『「40歳を過ぎて、大学院に行く」ということ』⑰「停滞」と「目標」
いつも、このnoteを読んでくださっている方は、ありがとうございます。おかげで、こうして記事を、書き続けることができています。
初めて読んでくださっている方は、見つけていただき、ありがとうございます。
私は、臨床心理士/公認心理師の越智誠(おちまこと)と申します。
(この『「40歳を超えてから、大学院に通う」ということ』シリーズを、いつも読んでくださっている方は、「純粋」から読んでいただければ、重複を避けられるかと思います)
大学院で学ぼうと思った理由
元々、私は家族介護者でした。
1999年に介護を始めてから、介護離職をせざるを得なくなり、介護に専念する年月の中で、家族介護者にこそ、特に心理的なサポートが必要だと思うようになりました。
そうしたことに関して、効果的な支援をしている専門家が、自分の無知のせいもあり、いるかどうか分からなかったので、自分で少しでも支援をしようと思うようになりました。
そして、臨床心理士の資格を取得するために、指定大学院の修了が必須条件だったので、入学しようと考えました。それが実現したのが2010年です。介護に専念して10年が過ぎた頃でした。
私自身は、今、振り返っても、40歳を超えてから大学院に入学し、そして学んで修了したことは、とても意味があることでしたし、辛さや大変さもあったのですが、学ぶこと自体が初めて楽しく感じ、充実した時間でした。
「40歳を超えて、大学院に通うということ」を書こうと思った理由
それはとても恵まれていたことだとは思うのですが、その経験について、(すでに10年以上前のことになってしまいましたが)伝えることで、もしも、30代や40代や50代(もしくはそれ以上)になってから、大学院に進学する気持ちがある方に、少しでも肯定的な思いになってもらえるかもしれない、と不遜かもしれませんが、思いました。
(もちろん、資格試験のために大学院へ入学するのは、やや一般的ではないかもしれませんが)。
同時に、家族介護者へ個別な心理的支援を仕事として続けてきたのですが、少なくとも臨床心理士で、この分野を専門としようと思っている方が、かなり少ないことは、この約10年間感じてきました。
もしも、このnoteを読んでいらっしゃる方の中で、心理職に興味があり、臨床心理士や公認心理師を目指したい。
さらには、家族介護者の心理的支援をしたいと思ってくださる方がいらっしゃるとしたら、できたら、さらに学ぶ機会を作っていただきたい、という思いもあり、改めて、こうして伝えることにしました。
この私のnoteの記事の中では、もしかしたら、かなり毛色が違うのかもしれませんし、不定期ですが、何回かに分けて、お伝えしようと思います。そして、当時のメモをもとにしているため、思ったよりも長い記事になっています。
よろしくお願いいたします。
今回は、40代後半になってから、臨床心理学専攻の大学院に通えることになり、介護を続けながらも、4ヶ月が経とうとしている7月下旬の頃の話です。
当時のメモを元にしているのですが、自分自身でも、大学院に入学して3ヶ月以上が経っているのに、こんなにいろいろと悩んだり、考えたりしていたのかと、少し恥ずかしくなるくらいです。
それでも、もしかしたら、同じような環境の方に、わずかでも参考になるかもしれません。ただ、そのため、申し訳ないのですが、かなり長くなりました。
純粋
7月17日。土曜日。
午前中からロールシャッハの講義なので、いつもよりも早起きして、昨日はそのために勉強もして、なんだか朝からちょっとぐったりもしていたのですが、でも、出かけたら駅の前で心房細動の発作を起こした時の頓服のクスリを忘れたのに気がつき、家にいったん戻ったら遅刻してしまいました。
これは、もしかしたら4月から大学院に通い始めてから、初めての遅刻かもしれません。それでも、なんとか講義も終わり、今日はこれで終わりではなく、夕方から上級生との交流会があるので、時間があります。
だから、図書館で1時間だけ本を読み、それから同期の何人かと、なぜかバッティングセンターへ行って少しだけボールをうち、そのあとに飲み会へ行きました。繁華街の居酒屋。久しぶりにけっこうおいしい食事という感じでした。
それで話は進んで、どちらもかなり歳下なのだけど、クールな先輩や、高校はかなり下の後輩で、今は1期先輩とも話をし、それなりに盛り上がったのですが、けっこう人がいいと思っていた人が、いきなり下ネタを話し出した事で、さらに盛り上がって、ずっとウーロン茶しか飲んでないのですが、なんだか楽しくなってきました。
ところで、そこから2次会へと移動した。といっても、ちょっと歩いて、店がいっぱいだったので、最初の居酒屋と同じビルの居酒屋へと行きました。そこでなぜか同期の一人が高校時代の友人と会い、酒が入っているせいか大騒ぎになり、座る場所を変えたり、とかいろいろあった後に、いつもクールな人が、なぜ大学院2年になって燃え尽きたかといった話題になった際に、すごく純粋なんだ、と思って、少し嬉しくなりました。
そうこうするうちに時間がさらにたち、話が盛り上がっていたのだけど、でも、私は帰って義母をトイレにつれていかなくてはいけないし、という事で帰ることにしました。
ただ、それまでの時間の中で、こういう場所では自然なこととして、今の環境に関しての不満も話題になっていたのですが、でも、自分にとってはとても希望があちこちにある日々で、というのは変わらないと感じていたのは、自分は10年間まるで土の中に住んでいたようなものなのだから、それに比べたらすごく幸せな感じですし、それで3ヶ月がたっただけですが、なんだか少し変わったと妻にも言われるくらいだし、というような話もしました。
さらに、シラフのままなのに、私は今の生活がどれだけキラキラしているか、今だって、こういう話をちゃんと出来るのが、どれだけラッキーと思っているか。みたいな話もし、なんだか、とてもうれしく、大げさに言えば、感動までした1日が終わりました。
交流会で交流してよかった。夏休みに入ったら、返ってつまんない日が続くのかもしれなませんが、修了したら、そういう毎日がまた戻ってきます。以前なら、そういうものか、と思えるだろうけど、今みたいな生活を知ってしまったあとだと、もっとツラくなるのではないか、とちょっと心配だったりします。
家に帰ってきてから、夜中の介護は続いています。
時間
7月18日。日曜日。
昨日で前期の講義はすべて終わりました。
これで、夏休みにほぼ入るのですが、水曜日に事例検討会があって、そこで司会を頼まれていて、かなりプレッシャーにはなっているのですが、何しろ発表者が一番緊張しているのは間違いないので、そんな事も言えず、ただ、さらに日程が近づくにつれてちょっとゆううつになると思います。
それよりも課題のレポートがまだほとんど終わっていないので、それでこの1週間は過ぎていくのでしょう。5本だから、1つあたり10枚として原稿用紙で50枚だから、あれ、けっこうあるんだ、と思って焦ってはいるのですが、昨日も交流会で遅くなったから、今日からがんばらないと終わらない。とはいっても、いつもよりもすごく頑張る、というわけにもいかず、そして論文とかレポートとか、そういう形式にすぐに慣れるわけもありません。
それは、自分が若いときの大学時代は卒論も書かずに卒業しましたし、レポートもほとんど何も書いていないから初めてといってよく、考えたら50間近になって、まったくこれまでやった事がない事をやっているのに、そのわりには自分が平気だったりするのがちょっと不思議だったりするので、周りはこちらが思った以上の違和感があるのかもしれず、それでも書いていくしかありません。
ただ、周りの若い明らかに秀才(大学院のイメージ通りですが)と比べると、自分は明らかに不利だったりもするのは、年齢も重ねて老化に向かっていることもあるのに、それがどうやらあんまり理解されていないのは、以前の仕事でライターをしていたことを、聞かれたから答えたせいもあるかもしれません。
とはいっても、まだ手をつけていなかったレポートを書き始めたら、それは介護に関する論文の事で、書いていて、これを読んでくれるはずの教授という読者に向かって書いている、と思えたら、まだ半分も書いていないのですが、でも、読者がいることで、少し楽しくなってきました。
これから夏休みで同期に会えないと思っていると、なんだか、それはちょっと寂しい感じもして、若いときの学生時代でも、そういう風に思っていなかったので、もしかしたら初めてかもしれません。
入学の当初はどうなるか分からなかったし、最初の1ヶ月はすごく時間がゆっくりでしたけれど、でも、前期がもう終わったのは、意外なほど早く感じました。
この夏休みには、同期で合宿などがあったり、勉強会などもありますが、それよりも今は課題を何とかしたい、というような気持ちの方が強いからその余裕もなく、そして、今までもその課題を進められなかったのが何だかうしろめたく、それでも、時間は進んでいって、油断していると夏休みも終わってしまう、などと思いました。
ただ、まだ卒業まで1年半あります。
できたら、同期のみんなも楽しい学生生活だったらいいな、などと、不遜かもしれませんが、そんな事を思っているのは、ほんとに学生っぽいと思い、そういう時間を過ごせているのは恵まれていると、改めて思います。
今日は、家にいるので、昼間から介護を補助し、夜中からは、午前5時までの介護は続いています。
公募
7月20日。火曜日。
今日はカウンセリングの施設での実習の日です。
もう講義はなくて、実質、夏休みに入ったようなものですが、まだ課題がほとんど終わっていなくて、先日の自助グループの会の逐語録も起こしていません。
それに加えて暑さもあるし、今まで毎日のように会っていた同期の人たちとも会わないような日が続いているので、なんだかふわっとした気持ちになっています。
週に1回の実習があって、講義もなければ、休みたい気持ちもありますが、それでも、大学に行ける、という事で、それは実習で一緒の人にも会えるのですが、他の同期の誰かにも会えるかも、などと確率の低い事も考えて、それでちょっと嬉しくなったりもするのですから、けっこうバカみたいだと自分でも思います。
大学に着き、暑いので、休みに入ったせいか、いつもよりは人が少ない学食でコーヒーを飲んでいると、学部生(この言い方には慣れず、やっぱり大学生、なんだと思います。自分にとっては)がたくさんいて、若い人がたくさんいて、なんだかそれだけで少し浮かれた気分にもなるが、さすがに少し慣れたみたいで、ある意味では風景のようにも思えてきます。
それから、着替えて実習に向かい、今日はクライエントも多く、電話もけっこうあって、なんだかバタバタして、そして「電話の応対があせりすぎです」と指摘され、まだスピードの調節がうまくいっていないんだと改めて思いますが、なるべく短い時間でなんとかする、というような癖は、もう10年以上も仕事をしていないのに、すごく根深いものだと少し恐いような気持ちにもなりました。
なにしろ、そうやって言ってもらえるのは有り難いことだと今では思えるようになったのは、こちらの事に関心を持ってもらえている、という事だからです。
それがうれしい、と思えるなんて、ある意味では、それまで家族以外の人間と接することがないような、どれだけ孤独な生活をしてきたのか、とも思うのですが、やっぱり、まだそんな気持ちになります。
いつもよりも少し長い時間の実習が終わり、家に電話をしたら、何も変わったことはないと言うので、いつものように学食へ行き、もうTランチも売り切れている、などと思いながら、からあげ定食を食べ、今日の実習の事を振り返って、自分なりの反省を書いたりしていると、隣の男子学生4人がカラオケで歌う歌の話をしているみたいでした。
ユーミンの名前が出て「卒業写真」という曲名も出て、まだそうした曲が現役でいる事に少し驚いたりもして、でも、ああいう曲は大学生にはやっぱりしっくり来るのかもしれない、などと思ったりもしたのですが、その会話の内容や、話し方は、やっぱり若い、などと思いました。
そのあと、さっき掲示板で見た文章や写真などを学内で公募企画を思い出し、やっぱり、この3ヶ月の事を、それに至るまでの事を書いて出すなら、その公募かもしれない、と改めて思いました。
食事をしてから学生部に行くと、カウンターにその公募の書類が積んであって、2部もらってきました。ひとつは、こういう事が得意そうな同期に渡すためでした。
この3ヶ月の事を書こう。締め切りは夏休みの終わる頃。タイトルは恥ずかしいけど、「きらきら」にしようと思いました。そうしたら、こうやって日記みたいに書いている事が生かせるし、そういう目標がないと、原稿を書く力が落ちてしまうという、微妙な恐怖もあります。
そういえば、トレーニングルームはまだ1回しか行っていません。それは、ちょっと情けない話だとも思いました。
今日も夜中の介護は変わらずにあります。
事例検討会
7月21日。水曜日。
ファイルとか、本とか、資料とかを持って、まだぼんやりと眠いままで電車に乗って、少し眠ってしまうくらい体がだるいままでした。
それでも大学に着いてから閲覧室に行き、書いたレポートを2つ提出し、そこで事例検討会の発表者が来て、スピーカーとマイクを持たされたので、先に教室へ向かいました。
誰もいない教室で机を動かして一応のセッティングをして、夕方の赤い光が差し込む教室で一人で待っていました。
誰もいなくて、もしマイクなどがなくなったらシャレにならないので、ここで待っているしかありません。午後6時過ぎに、副手の人がICレコーダーを持って来てくれ、その後から発表者の人も来てくれたので、自分の荷物を取りに閲覧室へ戻り、途中で水とコーヒーを買って教室へ戻り、夕食がわりのカロリーメイトをかじってコーヒーを飲み、発表者とも話して、最後の打ち合わせをしてからトイレに行って、ワイシャツに着替えました。
事例検討会の開始時刻になる頃には、いつものようにかなりの人数になっていて、そして、講義の型がないようで、いつも充実した講義をする教授にコメンテーターをしてもらえるので基本的には、任せることにしました。
最初だけ発表者の紹介をして、あとは流れに任せたら、その検討会はいつもと違って、その教授が司会もかねたようなものになりました。
私がやる事は、例えばフロアから質問をする人に、マイクを持って行ったりする事だけで、あとは質問が出ない時に、少しうながすような事をちらっと言い、途中で、自分のコメントも言いたくなる時もあったり、教授が発表者に厳しいかもしれない、などとそばで見ていて思ったりもしたのですが、いろいろな意見も出て来て、そのたびにマイクを持って行ったり来たりで動いていたのですが、今日の役割は、そういうところだと思っていました。
あとは冷房が寒そうな人がいたら、空調をいじって何とか調節したり、を繰り返し、なんとか快適な空間にしたいと思い続いて、そして、時間は過ぎていき、予定よりも少し長くなったのですが、事例検討会が終了しました。
ホッとしました。
これで夏休みがやってくるような気がしました。
人から見たら、マイクを持って行ったり来たりが大変そうに見えたらしいですが、でも、型通りに言葉を言うよりは全然気が楽でした。
それから、その教授や発表者の方たちと飲みに行きましょう、という事になり、いつもの居酒屋と同じビルの違うイタリアンのお店に入りました。
そこに教授の先生が2人いらっしゃって、学生の人たちも含めて、いろいろとしゃべったあと、院生が一人帰ったあとに席があいて、私は先生方2人の間に座ることになり、なんだか気をつかったのですが、一人の教授の方とはほとんどしゃべった事もなかったので、いい機会になりました。
話の中で、改めて、いろいろな思いが、あの事例検討会の中でも動いているんだ、というのが分かったりもして、それは新鮮でした。
とはいっても、教授の方々には、比較的、私と年齢は近いとはいっても、当然ですが仕事はあり、私は修了したら資格をとったとしても、おそらく仕事があるわけではない、という厳しい格差が、そこにあることを感じていました。
私は一度、仕事を完全にやめて、10年介護だけに専念し、今でも無職、というか学生ですが、そういう人間が、ましてや50を越えた中年男性が、まともに仕事を再開できる確率は、かなり低いのはわかっています。
もしかしたら楽しいのは今だけで、修了したら仕事もお金もなく、かなり悲惨な状況になったら、みんなと顔向けできない、みたいな事を、最近、楽しかった時間のあとに、ふわっと思うことも少なくありません。
帰ったら、介護の時間が待っています。
課題
7月22日。木曜日。
昨日で講義も事例検討会も終わったので、日程的には完全に夏休みになりました。
事例検討会は、発表者にとってプラスになったかどうかはまだ分からないのですが、司会もなんとか終えて、それがけっこう重荷だったのが分かったのは、今日は気持ちが軽かったからでした。
といっても、まだ課題は3本あって、そのうちの一本はロールシャッハだから、まだ手をつけていないうちから何だかゆううつさがあります。
昨日まで2本の課題を終わらせられたのは、介護をテーマにしているものだからで、それで、自分にとっては課題だけど、ただの課題ではなく、ある意味ではこれも社会にアピールする機会の1つととらえていて、だから力が入ったし、書いていてなんだか勝手にちゃんと書かないと、とプレッシャーにもなりましたし、だから、まずはその2つを提出できてホッとはしました。
ただ、まだ3本も残っているし、実習の逐語録もやらなければいけないし、で、時間がかかる事がけっこうあります。ただ、それをやれば夏休みで、とはいっても、どこに行くわけでもなく、旅行もなく、4月より前の生活に戻るだけで、また静かな時間が流れるだけ、とも思い、ただ、少しは同期のみんなと会える日もあるだろうから、やっぱり少しは違うのだろうと思いつつ、また時間の流れが変わるのも感じています。
起きたら妻はいなくて、昨日、というか、今日の朝、私がトイレに起きた時に言っていたように美容院へ出かけたようです。
起きて、一口ようかんを1つ食べてコーヒーを飲んで、課題の本を読みました。最初に読んだ時よりも、理解できたかどうかは分かりませんが、面白いと素直に思えました。
昼が過ぎたころ電話があって、「美容室が混んでて遅くなってごめん、でもタイムサービスで安くすんだ」と妻が言って、じゃあ外食でも、とガストに行ったら、人がたくさんいました。夏休みのせいかもしれません。
少し待って、テーブルに着くと、今日の店員さんはみんな忙しいのだろうけど、無愛想でした。感じのよしあしって、その人の持っているもので、その違いで、その後の人生が、大げさにいえば違ってくるはずなのに、と思うのは、たぶん自分が歳をとったという事だと思います。
そういえば、今は学生をやっていて、これが最後かもしれないとよく思いますが、実は自分がもっと若くて大学生だった頃も、ホントはああいう学生生活ができるのは最後だった事に、その時は気がついていなくて、時間は無限にあるような気がしていました。
誰にとっても、今は今だけで、だからベストをつくす、という事に気がついていた人間はおそらくいたはずで、そういう彼らや彼女らは、今も元気だったら充実した道を歩んで、おそらくきちんと成果も出しているはずですが、そのことを確かめることもできません。
自分はやっぱり若い頃の努力が足りなかった、と今になって感じるので、少なくともこれからは少しはちゃんとしようと思ったりもしています。その一方で、この3ヶ月で、ホントに何か身に付いたのだろうか?という気持ちと修了後の不安が現実化してきて、その事を言うと妻にあきれられます。
大学院に行く前、どれだけ希望がなかったか?今は、その希望を少しずつ取り戻すというか、自分の中に、いや中だけではなく、周りというか環境も含めて、希望とか未来とか普通は大げさで使えないような言葉が、けっこう大まじめに浮かんでくるのですが、それらを積み上げているのは間違いなく、だから、不安の前にベストをつくそう、と思います。
今日も介護はあります。午前5時頃就寝は変わりません。
停滞
7月23日。金曜日。
昨日、インターネットでしばらく閉鎖されていた友人のブログが再開されているのを知りました。小説家を目指しているというその友人は、最近、いろいろとあってブログも閉鎖していたのですが、その半年くらいの期間も黙々、ではないかもしれないけど、ちゃんと書き続けてきたのも知って、自分が浮かれているのではないか、などとも思いました。
何かがゆるんでいるのではないか、みたいな勝手な不安もあります。今日も課題をやらないと、と思いながらも、それほど進まず、昼寝もして筋トレもして、夜になって後藤真希の特集をやっていて、まだ24歳なのに、とんでもなく大変なことがあった女性、ということで、勝手にいろいろなことも思いました。
たとえば、ここに出てくるような大変な人たちを、こう考えるのはどこか不遜だとは思うのですが、心理職が支えていければ、少しは違うのではないか。無理かもしれないけれど、酒でなく、カウンセリングで何とかできれば、それはすごいことだけど、やっぱり無理なんだろうか、みたいなことも考えました。
そして、その番組を見ていて、妻は少し泣いたりしていたけれど、こういう風に一人の人間に理不尽と思えるものが重なってやってくることは確かにあって、みたいなことはよく思うようになったので、なんだかいろいろなことを感じました。
もしかしたら、こうして臨床心理学を学び始めてから、こうした人の大変な境遇に対して、少し感じ方も変わってきたのかもしれません。
それから映画の「となりのトトロ」も見て、その時に、私が、「何も身に付かないままトシをとった」みたいなグチを言ったら、「もうそういうのは受け付けないことにしました。どうにかするだろうから」みたいなことを妻に言われ、少し笑いました。ホントにそうかもしれない。そんなことを言っている暇はないし、言うだけ無駄なのだ、というのは分かっているつもりなのですが。
ロールシャッハの期末レポートが始められない。あまり気がのらない。それでも、まずはやってみて、考えてみて、書いてみて、をしないとおそらく何も分からないだろうし、と思うので、まずは取り組んでみようとは思っています。
もう大学院に入学してから4ヶ月がたとうとしていて、それなのに、たぶんこれまでで一番人間関係がいろいろ出来た上に深まった気がするのは、やっぱり臨床心理、という学問と無縁ではないと思ってはいます。
期末レポートが一段落しないと何だか気は抜けないのですが、だけど、なんだか今のところ学生生活は、思った以上に楽しいように思っています。会社での人間関係は難しく、悩みのほとんどがそこにあるとはよく聞くのですが、組織の中で働いたのが短くて(新卒で入社して、3年で2社だけ)正直ピンとこない部分があります。
だけど、今は学生生活をしていて、その人間関係に恵まれていて、だから、楽しいのかもしれない、とは時々、思います。夏休みに、時々は同期の人と会いたいと思ったりもするのですから。
今年、これだけ暑いのに、そういえばまだせみの声を聞いていない気がして、ちょっと不思議に思ったりもしています。セミにとっては、まだ早いのでしょうか。
レポート
7月25日。日曜日。
家にいることが多くなって、介護に関わる時間が夜中以外も増えたのですが、今日もずっと大学院の課題の事ばかりを考えていました。いつまで、同じようなことを言っているのかと思うと、自分でややあきれてしまうのですが。
あと3本。実質は4本のレポート。1つがだいたいA4の40×40の2枚くらいだから、だいたい原稿用紙で5枚から6枚。それの4倍。だから20枚から24枚くらいの原稿を書くのと同じような分量になります。
それを、先週から3日も4日もかけて書いているから、けっこう寝てもさめても、みたいな感じにはなっていて、何しろ原稿は書いたことがあっても学校のレポートみたいなものを書いたのは25年ぶりですから、どう書いていいかは分からなくなっています。
とにかく書くしかなくて、中でもロールシャッハはどう書いたらいいか分からなくて、今書いている中では短いはずなのに、やたらと時間がかかります。
自分の中にはない言葉ばかりを使うから、おそらく苦痛で、その中でクライエントの言葉を直接使って、そこから何かを表す部分だけは書いていて楽しい、とまではいかなくても自然に近い形で書けました。
あとの課題は、1回目を書いて、2回目を書く頃から少し気持ちが楽になり、問題は文献のレポート…考えたら、まだどう書くのが正解か分からないままに自分が書きたいように書いているのだから、それが成績や評価にどう結びつくかも分からないけれど、まずは書いてみよう、と思います。
とにかく書けば、単位を落とすという事はないだろう、くらいの気持ちで書いていて、そして、もちろん書く以上は読む人が面白いと思えるものにしたい、という気持ちだけは忘れられずに書いています。
それが、どう評価されるかは、正直分かりませんし、評価が悪かったら、やっぱりショックかもしれません。でも、これはレポートというよりも、自分が書いていると、どれも感想文だったりエッセイだったりするようなものばかりになっているような気がします。
昨日はロールシャッハテストの夢を見ました。講義か何かで発言しては否定される、みたいな夢でした。
そして、今日、バラエティーで、小栗旬が監督を始めてやって、それが最初は様子を見られている、みたいな事を言っていて、その空気はもしかして、大学院入学後の4ヶ月の間に感じたものと似ているかもしれない、などと思い、そして昨日はソングライターズという佐野元春が司会をつとめる番組で、それは大学の中が会場になっているのだけれど、誰かが発言している時の空気の重さみたいなものは注意して見ていると少し伝わって来て、あ、これかも、とここまでの4ヶ月の事を思い出しました。
それは、あまりにも自分に引き寄せすぎかもしれませんが、もしかしたら誰かの発言に対して、何かを言うこと自体が周囲から突出する事だから、それに対してやたらと敏感な時代、ということかもしれない、などとも思いました。
そういうしんどさ、みたいなものもあるのかもしれませんが、でも自分はこの世代に属していません。だから、無理に波立てることはないけれど、失礼でないようにやりたいようにやればいい。それが、たぶん社会人としてかなり年齢がいってから入学した自分の役割みたいなものだと改めて思ったりもしています。
それにしても、ひたすら課題をやって、明日が締め切りだ、みたいな事を思い続ける時間は、なんだか他のいろいろな事や、特に将来的なことも考えずにすんで、充実しているような気がします。
暑いのにまだセミが鳴いていないせいか変に静かな夏という印象の時間がつもるように続いていて、それでも、4日間家にいて、明日は課題を出しに大学には行きます。そんなタイミングがいい事はあんまりないのですが、誰かに会えたらいいな、みたいな事を考え、それは夏休みの小学生みたいで、自分の年齢を思うと、けっこう気持ち悪いような気もしました。
卑怯
7月26日。月曜日。
今日は課題の締め切りがあります。それを提出しに大学に行くのですが、体調が悪いかもしれない同期のレポートももしかしたら持っていくかもしれなくて、でも連絡がないから、なんだか勝手にあせったりもしていました。
だけど、メールを打ったら返事がきて、もう大学に来て課題を書いている、という事でちょっとホッとして、大学へ行く前に大きい本屋へ寄ることにしました。少し迷ったけど、あさってが誕生日の若い友人のプレゼントを買うために雑誌に載っていたおしゃれな雑貨屋へ行きました。
スカートをはいた変わった形のメガネをかけた静かな男子店員が前を歩いていて、最初は「いらっしゃいませ」も言わないので、お客さんかと思ったのですが、その微妙な緊張感にちょっとびびりながらも、細かいものがたくさん置いてあって、値段の文字も小さくて、最近、老眼になりかかかっている目には厳しくて、だけど、いくつか選んで、全部で3000円になりました。
それから、大学へ行きました。図書館へ行き、同期がいるかも、と思って少し見て回ってから、閲覧室へ行って、課題を提出してから、学食へあわてて行ったら、もう終わっていて、何も食べられませんでした。夏休みは、営業時間が短くなっています。
仕方なくカロリーメイトとコーヒーを食べて飲んでから、もう一度図書館へ行きました。1階にも2階にも3階にもいないので、4階も一応見てみようと思ったら、普通に同期がいました。
少し話をして、そして、自分が書いた課題を読んでほしい、と言われて読ませてもらいました。率直で正直な自分の事がちゃんと書けている文章だと思いました。それに大学院生らしく、的確に専門的な視点も提示していて、なんだか少し感心もしました。ただ、まだ完成していないようでした。
そして、午後8時頃になり、課題が出来たというので閲覧室へ行き、そしたら3人も同期がいたので、食事でも、という話になり、いっしょに課題を書いた同期も行くかと思ったら、行かない、とい言葉を残して、去っていき、追いかけて話をしようと思ったが間に合いませんでした。自分が何かの空気に負けたようにも感じました。
その後、しばらくしてから食事にも行って、楽しい時間だったのですが、でも、その同期の事が気になっていました。その同期の話になった時に、相手は若いとはいえ、自分が介護仲間だと思っている事、それに関して敬意を感じていることなどは話せませんでした。なんでだろう。なんだか空気に負けているだけなのではないか、などとも思いました。それは、卑怯な事をしていたのかもしれません。
帰ったら、明日、実習で一緒のはずの同期からメールが来ていた。重要な話でした。知らなかった。そんなに重大な事を抱えているようには思えませんでした。でも、自分が、そんなに大変なのに、そのメールではこちらの事まで気をつかってくれていました。すごいことでした。なんとも言えない気持ちになりました。返信をしました。
今日、なんとなく元気なく帰ってしまった同期にもメールを送りました。明日から、カウンセリング施設での実習は一人の日がしばらく続きそうです。
後悔
7月27日。火曜日。
今日はカウンセリングの施設での実習の日で、一人でやらなければいけない初日でした。なんだか改めて緊張をしていました。
夏休みのせいか、先週よりもクライエントはすごく少なくなって、電話もほとんどなく、静かな一日だったけれど、実習生が私一人だったので、スタッフの方にいろいろとやってもらって、申し訳ないけど、ありがたく思いました。
それでも、実習はいつもよりも周りのスタッフに迷惑をかけながらも、なんとか終わり、学食へ行ったら、今日は午後2時にとっくに終わっていたので、アイスを食べてコーヒーを飲んで一休みして、家に電話をしたら、何も変わったこともなく少しホッとして、それから図書館へ向かいました。
もしかしたら、知っている人が誰かいるかも、と思い、大学内を少しグルグルと回りました。そうしたら、同期の一人に会って、まだ明日の課題が2本とも出来ていない、とホントにあせった顔をしていました。
それからは、当然ながら誰にも会わず、そのまま地下鉄に乗り、なんだかのどの調子だけが悪く、のどに何かがひっかかるようなセキをしたら、前に立っていた人が向こうに行きました。
行きは、隣でせき込んでいる人がいて、私だって移動したりもしたのだから、当然の動きでした。なんだか気持ちが重いままでした。途中の駅で降りて、白いワイシャツとか、読みたい本とかを探して結局なくて、また電車に乗りました。調子は悪いままでした。
これからこの前の実習の逐語録を起こして、送らなければなりません。それもコンピューターがおそらく教授のものはウインドウズだから、私からのファイルが(いろいろ事情があり、アップルを使っているので)もし文字列がバラバラになったりした場合、また宅急便などで送らなければいけないとは思いますが、そういう手間ひまをかけさせてしまうのが迷惑をかけてしまい、申し訳ないなどと考えています。
そして、その逐語録は一文字もやっていないのに、あと2日くらいで仕上げなくてはいけなくて、なんだかそれも気が重く感じています。正直、出来るような気がしません。
そんなことを考えながら電車に乗っていて、駅で降りて、家に着く前に少し買い物をして、レジにカゴを置いているのに、隣のレジの中年男性が、私の前の10センチのすき間に強引に割り込んできました。一瞬で怒りが湧き、自分の中に、そういう激しさがまだあるんだ、とも思い、なんだか押さえ込んで来た気持ちのエネルギーみたいなものを感じました。
たぶん、昨日の後悔が残っているのだと思います。どうしてあの時、空気に負けたのだろうと、今も後悔しているようでした。それは、その時帰って行った同期が、やけに元気がなく見えたせいもあると思います。
家に帰って、夜になったら、妻に代わって自分が担当する夜中の介護の時間です。
締め切り
7月28日。水曜日。
もう課題の締め切りも全部、出しました。
ただ無難に2年間が過ぎるんだろう、と思っていた入学前とはかなり違っていて、確かに今の大学院の2年生でもいろいろな事情を抱えているのは分かりますし、最近になって修士2年生が一人、大学院を辞めた、という話も聞きました。
でも、去年、最初の受験で、もし受かっていたら、たぶん、もっと違う学生生活だったと思いますが、そんな想像も実はまったく無意味な事で、今年だったから、すごいと思えた教授の研究ゼミにも入れたし、いろいろと楽しい人たちとも会えたし、なんだかやっぱり縁みたいなものはあるのだと思います。
これからどうなるかは分からないのですが、でも、こんな新鮮な気持ちになれるとは思いませんでした。すごくラッキーだとは思いますが、一時期、来なくなった人が戻って来たりもしたように、火曜日の実習に来れなくなった人が嘘のようにすぐに復帰したりしないかな、とも思います。
その人が、私の行為に対して、神様は見てます。いいことはきっとあります、と言ってくれたこともあったのですから、それならば、その人に幸運が来るといいのに、と本当に思い、それはすごく偽善っぽいと自分で感じながらも、でも、そう思ったりもしています。
その人も社会人枠での入学ですから、年長者として、他の若い人たちのことを心配していたのに、と思うと、そういう関わり方を、妙なビビり方をして遠慮しすぎていた自分が恥ずかしくなります。
ちゃんとしよう。もっとちゃんとしよう。自分が思った事に今までだってずっと従ってきたのだから、今回もそうしよう。最終的に自分が孤立したっていいから、と思えば大丈夫。
けっこう楽しいから、この空気を壊したくない、といった違った意味での欲が出てきていたのだと思います。もっと最初の基本を思い出さないと、ダメじゃん自分、と思いました。
昼間に介護に関わる時間は増え、夜中はいつものように介護は続きます。
目標
7月29日。木曜日。
講義や課題が一段落した時にカゼをひきました。けっこう自分が律儀だったんだとも思いました。
人間関係の難しさは、どこにでもあると感じると、学生生活が、単純にキラキラしているわけではないと思いようになったのですが、こうやって大学に行かない日が多くなり、もうすぐ完全に夏休みになると、週に1度の実習しか大学に行かなくなり、また介護が中心の生活に戻っていくはずです。
以前は、淡々と、ただ介護を続ける生活をしていましたが、けっこうきらきらした日々を知ってしまってから、というより、再び社会生活みたいなものの魅力を知ってしまってから、また介護中心の日々へ戻るのは実はけっこうきついのかもしれない、と思っていて、今からちょっと心配だったりします。
最初は緊張し、そのあとは慣れて楽しい、という日々が続き、毎日まぶしいぜ、みたいなノリで学校へ行っていたのですが、微妙な人間関係の変化みたいなものを知り、少し気持ちが重くなったりもしました。
自分が若いときと違って、今の人間関係の方が、より繊細になっている分、私には困難なことになるとは思うのですが、たぶん、そこからが本番で、そうした時にも、きちんと人間関係を成立させることができなければ、ここから先、プロの臨床家になれるわけもない、などと思ったりもします。
それが出来なければ、もしかしたら、この最後の学生生活は一生、後悔の残るものになってしまうかもしれません。それを自分に言い聞かせて、これからの残りの学生生活を送ろうと思っています。
それでも、今は夏休みです。介護は変わらず、続いています。
(他にも、いろいろと介護のことを書いています↓。よろしかったら、読んでもらえたら、うれしいです)。
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