『「介護時間」の光景』(59)「エスカレーター」。5.25.
いつも読んでいただいている方には、本当に繰り返しになり、申し訳ないのですが、私が介護に専念している頃のことです。
前半は、14年前の「2007年5月25日」のことです。後半に、今日、「2021年5月25日」のことを書いています。
自己紹介
私は、元々、家族介護者でした。
1999年から介護が始まり、2000年に、母は転院したのですが、私は病院に毎日のように通い、家に帰ってきてからは、妻と一緒に義母の介護を続けていました。
様々な葛藤がありながらも病院に通い続けて、何年かたった頃、母の症状は安定し、病院への信頼が高まってしばらく経った、2004年の頃、母はガンになりました。手術もしてもらい、一時期は症状も落ち着いていたのですが、2005年に再発し、もう積極的な治療もできなくなりました。
その後は、外出も増やし、旅行へも行きました。
2007年の春頃は、明らかに体調が下がってきていました。
覚悟をしなくてはいけないようなことを病院のスタッフから言われるようになってから、また時間が経ちました。
そして、5月14日に母は亡くなりました。
葬儀も終えた後のことです。
そんな頃の記録ですが、それまでと比べると、記録する文章量が圧倒的に少なくなりました。
2007年5月25日
「心臓の発作が怖い。
心臓の薬を飲む。
葬式も終了した。
1日、雨が降っている。
薬は飲んだけれど、心臓の不安が続く」。
エスカレーター
ほとんど乗り降りをした事がない駅。
電車を乗り換えるために、下りのエスカレーターに乗る。
ベルトとけっこうな幅の金属のスペースをへだてて、上りのエスカレーターが隣に並んでいる。
エスカレーターに何本か続けて乗って、さらに下っていく。
隣は、何本か続けて、どんどん上がっていく。
片方をあけているから、そこを人が歩いて登っていくのも見える。
こちらが下りに乗っているせいか、その登っていく姿は、ものすごく早く、すごく滑るようにスムーズに移動しているように見える。
(2007年5月25日)
それからも、義母の介護は続いた。
2018年年末に、義母が亡くなり、介護も突然、終わった。
2021年5月25日
ごみ収集の日は、いわゆる「井戸端会議」が始まることも多いようだ。
このあたりは、住民の平均年齢も高く、ご高齢者も少なくない。
このところの話題は、「ワクチン」に関することらしい。
すでに予約を済ませた人。そこにいない人の予約に関すること。何日も予約をしようとしているのに電話がつながらなかった人。眠れないくらい不安で、やっと予約ができた話。
そのベースにあるのは、どうなるのか分からない不安のようだった。
そんなことを妻から聞いた。
もう少し安心させる方法もできたはずなのにと、思う。
刺身
少し前まで、新しい緑色をしていた柿の葉も、さらに大きくなり、繁り、その上、緑色も濃くなってきている。
今日は、午後から雨が降るかも、という情報を知り、とにかく洗濯をしなければ、と思い、洗濯機を回す。
いつものように、穏やかに時間が過ぎ、昼食を食べて、午後から妻に買い物に行ってもらった。ご近所の方にいただいた自転車に乗り、かなり荷物が多いことや、近所の小さいスーパーの駐輪場の問題もあって、一度、帰ってきてから、再び、出かけた。
日差しは強い。
録画していたドラマを見ていたら、チャイムが鳴った。
ご近所の方に、魚をいただいた。
マグロとブリ。
とてもありがたい。
妻は、今日は暑いから、お刺身が食べたいと思い、カツオを買ってきていた。それに加えて、マグロの刺身もいただいたので、今日は、刺身定食が食べられる。
すごくうれしい。
妻は、とても笑顔だった。
改めて、ありがたいと思った。
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