「介護の大変さを、少しでもやわらげる方法」⑨人とのつながりを絶やさないようにする。
家族の介護をされている方は、こうした、コロナ禍の日常になる前からも、毎日、ずっと気が抜けない時間が続いていると思います。
いつ終わりが来るか分からない毎日が、ずっと継続している感覚だけは、周囲の状況がどうなっても、もしかしたら、変わらないのかもしれません。そして、その感覚は、他の方々には、なかなか理解されにくいことだと思います。
いつも読んでくださってる方には繰り返しになり、申し訳ないのですが、私は、臨床心理士/公認心理師の越智誠(おちまこと)と申します。家族介護者の心理的支援を仕事にしています。いつも読んでくださる方には、繰り返しになり、申し訳ないのですが、私も家族の介護をしていた時期があります。(リンクあり)。その時間の中で、家族介護者の方の、こころのサポートが必要だと考え、臨床心理士になりました。
このnoteの記事も、できたら、家族介護者のために、少しでもお役に立てれば、と始めて、続けています。今回は、「⑨人とのつながりを絶やさないようにする」です。それには、まずは孤立感のことから考えたいと思います。
孤立感のつらさ
介護をされていると、様々なことがあると思います。
最初は、混乱。慣れてきても、介護の行為の大変さもありますが、いつ終わるか分からない拘束感による辛さも続くと思います。これは、介護における負担感の中でも、もっともやわらげるのは難しいことでもあると思います。
さらには、これは人によって違いもありますが、とても辛い負担感につながることに、孤立感があります。
介護を始める前に、社交関係が多く、人と会うことが多い方であっても、介護を始めたあとには、要介護者の方から目を離せなくなるようになりますから、だんだん外出も難しくなり、とたんに人と会う機会が少なくなっていきます。
時間的に厳しくなっていく上に、ずっと続く介護のために、おおげさでなく、24時間365日の緊張感によって疲労が積もっていき、人に会ったり、話したりする体力や気力自体が減ってしまって、そのこともあって、人と会う機会がより減っていくと思います。
さらには、もし人と会ったとしても、その時に、例えば、問われて介護の話をしたとしても、そのことに対して、その大変さに対して、時として、あまり理解されていない言葉をかけられるようなこともあるかもしれません。
介護をしていても、その介護を労われたりする前に、どうしてそんなに熱心に介護をしているのか、といった疑問みたいなことを向けられたり、場合によっては、在宅介護を続ける介護者に向けて、そして、そのことをなんとか続けたいと、疲労の中で決意し、覚悟もしているのに、施設入所をすすめられたりすることもあるかもしれません。
それも、相手の方にとっては善意であるので、抗議することもできず、あいまいに笑ったり、「考えてみる」と小さい声で語ったりして、そのあとに、さらに疲労感が増したりすることもあると思います。
それは、ある意味では、仕方がないのかもしれませんが、それでも、ただ人と会えないだけでなく、人に理解されない、ということで、その孤立感は、物理的にも、精神的にも強くなっていく可能性もあります。
そして、この孤立感は、介護負担自体に加えて、介護をしている人を、より辛くさせてしまう要素だと思います。その上、この孤立感というものは、解消するのも難しいと考えられます。
家の中での孤立感
場合によっては、もしかすると、ご家族の理解があまり得られない時もあるかもしれません。
介護をしていて、その大変さがあって、それが終わらないのに、そのことを労われるよりも、介護はして当たり前に見られてはいないでしょうか。介護をしていて、何かちょっとした失敗があったり、要介護者の体調が、介護の質とは関係なく、調子が悪くなったり、もしくは、どれだけ丁寧に介護をしても、食欲が減退し、体重が落ちたりすることもあるのに、「やせたんじゃない」などと、指摘されたりすると、なんとも言えない気持ちになったりすることは、ないでしょうか。
どうして、自分だけが、こんな状況にいるのだろう、と思う時に、社会から切り離されたような気持ちはしないでしょうか。
夜寝ていて、わずかな気配の変化や小さな物音によって、目がさめて、要介護者の方の様子をみにいって、何もなくて、ホッとして、また寝床に戻った時に、そばで寝ているご家族は、全く起きる様子もなく、寝ている姿を見た時に、なんとも言えない気持ちになったりすることも、あるかもしれません。
さらには、やはり、同じように夜中に目が覚めて、要介護者を見にいくと、そこには、至急、いろいろな処理をしなければいけない事態が起こっていて、一瞬、怒りや悲しさや後悔みたいな気持ちは湧き起こってくるものの、自分ひとりでなんとかするしかなくて、疲労感が高まった中で、さらに疲労を積み上げていくような時間があり、やっと終わって、ちょっとホッとして、そして、再び寝ようとすると、そこには、何事もなく、ただ寝続けているご家族がいて、それで、また気持ちが重くなったりして、その自分の気持ちの動きに対して、嫌悪感が生じていることは、ありませんか。
今日もいろいろと介護をしてきて、それが何時かわかりませんが、やっと眠れる時に、その自分の今の毎日に対して、どうして、ここにいるのだろう。そして、その気持ちを共有できる人が、家族がいたとしても、同じ家に住んでいたとしても、いないことに気づいた時に、なんともいえない薄い絶望につながってしまうかもしれません。
ここまでの孤立感のエピソードは、これまでの自分の経験や、いろいろと聞いてきた話を、分解して、組み立て直した一種のフィクションでもあるので、もしかしたら、読んでいて、私は違うと思われる方もいらっしゃるかもしれません。それでも、家族介護者の孤立感は、さらに家族介護者の心身を追い込むことであるのは、間違いないと思います。
つながりを、考えられない時期
それまでの、つながりがあった人と会って、その時に、理解されないという孤立感があり、さらには、善意であっても向けられる言葉が辛い場合には、人と会うこと自体が苦痛になり、まったく社会と断絶したような生活を続けることもあると思います。
それ自体は、おそらく、自分自身の心身を守るために、介護以外の負担感を少しでも減らそうとする自然な反応であるような気もします。それで、とにかく目の前の介護に集中する時期も必要だと思います。
だから、もしかしたら、その状況にある介護者の方は、こうした文章そのものを受け付けないのかもしれません。それは伝え方の未熟さもあるので、申し訳ないと思う気持ちもあるのですが、そうした外部からの情報などを遮断したいのかもしれません。
それは、ただ、ご自分を責めることではなく、単にそうした時期があるのは、ある意味では自然なので、そういう時には、無理に人とつながることはないと思います。
その時期に慣れて、もちろん介護の負担自体が目に見えて減る、ということはないかもしれませんが、ほんの少し余裕みたいなものが出て、そのことでかえって、自分自身の孤立感に気がつく、ということがあるかもしれません。
そうした時に、孤立感は仕方がない、として、それを抱え込んだまま、介護を続けていくのも一つの選択肢だと思うのですが、もしも、少しでも、人とのつながりを取り戻したいと思うのであれば、そのことを、介護を続けながらでも、始めてみるのは、どうでしょうか。
家族とのつながりを、少しずつ取り戻す
無理せず、少しずつで、大丈夫です。
たとえば、同居するご家族がいらっしゃって、同じ家にいながらも、介護については無理解だと思っている時は、いきなり介護のことを理解してもらうのは、難しいと思います。それでも、そのご家族と、もう少しつながりを持ちたいという気持ちがあるのであれば、少しずつ、会話を増やすのは可能でしょうか。
おそらく、孤立感が強い場合は、日常的な会話そのものがなくなっている可能性もあります。最初は、天気の話とか、何気ない話でいいので、声をかけて、言葉が返ってこなくても、淡々と繰り返すうちに、少しずつ会話が弾むという時間が訪れるかもしれません。
そして、ご家族の話すことも聴けるような少しの余裕ができる頃には、おそらくは、介護の話もできて、以前よりは、少し理解してくれるようになるかもしれません。
ただ、そのためには、最初は少しずつから始めることと、あとは、途中でいやになったり、無理だと思ったら、そこであきらめていいのだと思います。
無理をすることはありません。
ただ、そこまでの努力や工夫は、無駄ではないと思います。少し孤立感は減っているかもしれません。
家の外での、つながりを取り戻す
あとは、今も、介護を続けていたとしても、普段の生活の中で、たとえば買い物に行ったりすることはあると思います。介護で負担が大きい時は、うつむき加減で、人と目を合わせることもできなかった可能性もあります。
もし、そこから、少し余裕ができてきたら、そして、商店街のような場所がそばにあって、少しは言葉をかわせるところであれば、ほんの一言でも二言でも、話をしてみると、少しずつ変わってくるかもしれません。それは、たとえばコンビニのような場所でも、人とのつながりの度合いでいえば、かなり軽いものかもしれませんが、それでも、そうしたことがあったほうがいいと思います。その毎日の積み重ねは、意外と心に(いい意味で)効いてくるように思います。
さらには、もしも、さらに人とのつながりを少しでも取り戻すのであれば、会いたい人に連絡をとるのもいいのかもしれません。無理のない範囲で、無理のない方法で連絡をとるのがいいのでは、と思います。いったん切れてしまったと思い、そして、再び、つながりを戻したいのであれば、今は、手紙や電話だけでなく、メールやライン、SNSなどがありますから、どの方法であっても、連絡をとられてもいいのでは、と思います。
それで、いい反応がなければ、それでしばらくあきらめて、また違う機会を待ってもいいと思いますが、つながりを取り戻そうと試みたことは、孤立感を減らすことに対しては、マイナスにならないと思います。
新しいつながりをつくる
決して、負担が減ったわけではないと思いますが、介護に慣れると、気持ち的には、ほんの少しの余裕ができ、改めて、ご自身の孤立感に気づくこともあるかと思います。
もしも、何かしらの人とのつながりの必要性もあると思い、同時に、その時に、かつてのつながりを取り戻すのには難しい、と思われた時には、新しいつながりを作られることも考えたほうがいいのかもしれません。
今、介護をしていると、どこかに出かけることもできずに、時間をつくることも難しいと思います。それでも、少しでも孤立感を減らしたい、という思いが起こってきたときに、もし、ご家族や友人や知人なども含めて、つながりを取り戻すのが難しいのであれば、他のところに目を向けるのは、いかがでしょうか。
今、介護をされていて、もしも、介護サービスを使っているのであれば、介護の専門家と会う機会があるはずです。その期間がある程度たつと、その人たちが、どんな人間たちかも分かってくると思います。
そういう人たちと、もしも、事務的な付き合いだけでなく、もう少し距離を詰めてもいい、できたら、詰めたいと思う人がいらっしゃれば、今までよりも、少しずつ、介護の悩みなどをお伝えするのは、どうでしょうか。
場合によっては、仕事とはいえ、きちんと受け止めてくれる人がいるかもしれません。そういう人がいれば、孤立感が少しでも減るような気がします。
さらには、もしも、機会があれば、家族会など、自助グループなどに参加してみるのは、どうでしょうか。こうしたグループに参加するには、相性もありますので、必ず合うかどうかは分かりませんが、そうした会に参加されたら、もしかしたら、思った以上に「理解」してくれる人との新しいつながりができる可能性もあります。(家族会については、ケアマネの方や、最寄りの地域包括支援センターに問い合わせれば、教えてもらえると思います)。
心の家族
今までのことが、どうにもやる気になれない。もしくは、やってみようとしたり、少し試みたけれど、かえって、嫌な思いをされてしまった方もいらっしゃるかもしれません。そうした場合には、実際の人ではなく、ある意味で、想像の存在に力を借りる方法もあります。
今は故人でも、大変な時に元気づけてくれた人がいたなら、そのままその人を心にしまっておきましょう。彼らの言葉を思い出し、あなたが成り代わって、自分自身にその言葉をかけてみます。想像の世界で受ける支援は、実際の世界での支援と同じくらい、ストレスを軽減してくれることもあります。
これは、アメリカの研究者が書いた本で、何度も紹介したと思うのですが、長く介護の研究に関わり、大勢の介護者への調査も実施しているようですので、文化の違いはあるかもしれませんが、これならば、安全に試してみることができると思います。
この応用として、たとえば、フィクションであっても、もしくはいわゆる有名人であっても、自分が好きだったり、尊敬できるような人であれば、このような方法を試してみてもいいのかもしれません。
今回は以上です。
少しでも、負担感が減ればいいのですが、もしも、合わない場合は、他の方法も試していただければ、(リンクあり)幸いです。
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