最小の暴力——ジャック・デリダ「暴力と形而上学」について
『評伝レヴィナス』(サルモン・マルカ 斎藤慶典・渡名喜庸哲・小手川正二郎訳)によると、後にソ連へ吸収されることになるリトアニアに生まれた哲学者エマニエル・レヴィナスは、ロシア革命による政治的動乱を機に一九三〇年にフランスに帰化する。その際、フランス国籍取得の条件として兵役を課され、実際に第二次世界大戦においてロシア語の通訳者として軍務につくことになる。一九四〇年六月五日、ドイツ軍との戦闘に敗北したレヴィナスの所属する連隊は捕虜となり、ドイツ国内へ移送される。ユダヤ人でもあったレヴィナスはガス室が間近に迫るのを覚悟したが、フランス軍の兵士として登録されていたためジュネーヴ条約によってかろうじてホロコーストを逃れる。しかしこの後ナチス・ドイツが降伏する一九四五年までレヴィナスは捕虜生活を強いられることになる。
この体験を経た後、戦後になって発表した著書のなかで彼は次のように書いている。「存在の積極性そのもののうちに何かしら根本的な禍悪があるのではないだろうか。存在を前にしての不安——存在の醸す恐怖〔おぞましさ〕——は、死を前にしての不安と同じく根源的なのではないだろうか」(西谷修訳『実存から実存者へ』)。妻や息子こそ難を逃れたものの親族みなが死に絶えてしまったという途方もない現実を前にした哲学者の呻きが、このパッセージからは痛ましく聞こえてくる。なぜ自分ではなくあの人が死んだのか、なぜ自分が生き残ったのか。レヴィナスはそう自らに問いかけて苦しんだだろう。その問いは「自分はなぜ存在するのか」「なぜ生まれてきたのか」という答えようもない形に姿を変えてこの温和な哲学者を襲ったはずだ。そこにはホロコーストから生き残ってしまったレヴィナスのペシミズムがある。レヴィナスの著作はこのペシミズムとの戦いと克服の痕跡であり、レヴィナスを読むとは「存在の積極性そのもの」、つまり生まれてきたことそのものに付随する「根本的な禍悪」を直視し、その不安に呻ぎながら、それでも己れの存在を肯定するための倫理を求めることである。その倫理の構築の第一歩として、レヴィナスはペシミズムに促されながらもそこから半身を捻るようにして次のように書く。
哲学者であったレヴィナスにとって、戦後の火急の課題はナチズムに加担した自身の師、ハイデガーの思想を乗り越え、さらに伝統的西洋哲学を超えてあたらしい哲学を構築することにあった。たとえ「私たちの考察が、その発端において少なからず——存在論の概念や人間が存在ととり結ぶ関係の概念に関して——マルチン・ハイデガーの哲学に触発されたものだという」事実は否定し切れないにしても、「ハイデガー哲学の風土と訣別するという深い欲求に促されると同時に、しかしながらまた、この風土からハイデガー以前ともいうべき哲学の方には抜け出ることはできまいという確信」が必要だったのである(前同 二六頁)。この確信に導かれてレヴィナスは実存という概念に「気だるさ」をぶつけ、「実存することの拒絶」という事態を通して実存を考察する。気だるさを別の箇所で「疲れるとは、存在するのに疲れることだ」と言い直したレヴィナスは(六六頁)、気だるさ=疲れによって実存者が実存することに遅延することがあると考える。実存することに遅れた実存者は幽体離脱した魂のようになって自分の背中を追いかける。この「みずからの実存をつかみとる運動」によって一人の人間のなかに「実存すること」(背中)と実存者(魂)の関係を見出すことができる。人間とはそれ自身で一個の関係なのである。それは自己のなかにすでに他者が存在していることを意味し、他者との関係が人間の実存にとって根源的なものであることを証明する。
これを一般化したレヴィナスは「人びとはただたんに他者の前で一個人なのではなく、何ものかをめぐって他者たちとともに個々人なのである。隣人とは共犯者なのだ」と書きつけるのだが、この箇所を掴まえて熊野純彦は次のように書いている。
私とはそれ自体で一個の関係であるが、そのモデルは「世界の外部から到来する他者」である。つまり外部に存在する他者との関係から学ぶことを通して「実存すること」(背中)と実存者(魂)の関係を把握し、自己という一個の関係性を構築するのである。このプロセスなしに自己は成立しない。自己を成立させるような他者との関係は人間の実存にとって根源的なものであり、他者なしには人が実存者として成立することはないのである。よって他者への暴力とは生起してはならないような悪行となり、レヴィナスの哲学においてそれは固く禁じられる。実存者である私にとって他者とは絶対的な存在であり、人に倫理を要求して暴力など生じえないようにするのが他者なのである。
一見、見事な考察だ。ところがこの暴力と他者との関係性に対して疑問を呈した哲学者がいた。ジャック・デリダである。
「暴力と形而上学」(川久保輝興訳 『エクリチュールと差異』収録)において正しくもデリダはレヴィナスの意図をギリシャ由来の西洋哲学という伝統的概念性の破壊だと汲み取るのだが、そうであるならば、レヴィナスは「伝統的概念性を破壊するためにその伝統的概念性のなかに腰をすえる必然性」に陥ってしまっており、「終極的にこの必然性を必須のもの」としてしまっている(二一五頁)。つまり、西洋哲学の破壊を企図したはずのレヴィナスが西洋哲学の言語を使って自身の哲学を運用してしまっており、結局は西洋哲学の強化に与する結果になっていることを批判しているのである。一例を挙げれば、レヴィナスは『全体性と無限』の副題として「外在性に関する試論」という言葉を使っているが、ここで使われている「外在性」とは「光照らされた空間の一元性に根拠を求め、そこから根源的他者性を中性化するものであった」とデリダを論じる(二一五頁)。伝統的「外在性」の概念は空間の比喩を前提にしたものであり、この概念と空間は切っても切り離せないものなのであるが、空間とはつねに「絶対的他者性」(人に倫理を要求して暴力など生じえないような他者)を否定する自同者の場であった。そのためレヴィナスは伝統的概念による「外在性」を拒否し、真の外在性——人に倫理を要求して暴力など生じえないような「他者の外在性」——があることを証明しようとする。しかしそれが「真」であれなんであれ、外在性という言葉をどう操作しても空間と分離することは不可能であり、それは根源的他者性を中性化する光を発してレヴィナスに暗い影を投げかけるのである。別の言語体系を用意するのではなく「外在性」という言葉を使ってしまった時点で、ハイデガーが属し、ナチズムに加担した伝統的西洋哲学は破壊しえないというのがデリダの批判だった。
つづけてデリダは哲学の言語はつねに空間を必要とし、空間と不可分の関係にあると論じていく。さらにレヴィナスが「言語以前に思考はない」と断言していることを引き(二二一頁)、思考と空間ともまた不可分であることを証していく。レヴィナスは『全体性と無限』の中心に「素顔」という概念を措定しているが、「素顔」とは何よりもまず身体であり、身体とは言い換えれば空間的な外在性に他ならない。それはレヴィナスの求める「絶対的他者性」を否定するものなのである。しかもここで他者が「絶対的」と言うときレヴィナスが意味している内容には他者が無限であることが含まれているのだが、「素顔」が身体であるならそれはいずれ死すべきものであり、有限の存在である。レヴィナスは有限である「素顔」を持った「他者」を無限の存在として定義しようとするが、それは矛盾に満ちた試みと言わざるをえない。このようにそれが哲学の言語である限りどのような論を展開したとしても「素顔」を否定することになるのである。「素顔」を確立しようとするレヴィナスに残された道は何らかの論を立てることそのもの、哲学そのものの否定であるが、「言語以前に思考はない」以上、この道も自らの手で封じてしまっている。レヴィナスのいう「他者」は「他者」という語を使って論じてはならないものとなり、思考不可能な概念へと転落してしまうのである。人に倫理を要求するような他者の否定が暴力であるとするならば、哲学的論は暴力であるが、レヴィナスが試みているように「素顔」を持った「絶対的他者」を確立することで暴力を止めようとする営みもまた哲学である。そのため「論と暴力の切り離しは、つねに到達できない地平としてある」(二二五頁)。
デリダのここまでの省察が正しいとするなら、どのような事態が生じるのか。人間(哲学者)が口を開き論が開始された時点で暴力もまた開始されるが、「他者」を論じ切ることでしか暴力の消滅もない。そして人間の言葉が暴力の開始であるなら、人間が黙りつづけることで暴力は回避されるが、人間が言葉を使う生き物であり、無限に黙りつづけることができない以上、いつかは暴力を開始せざるをえないのである。よって言語は自らによって開始した暴力に対して戦いを挑み、正当性(暴力の消滅)にむかって戦うほかない。それは「暴力に対抗する暴力である」(二二五頁)。よって言語に付随した空間の光が暴力の境位なら、「最悪の暴力、論に先行し論を抑圧する無言と夜の暴力をさけるために、ある別の光をもってこの光と戦わねばならない」のである(二二六頁)。だからこそレヴィナスに彼が批判したヘーゲルやハイデガーとの近似を見たデリダは、自分のこの読解がレヴィナスにとって暴力になることを自覚した上でなお「暴力と形而上学」を著した。デリダはこの小論を通してレヴィナスの死角を突き、ユダヤ人である哲学者に己れの似姿としてナチスに加担したハイデガーを突きつけたのである。デリダのこの身振りは、それ自体がレヴィナスに対する暴力である。そのことをデリダは自覚していた。デリダ自身ユダヤ系の家系に生まれており、同胞である哲学者に対して自分の仕事が少なからぬ衝撃を与えることは予期していたはずである。その上で彼は暴力を振るった。沈黙することではなく対話することを選び、レヴィナスの脛を蹴り上げたのである。それはレヴィナスに対して暴力となる自己を受け入れたことで初めて可能になる歴史のなかに現前した国家的暴力への対抗手段であり、その実践だった。
デリダはレヴィナスに対して、自分の仕事が「最悪の暴力」に堕す可能性におののきながらも、最小の暴力を振るい、暴力である自己を認識することをもってして「光との戦い」を実践し、「哲学者(人間)」として生まれようとしたのではないだろうか。レヴィナスとデリダの関係を取りあげる際に後者から前者への影響が云々されるのは常套句となっているが、両者の関係は実際には一方通行の単純なものではなく、レヴィナスを精読し批判することを介してデリダは彼の思想である脱構築を築いたのだと思われる。「暴力と形而上学」はデリダによる脱構築の最初の実践だったのではないだろうか。また、ここでデリダがレヴィナスに対して行った批評を「暴力である自己に暴力を振るう」というふうにまとめるならば、この考えは後の著書である『アーカイブの病』(一三一頁)などでくり返されており、デリダ思想の核を成すものであることがうかがえる。
人は言葉なしには他者とかかわることができない。その人に何かをやってほしいと伝えるのにもやってほしくないと願うのにも言葉が必要となる。言葉は他者とかかわる際に必須のツールなのである。しかし実態を持たない言葉は自分では見ることができないものでもあり、自分自身の言語体系が不可視のために、しばしば相手に自分では思ってもみなかったような受け取られ方をすることがある。本来の意図と相手の受け取った内容のズレを修正するためには対話するしかないのだが、対話に使われる言葉もまた不可視である。その場で使った言葉を相手にどう受け取られたかこちらは予測することができない。私にとっての私の言葉は他者にとって翻訳不可能であり、他者が受け取った私の言葉と私にとっての私の言葉の間には必然的にズレが生じるのだ。哲学に限らないが、これは著者と読者とのあいだに生じる関係にも該当する。レヴィナスを読んだデリダは前述の批判によってユダヤ人である年長の哲学者に暴力を振るった。しかしこの暴力はハイデガーが所属しホロコーストへと連続することになった西洋哲学を残り超えるというレヴィナスの企図を励ますためのものであり、その目的を達するためにはレヴィナスのやり方に不備があることを指摘したものだった。それは善意の指摘であり、応援の批判である。レヴィナスの企図そのものを破壊してしまうかもしれない可能性におののきながら決行されたからこそデリダの言葉はレヴィナスに届き、晩年の主著『存在の彼方へ』に結実した。この著作についてここでは立ち入らないが、その代わり以上を踏まえてデリダの言葉を二〇二〇年八月三日に周庭氏が逮捕されたという一報につなげて考えることにする。
香港政府が中国からの圧力を受けて成立させた香港国家安全維持法に違反したという理由で周庭氏を逮捕したが、「民主の女神」などと呼ばれ香港の民主化運動に携わってきた日本語に堪能な女性を黙らせたかったという政府の意図は誰の目にも明らかだった。このような香港政府の弾圧に対して民主化運動に携わる彼らが講じうる対策はデモのみだが、デモと暴動は紙一重であり、非暴力を主張した声は気を抜くといつ暴力と化すかわからない。しかし声をあげることすらやめてしまったとき、民主主義という光は永遠に失われてしまうのである。暴動という「最悪の暴力」に通じうる可能性におののき、だからこそ注意深くなりながら、必死で声をあげて光を守ろうとすること、デリダの「記述しなければならない」という命令にはこのような過酷さがある。香港ではこの命令に忠実であった人たちが今、弾圧されている。この暴力に対抗できるのは国際問題という「最悪の暴力」に通じうる可能性におののきながら、論、つまり言葉という最小の暴力に訴えて香港政府とその裏にいる中国に対して抗議することなのだが、日本政府は二〇二〇年八月現在沈黙を守っている。そのため日本にはデリダのいう「哲学者(人間)」がまだいないのである。
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