに割り切れない思いになることがある。

 それは、「認知症」、特にアルツハイマー型認知症は、原因が特定されていないので、どれだけ気をつけてもアルツハイマー型認知症になるのだから、あらかじめ防ぐことが不可能な以上、「予防」という言葉は医学的な正確さを考えれば使えなくなると思っているからだ。

 認知症になった患者を目の前にしていたら、とても認知症予防などということをうかつに言えなくなるような気がするのだけど、それは逆に不遜な発想なのだろうか。

 ただ、少なくとも、「認知症予防」に関しては、医師として疑問を持っている人がいるのを知った。専門は麻酔科医、外科医で、高齢者のデイケアを併設したクリニックで働き、認知症の人にも数多く接している経験と、その立場だから率直に語れるのだろうか。もし、高齢者の精神科の専門医であった場合、その立場によっては、厚労省などに対して、ある種の遠慮が出る可能性も考えられるからだ。さらには、小説家としても活動している著者のペンネームとしての執筆だから、よりストレートに語れるかもしれない。。

 例えば、「介護予防」や「認知症予防」に関して。

 ネットで検索すれば、医者が推奨するものにも、驚くような予防法があります。(中略)中には「寝たきりにならないよう心がける」というのまでありました。心がけで寝たきりにならないのなら、だれも寝たきりにはなりません。

(『人はどう老いるのか』より)

 さらには、厚労省などの「認知症予防」についても、こうした指摘をしている。

 驚くのは厚労省の「認知症予防・支援マニュアル(改訂版)」(平成21年)にも、「認知症予防・支援の対象とアプローチ」として、「生きがい型のポピュレーション・アプローチ」というのが挙げられていることです。内容は「例えば、囲碁、将棋、麻雀、園芸、料理、パソコン、旅行、ウォーキング、水泳、体操、器具を使わない筋力トレーニングなど、一般の地域高齢者が自立的にそうした生活習慣を増やしていくことによって、認知症の危険因子を低減しようとするものである」とあります。これからは毎日を楽しくすごすには役立つでしょうが、とても認知症の発症を防げるとは思えません。

 国立長寿医療研究センターが出している「認知症予防マニュアル」(平成23年)には、「多面的運動プログラム」として、「ホームプログラム運動」「有酸素運動」「脳賦活運動」などが挙げられています。特に興味を惹きそうな「脳賦活運動」には、縦足横歩きや、床に梯子を置いて複雑な歩き方をする「ラダーステップ」などが挙げられています。これも筋力の低下予防や、脳の老化を遅らせる効果はあるかもしれませんが、認知症とは直接関係のないものです。
 暗算や漢字の書き取り、右手と左手で別の動きをするとか、両手で常に右手が勝つジャンケンをするなどの、いわゆる脳トレも、脳の老化を遅くする効果はあるかもしれませんが、認知症とは無関係の行為です。
 以前、国立長寿医療研究センターが提唱したコグニサイズ(脳を使いながら軽い運動をするもの。ステップ台昇降をしながらのしりとりや、ウォーキングをしながらの引き算など)も注目されましたが、最近ではあまり耳にしません。やはり認知症予防の決定打というわけにはいかなかったのでしょう。
 さきに紹介した両マニュアルは、どちらも十年以上も前のもので、最近のものは見当たりません。その理由は厚労省のマニュアルにこう書かれています。
「認知症予防については、予防の根拠が明確になっていないこと、対象がはっきりしないこと、その方法が明確でないこと、また、認知症予防の知識や技術を持った人材が不十分なこと、そして、効果評価の方法が確立されていないことなどの理由を挙げることができる」
 さすがは厚労省、正直な記述ですね。

(『人はどう老いるのか』より)

 どうして、「認知症予防」が現時点では無理なのか。

 それについては、医師としては常識のはずの、病気に関しての基本的な視点から納得のいく理由を示してくれている。

 認知症という病気の本態は、未だ明確にはわかっていないのです。脳内の異常タンパクは見つかっていますし、認知症のタイプ分けはできていますが、本態は未だ不明です。
 すなわち現在の認知症の治療は、たとえて言えば、結核菌が見つかっていない時代の結核療法のようなものといえます。日光浴や転地療養、牛乳や卵の摂取、大気療法(海風にあたる等)、さらには人工気胸や肺虚脱療法(肋骨を切除して結核病巣を押しつぶす)などで、一定の効果もあったでしょうが、とても根本的な治療とは言えません。
 結核という病気は、結核菌が発見されてはじめて、正しい予防と治療が可能になったのです。
 認知症は未だその結核菌に当たるものがわかっていないので、あらゆる予防と治療は、結核の通俗療法と大差ないと言わざるを得ません。
 つまり、認知症の予防として確実に有効なものは、ないというのがほんとうのことです。

(『人はどう老いるのか』より)

 現在、「認知症予防」とされている様々な方法は、「健康長寿」のためのもの、と言い換えればいいのに、と思う。

 その上で、認知症になったとしても、安心して暮らせる社会を目指す方が、より「正しい」目標ではないかと思うのだけど、それは今も少数派の発想なのだろうか。

 とても微力なのは自覚しているけれど、現在、続けさせてもらっている、家族介護者への個別な心理的支援としての「介護者相談」も、「認知症になったとしても、安心して暮らせる社会」のための仕事でもある、という気持ちはある。

 そんなことも考えた。


(他にも、介護のことをいろいろと書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)



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越智誠  臨床心理士/公認心理師  『家族介護者支援note』
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