『「介護時間」の光景』(206)「恐竜」。5.16。
いつも読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして書き続けることができています。
(※この「介護時間の光景」シリーズを、いつも読んでくださっている方は、よろしければ、「2001年5月16日」から読んでいただければ、これまでとの重複を避けられるかと思います)。
初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
私は、臨床心理士/公認心理師の越智誠(おちまこと)と申します。
「介護時間」の光景
この『「介護時間」の光景』シリーズは、介護をしていた時間に、私自身が、家族介護者として、どんなことを考えたのか?どんなものを見ていたのか?どんな気持ちでいたのか?を、お伝えしていこうと思っています。
それは、とても個人的で、断片的なことに過ぎませんが、それでも家族介護者の気持ちの理解の一助になるのではないか、とも思っています。
今回も、昔の話で申し訳ないのですが、前半は「2001年5月16日」のことです。終盤に、今日「2024年5月16日」のことを書いています。
(※この『「介護時間」の光景』では、特に前半部分は、その時のメモをほぼそのまま載せています。希望も出口も見えない状況で書かれたものなので、実際に介護をされている方が読まれた場合には、気持ちが滅入ってしまう可能性もありますので、ご注意くだされば、幸いです)。
2001年の頃
個人的で、しかも昔の話ですが、1999年に母親に介護が必要になり、私自身も心臓の病気になったので、仕事をやめ、介護に専念する生活になりました。2000年に、母には入院してもらい、そこに毎日のように片道2時間をかけて、通っていました。妻の母親にも、介護が必要になってきました。
母の病院に毎日のように通い、帰ってきてからは、妻と一緒に、義母(妻の母親)の介護をする毎日でした。
入院してもらってからも、母親の症状は悪くなって、よくなって、また悪化して、少し回復して、の状態が続いていました。
だから、また、いつ症状が悪くなり会話もできなくなるのではないか、という恐れがあり、母親の変化に敏感になっていたように思います。
それに、この療養型の病院に来る前、それまで母親が長年通っていた病院で、いろいろとひどい目にあったこともあって、医療関係者全般を、まだ信じられませんでした。大げさにいえば外へ出れば、周りの全部が敵に見えていました。
ただ介護をして、土の中で息をひそめるような日々でした。私自身は、2000年の夏に心臓の発作を起こし、「過労死一歩手前。今度、無理すると死にますよ」と医師に言われていました。そのせいか、時々、めまいに襲われていました。それが2001年の頃でした。
周りのことは見えていなかったと思いますが、それでも、毎日の、身の回りの些細なことを、メモしていました。
2001年5月16日
『午前9時頃に病院から留守番電話が入っていた。
今日は、病院でのハイキングは中止になり、病院内でのレクリエーションに変更ということだった。
午前10時30分頃出かけて、午後12時20頃に病院に着いた。
1階の広い部屋では、もうカラオケ大会も終わっていた。
母は、まだ弁当を食べていた。盛り上がらない宴会のようだ。
崎陽軒のシウマイが好きだったはずだけど、それを持っていって、それからサンドイッチも少し分けたのだけど、反応は薄かった。
同じテーブルの高齢者の患者さんの3人くらいは帰る、と言い出して、ちょっと混乱している。
久しぶりに洋服を着ている母の姿を見て、ここになじんでいる感じで、もうすっかり痴呆老人なんだ、と思ってしまった
もう治らないんだな、とも思って悲しくなった。確かに悲しいと思う。
4階の病棟に戻ってきて、いつもと同じで、ホッとする。
この前、良くなったような気がして、少しでもはしゃいだ気持ちになった自分が愚かだった。
そろそろ外出してみよう。来週くらい、いや再来週くらいには、などと思う。
冷蔵庫の中に入れておいたジュースが昨日から3本もなくなっている。一応、1日1本くらいとは思っているけれど、全く飲まないよりはいいかもしれない。
「院長先生が、カラオケ歌ったのよ」
急にそんな話になったのだけど、私が来た時は、もうカラオケも終わっていたから、聞いてみた。
「院長先生は、何時頃、来てたの?」
「時間は、わかんない。今何時?」
時間を答えて、日付も伝える。
「え、16日なの?今日?」
そう驚いたあとに話題は変わる。
「カーネーションの水は、毎日変えてるの」
と病室に置いてある花びんを見て、笑っている。
時間が過ぎていく。
午後1時30分くらいには病室に戻ってきていたから、それからテレビを見たり、話をしたり、病棟内を一緒に歩いて散歩をしたりした。
時間が長いと思っていたら、いつも病院に着く午後5時過ぎくらいになっていた。
そんな時間の話になったら、急に真面目な顔になり、断言する。
「いつも時計は動いていない。いつも5時10分くらい」
夕食は午後5時30分からだった。
あまり早くないけれど、結構食べた。
考えれば、ものすごく平坦な時間だった。
何もない時間がただ過ぎていく。
ずっとここにいたら辛いのだろうか。
午後6時10分頃、病院を出る。いつもは午後7時だから、少し早めだった。
バスの中で、去年の6月に、母に対していろいろと言い過ぎたのかもしれない、と思っていたりしたら、寝ていた。
最寄りの駅まで病院からだいたい30分くらい。
いつもよりも早く着いた。
まだ明るい』
恐竜
黒と白の服。今のファッションと感じさせるようなキャリア風の50代くらいの女性。
次の駅に着く少し前に立ち上がった。
小さいゴミが、その人から落ちた。電車の床に落ちた。たぶん手帳かメモの切れはし。4本足に頭にしっぽ。その切れ端の形が、きれいに恐竜に見えた。
(2001年5月16日)
それからも、その生活は続き、いつ終わるか分からない気持ちで過ごした。
だが、2007年に母が病院で亡くなり「通い介護」も終わった。義母の在宅介護は続いていたが、臨床心理学の勉強を始め、2010年に大学院に入学し、2014年には臨床心理士の資格を取得し、その年に、介護者相談も始めることができた。
2018年12月には、ずっと在宅介護をしていた義母が、急に意識を失い、数日後に103歳で亡くなり、19年間、妻と一緒に取り組んできた介護生活も突然終わった。2019年には公認心理師の資格も取得できた。昼夜逆転のリズムが少し修正できた頃、コロナ禍になった。
2024年5月16日
天候は曇っていた。
少し肌寒くも感じたのは、自分が寒がりなだけかもしれない。
妻に聞いたら、これから晴れて気温も上がってくる、ということだった。
だから、洗濯を始める。
柿の木
いつも、同じようなことを言っているけれど、上を見上げると柿の葉がさらに密度を増すように、うっそうとした緑になってきたように思う。
今年の春になるまでに、これ以上高くならないようにと、太めの枝を思い切ってかなり剪定し、庭が切り落とした枝でいっぱいになったような時期もあったのに、いつの間にか枝が伸びて、いつもよりも葉っぱをたくさん生やして伸ばしているようだった。
それはちょっと驚くような強さを感じていたのだけど、最近、さらに葉っぱが増えたようで、なんだかすごいと思っている。
命日
おとといの5月14日は母の命日だった。
あれから、17年が経つ。
その間に、大学院に通って臨床心理士の資格を取ったり、妻の母親が亡くなり19年間の介護生活が終わったり、コロナ禍にもなった。
家族介護者への個別な心理的支援の実践と並行して、社会にも、その必要性を伝えようとしてきたが、なかなかうまくいっていない。
それでも、たまには仏壇に線香をあげて手を合わせたいと妻に言ったら、最近、毎日仏壇の前で手を合わせることは続けているが、少し前から線香に火をつけることはなくなり、そのため家には今は線香はないらしい。
それならそれで大丈夫だと思ったのだけど、妻は近所の友人に連絡をとり、その友人の方は親切にも、お線香を分けてくれることになった。
さらに妻はお供えする柏餅も買ってきてくれて、二人で仏壇の前で手を合わせた。
この17年間、おかげで生きてこられたと思った。
これからもちゃんと生きていかないと、とも思った。
運動
以前、こうした記事を書いた。
ずっと意識が介護に向いている介護者の場合、運動をすることによって、強制的にでも、少しの間だけでも、気分転換ができる運動は、できたら試していただきたい、
そうした提案をしたのだが、残念ながら、このときは具体的な方法を提示できなかった。ただ最近、短い時間だけど、運動そのものに集中できるやり方を見つけた。
ここで紹介されているHIITという方法は、1セット4分程度だが、全部を行うと、かなりの負荷になるのだけど、そのうちの1種目・20秒のトレーニングだけなら、誰でもできるのではないかと思った。
一部だけを行うのは、トレーニング法としては適切でないかもしれないが、こうした短い時間でも実際に取り組むとかなり長い時間だと感じるし、その間は確かに他のことが考えられなくなると思った。
もしよかったら、気持ちを少しでも楽にするために、確かめてもらいたいと思う方法だった。
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