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介護について思ったこと⑪「埼玉の事件」で考えさせられたこと。

 初めて、読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
 臨床心理士/公認心理師越智誠(おちまこと)と申します。

 いつも読んでくださる方は、ありがとうございます。
 そのおかげで、こうして書き続けることができています。

(この「介護について、思ったこと」を、いつも読んでくださっている方は、『埼玉の事件』から読んでいただければ、繰り返しが避けられるかと思います)。

自己紹介

 私は、元・家族介護者でした。介護中に、当事者が納得できるような、介護者への心理的支援が足りないと思い、生意気かもしれませんが、自分でも専門家になろうと考え、勉強し、学校へ入り、2014年に臨床心理士になりました。2019年には公認心理師の資格も取りました。

 さらに、家族介護者の心理的支援のための「介護者相談」を始めて、ありがたいことに9年目になりました。

(よろしかったら、このマガジン↓を読んでもらえたら、これまでの詳細は分かるかと思います)。

介護について、思ったこと

 このnoteは、家族介護者に向けて、もしくは介護の専門家に対して、少しでも役に立つようにと考えて、始めました。

 もし、よろしければ、他の記事にも目を通していただければ、ありがたいのですが、基本的には、現在、話題になっていることよりも、もう少し一般的な内容を伝えたいと思って、書いてきました。

 ただ、ある事件があり、その報道によって、改めて思うことがありましたので、もしかしたら傲慢で失礼なことかもしれませんが、そのことについて考えたことを、お伝えしようと思いました。
 よろしかったら、読んでいただければ、幸いです。

埼玉の事件

 2022年の1月下旬。
 母を亡くした男性が、立てこもり、医療関係者らを射殺した事件がありました。

 ニュースでは、介護していて、母が亡くなった後、この犯行に及んだと報道されていました。
 その後、この犯人の異常性を強調するような記事などを目にしたのですが、しばらく経つと、話題からは消えていきました

 これまで、介護者が、要介護者を殺してしまう事件については、残念ながら、今でも二週間に一度は発生していると言われていますが、この事件のように、介護が終わってしまった後に、関係者を殺害する、という事件は、ほぼ聞いたことがありません。

 私自身も、元・家族介護者でもあり、今は、家族介護者の支援に関わっているので、他人事とは思えなかったものの、もちろん詳細は分かるはずもないので、noteでも、何かを言ってはいけないのではないか、と思っていました。

 ただ、1月以上が過ぎ、やはり気になった点がいくつかあったので、もしかしたら、こうしたことに触れることが傲慢な行為かもしれませんが、それでも考えたことを、少し伝えようと思いました。

報道の表現

 その報道に関して、やはり、今でも、少し考えたほうがいい点はある、と思っています。

 この記事については、すでに精神科医斎藤環氏がTwitterで批判もしているのですが、今後の影響を考えると、こうした部分も、個人的には気になります。

 自らは働かず、寝たきりの親の年金収入を生活の糧とする家族の中には親に対して際限なく延命治療をリクエストするケースが少なくない。それは、愛する親を死なせたくないという気持ちゆえの“懇願”であることもあるが、“金目当て”と感じる医療者も多い。

 私も、未熟とはいえ、介護者支援の専門家の一人ではあるのですが、寝たきりの親を介護することになり、仕事をやめざるを得ない人は、多くの場合は、働かないのではなく、その介護負担の重さのために、働けない状態にあるのでは、と感じています。

 こうした記事の見出しが「寝たきりの親にパラサイト」とあるので、同じような状態にある人を、敵視する方向へ誘導するような表現に思えてしまいます。

年金について

 同じような表現は、別の報道でもありました。

介護中心の生活で定職に就けず、頼みは母親の年金だけと言っていたね。家賃の保証会社に40万円を滞納し、強制執行で追い出されたこともあった」(地元の不動産関係者)
 極貧でも母にはカネに糸目をつけず使った。地元の介護タクシー業者によれば、「予約をドタキャンされることも多々ありましたが、通院や買い物で3~4時間も乗車を延長していただくことがあった。料金も1万5千円くらいになることもあって、お金には困っていない印象でしたが……」
 介護タクシーで家から離れた川越市内のメガネ店を訪れたこともあったそう。
「母親の補聴器を買いに来た容疑者は、“お母さん”と呼びかけ大事そうに世話をしていた」(メガネ店販売員)
 車椅子を押しながら、老母に頬を寄せ仲睦まじそうに語り掛けていたという渡辺容疑者。その心情を、少しでも周囲へ振り向けられなかったのだろうか。

 寝たきりの母親を介護していて、それを生活の中心にすれ(せざるを得ないと思いますが)ば、働く時間にも制限がかかる上に、介護の負担や負担感ものしかかるし、年月が経つほど、心身の負担も重くなる。そうなれば、親の年金に頼る率が高くなる場合は、少なくないと思います。

 それ自体は、介護の一つの形ではないでしょうか今の介護をめぐる制度の中では、場合によっては、必然的に取らざるを得ない方法だとも思います。

 この記事のように「年金依存」という見出しをつけて、そういう生活自体を「悪」のようにしてしまうと、似たような環境にある人が、事件後に、必要以上に追い詰められることを心配するのは、考え過ぎでしょうか。

介護についての報道

 そして、報道によっては、全く違う印象を受けます。

 地域の自治会長を務めた男性(91)によると、渡辺容疑者は2019年3月ごろ、母親と2人で民家に引っ越してきた。間もなくあいさつにきたが、「母親を看病してますから、近所付き合いはできない」と告げたという。
 母親はベッドで横になっていることが多かったといい、家にはヘルパーらが出入りしていた。男性は事件について「そんなことをする人に見えなかったので、驚いている」と話した。
 近所の女性(76)も自治会費の集金で、渡辺容疑者宅を数回訪れたことがあった。「ドアを開ける時はいつも半分だけ。呼び鈴を何度も押してやっと出てきてくれた」とし、「お母さんを付きっきりで介護しているから、なかなか出られない。大変そうだった」と明かす。
 身柄を確保された際に移送される姿をテレビで見て、「憔悴(しょうすい)しきっていた。親孝行の人だと思っていた。お母さんが亡くなって精神的に参ってしまったのかな」と語った。


だが、実は事件の予兆は1年前からあったようだ。地元の医師会の相談窓口に渡辺容疑者はたびたび、介護の悩みを電話していたという。担当者が当時を振り返る。
「渡辺容疑者から去年の1月以降、約15回相談の電話がありました。『食事を食べない』『排せつをしない』というのが主な内容だったと思います。鈴木先生は92歳の母親の体調を慮り、無理な投薬などは勧めていない様子でしたが、渡辺容疑者は『最後まで診て欲しい』と何らかの手を打つことを望んでいたようです。治療方針を巡って双方で意見に食い違いが生じたことが、鈴木先生に不信感を抱くきっかけになったのかもしれません。
 渡辺容疑者から最後に電話があったのは1月24日でした。私が話を整理して、『もう1回先生と話をしてみたら』と伝えると、『そうですか、聞いてみます』と素直に答えていましたよ。激高したりする様子もなく、淡々と話していました。ただ、以前から『ご飯もお風呂も全部自分でやっている』と言っていましたし、介護サービスなども利用していないと聞いていたので、介護の悩みを1人で抱え込んでいるのではないかという心配はしていました」

介護者支援について

 この人物は、少なくとも、約3年、介護をしていたことになります。

 それも、一人で、寝たきりの母親を介護をしていたようです。こうした報道だけで全てが分かるわけではありませんが、介護を丁寧にしていた可能性も低くありません。そうであればあるほど、介護者への負担は、重くなったと考えられます。

 3年も一人で介護をしていて、しかも、相談相手は、医師会(同時に、実際に関わっている医療関係者)だったようなので、具体的な方法については聞けても、自分の悩みや苦しみを伝えられる場所があったかどうかは、分かりません。

 介護をしている家族(要介護者)が、認知症であれば、歴史のある相談窓口も存在します。

 こころの悩みについても、相談できる窓口もあります。

 ただ、特に男性は(私も男性ですが)、誰かに自分の気持ちを話すこと自体が苦手な人も、少なくない印象があります。

 身体介護も、長くなればなるほど、体だけでなく、気持ちが追い込まれる可能性が高くなります。

 やはり、介護者に対しての、個別的で心理的支援ができる窓口を、全国の市町村全てに設置するようにしたほうがいいと、いつもながら思います。

 それについては、自分も、その関係者になっているので、自らの努力不足もあり、恥ずかしさもありますが、それでも、やはり、介護者支援については、さらに考えていく必要があると思います。

介護殺人について

 2006年に起こった介護殺人事件については、こうした記事になっています。

 裁判では検察官が、長男が献身的な介護を続けながら、金銭的に追い詰められていった過程を述べた。殺害時の2人のやりとりや、「母の命を奪ったが、もう一度母の子に生まれたい」という供述も紹介すると、目を赤くした裁判官が言葉を詰まらせ、刑務官も涙をこらえるようにまばたきするなど、法廷は静まり返った。
 判決を言い渡した後、裁判官は「裁かれているのは被告だけではない。介護制度や生活保護のあり方も問われている」と長男に同情した。

 埼玉の事件そのものを擁護はできませんが、それでも、今回も、少なくとも、介護制度の中の介護者支援は問われている、と思いました。

 こういう場所で、他人事のように指摘することも、傲慢なような気もしますが、それでも、今後も、介護者支援については、もっと考えていくべきだと思っています。





(他にも、いろいろと介護について書いています↓。よろしかったら、読んでいただければ、うれしいです)。



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