川村のどか

文芸批評/書評。 文学+ウェブ版にて書評連載。「しししし4」に「良心の呼び声 小林秀雄と中原中也」を、週刊読書人に書評を掲載。 パニック障害のため移動に制限があります。 お仕事→ work.ba77kazu@gmail.com

川村のどか

文芸批評/書評。 文学+ウェブ版にて書評連載。「しししし4」に「良心の呼び声 小林秀雄と中原中也」を、週刊読書人に書評を掲載。 パニック障害のため移動に制限があります。 お仕事→ work.ba77kazu@gmail.com

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プロフィール川村 のどか 1994年10月9日、神奈川県横浜市にて生まれる。 小児喘息で友達ができなかった頃、創作を通して周りと仲良くなれた経験から文学を志向するようになる。 東海大学文学部文芸創作学科卒業。卒業ゼミでは夏目漱石『こゝろ』の輪読に参加した。 卒業後は会社員として働く傍ら文芸批評を書きはじめる。自律神経失調症、およびパニック障害で一年休職。復帰したものの現在も移動に制限がある。人混みが苦手。 主な活動掲載 「しししし4」(双子のライオン堂)に「良心の呼び

    • 批評の課題——柿木伸之『燃エガラからの思考──記憶の交差路としての広島へ』書評

       石原吉郎、パウル・ツィラーン、原民喜、殿敷侃、そしてベンヤミン。本書において引用されるのは、みな歴史的経験によって生存を脅かされ、多くは自死に至った者たちである。各々の経験は第二次世界大戦中のものだという共通点を挙げられるものの、それぞれにまったく質の異なる出来事だった。本書が示す批評の力は、それらに布置を見出し、まったく質の異なるものの連帯を描き出す点にある。  星の一つひとつは小さな光でしかない。それらが結び合わさって星座を描いたとしても、けっして大きな光になるわけで

      • 公共空間再考

         8月6日夜、小田急小田原線の車内で刃物を持った男に襲われ10人の男女が負傷する事件が起きた。被害者のうち20代の女性一人が重傷を追っている。犯人は犯行後に自首しており、警察の調べに対して「6年ほど前から幸せそうな女性を見ると殺してやりたいと思うようになった。(中略)誰でもよかった」と供述しているという。  事件についての詳細は下記のリンクから確認していただきたい。 [https://www.tokyo-np.co.jp/article/122491] 1.ショッピングモ

        • 最小の暴力——ジャック・デリダ「暴力と形而上学」について

           『評伝レヴィナス』(サルモン・マルカ 斎藤慶典・渡名喜庸哲・小手川正二郎訳)によると、後にソ連へ吸収されることになるリトアニアに生まれた哲学者エマニエル・レヴィナスは、ロシア革命による政治的動乱を機に一九三〇年にフランスに帰化する。その際、フランス国籍取得の条件として兵役を課され、実際に第二次世界大戦においてロシア語の通訳者として軍務につくことになる。一九四〇年六月五日、ドイツ軍との戦闘に敗北したレヴィナスの所属する連隊は捕虜となり、ドイツ国内へ移送される。ユダヤ人でもあっ

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          10本

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          遠い感覚

           『わたしのいなかった街で』の冒頭は語りの現在時が横滑りしていき、「一九四五年→親戚と同席した車中→その十年後」というふうに語り手にとっての「今」が移動していくという特異な文体ではじめられている。そのような文体に乗せられながらテクストを読み進めていくと、距離に関する言説が必ず時間とセットで表現される(具体的には目的地までの距離を表現する際は必ず「徒歩で何分」、「電車で何分」といった書き方がされる)点が目につくようになる。この二つの特徴によって読者の中には「距離=時間」という図

          他者をめぐって 柄谷行人『意識と自然——漱石試論』について

          世間の掟と自然 柄谷は『それから』において代助が友人のために譲った女性を奪いかえすときに口にした「世間の掟」と「自然」という言葉に着目し、次のように述べる。  ここで漱石・柄谷は「自然」という言葉をきわめて多義的に用いており、この「自然」には存在や実存や精神や本能や自由といったさまざまな言葉が代入可能である。仮にここに倫理という言葉を代入して読むなら、社会の掟と倫理とは背立するものであり、人間は倫理を抑圧し無視して生きているゆえにみずからを荒廃させてしまうほかない、と読みか

          他者をめぐって 柄谷行人『意識と自然——漱石試論』について

          従順と非服従——太田靖久『ののの』について

           フランスの小説家ジャン・ジュネに『シャティーラの四時間』という作品がある。イスラエルによる支配からパレスチナを解き放とうと奮闘したフェダイーンと呼ばれる若い兵士たちのキャンプを訪れたジョネと彼らとの交流の日々を綴った平和なパートと、イスラエル軍の後ろ盾があったとも言われるキリスト教系の武装集団にフィダイーンを含んだ難民キャンプが襲撃され、女性や子供を巻き添えに無差別な殺戮が行われた事件が起き、たまたま現場の近くに居合わせていたジュネがジャーナリストを装って難民キャンプに足を

          従順と非服従——太田靖久『ののの』について

          マルジナリア書店さんの「じゅうに読む会」に参加しました!

           アンダー29.5人文書大賞が盛況のまま終わりましたが、この賞を主宰した分倍河原駅前にあるマルジナリア書店(byよはく舎)さんが開催した読書会に参加しました!  課題本は多和田葉子『犬婿入り』。僕は以前にこの作品で書評を書いているのですが、それをもとにしたものの僕の話はとりとめもなく長くなってしまいそうなので、発言内容を下記にまとめました。基本は以前に書いた書評に沿った内容になっていますが、話すことを前提にしているためこちらの方が少しわかりやすくなっているかもしれません。読

          ¥100

          マルジナリア書店さんの「じゅうに読む会」に参加しました!

          ¥100

          未だ描きえぬ肉声——佐藤厚志『象の皮膚』について

           「暴力」という言葉はしばしばその内実を曖昧にぼかされたまま口にされる。物理的な暴行であれ性的な加害であれ、あるいは言葉によるものであれ、思い返してみるといつ誰にどのようなことをされたのかという被害体験を詳らかに語られることは意外なほど稀だ。人がそのような体験を告白し得るのは共に苦しみをわかち合えるような大切な他者を前にしたときのみだからである。毎日の報道がある、と人はいうだろうか。しかしそれは客観性を装ったキャスターの言い回しによって吐き気を催すようなリアリティが希釈された

          未だ描きえぬ肉声——佐藤厚志『象の皮膚』について

          「LGBTは種の保存に背く」発言に寄せて

           ことの発端は自民党の部会で行われたLGBT理解増進法案に関する議論である。議論の中で山谷えり子参議院議員から「LGBTは種の保存に背く」、「道徳的にLGBTは認められない」といった発言が飛び出し、問題となっている(Twitter上で本人は発言を否定していることを付記しておく)。議論の対象となったLGBT理解増進法案とは正式名称を「性的指向および性同一性に関する国民の理解増進に関する法律」といい、主な内容としてLGBTへの理解を求める理解増進法と、LGBTへの差別是正を求める

          「LGBTは種の保存に背く」発言に寄せて

          【書評:ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』】遍在する「私」

          小説内のリアリズムとは?  小説の世界にはリアリズムと呼ばれるものがある。科学の産物であるそれは主に視覚的な情報を正確に切り取るのがよいとされる価値観で、風景を描く際に顕著に現れ、同じ風景をリアリズムに則って書けば同じような内容になると思われている。ところが冷静に考えれば、身長が違えば見えるものも身長差の分だけ違うはずなのに、小説の中で描写するとなると、言語は風景を前にしたときの身体的個人差を均してしまう。同じ風景や物事は同じ言葉で表し得ると錯覚させる——言い換えれば個人差

          【書評:ヴァージニア・ウルフ『ダロウェイ夫人』】遍在する「私」

          ユーモラスな死の演習 多和田葉子『犬婿入り』について

           いずれ迎える死を内に抱えた人間はみな等しく死刑囚のようなものである。最期の瞬間をひとたび想像すれば、誰もが叫び出さずにはいられないような底の抜けた恐怖に襲われる。人が平気な顔をして通りを歩くことができるのは待ち構えている運命を見ないようにしているあいだのことであり、なにかの拍子に視線を上げてしまえば、もう精神を保つことはできない。では、避けられない死を前にしながら健康でいるためにはどのように振る舞えばよいのか。一つは、フロイトが大洋感情と呼んだ宗教によって現実に対する態度で

          ユーモラスな死の演習 多和田葉子『犬婿入り』について

          寛容へのステップ ——保坂和志『読書実録』について

           読み終えた文庫本の裏表紙を覗くと簡単なあらすじが載っていることがある。簡潔で要を得た説明にことさら異を唱える気にもならないが、目を通してみるとどこか据わりの悪い感触が過ぎる。具体的に何が拙いというのでもない。自分が要約を書けばもっとひどいものになるだろうとも思う。それでも漠然とした、半ば無意識下の違和感がどうしても拭えない。あるいは、こういう書評などを書いているとしばしば起こる、言い表そうとしているものと書きかけた言葉とが食い違っているように思える事態を例に挙げてもいい。実

          寛容へのステップ ——保坂和志『読書実録』について

          性的ゾンビ 遠野遥『破局』について

           自分の側に社会秩序や規範があり、正しく悪を裁こうとしているまさにそのとき、人は最も暴力的に振る舞うものである。それが顕著になるのはたとえば居合わせた群衆によって痴漢が取り押さえられるような場面で、加害者が逃げる素振りを見せようものなら群衆は手段を選ばない。群像2020年6月号に掲載された著者のエッセイ『記憶』ではその場面が次のように描かれている。  作者は取り押さえられる痴漢の加害者を集団リンチの被害者のように描いている。この光景のなかでは加害者と被害者が奇妙に交錯してい

          性的ゾンビ 遠野遥『破局』について

          怖い話 ——遠野遥『改良』について

           一般に、子供は大人よりはるかに強い視力を持っている。電子機器の発展が進み全体として近視の傾向にある現代日本であっても事情は同じで、見えないことに鈍感になってしまった大人をよそに子供たちはものをよく見ている。だからこそ、私たちには何でもない昏がりの死角が、ふだん見え過ぎるほど見える目を持った子供たちには怖ろしいのである。得体の知れない黒い影が闇の中を横ぎりはしないかと不安になるからだ。そしてこの作品を読めるかどうかは、子供を保ったまま成人し、「黒い影」を視認してしまうほどの視

          怖い話 ——遠野遥『改良』について