ビジネス書を読むのをやめたら、時間がゆったりと流れるようになった
「本棚を見れば、その人がわかる」というが、ひとつ付け加えるとすれば、本棚の本を時系列に並べると、その人の生きてきた歴史もわかるような気がする。
このあいだ、PCのファイルを整理していたら、”books”というタイトルのエクセルファイルがあり、開いてみると、本を購入した日付、本のタイトル、著者名、その横に数字が書かれている。
ここ数年、すっかり忘れていたが、かつては読んだ本に1~5の数字を付けてお気に入りを整理していたのだ。
日付を見てみるとなんと2004年から。15年以上続いている。
何事も長続きしない僕が、そんなに長い期間続けてこれたのはきっと、書評ではなく、5段階の評価のみ、というシンプルさだったからに違いない。
確かに4や5が記載されている本は、今も本棚に大切に並んでいる。いつか読みなおそうとして、次々と増えていく本の中に埋もれてしまっているけど。
その一覧を眺めていると、当時の自分が何に興味を持っていたか、どんな作家さんにのめりこんでいたのか、が時系列で手に取るようにわかる。
今はもうすっかり忘れてしまっていたことなのに、本のタイトルを見ただけで時が手繰り寄せられて、その当時の気持ちが手に取るように思い出せて、なんだか不思議な心地。
片岡義男、村上春樹、橘玲、山田 真哉、石田衣良、本多孝好、大崎善生、村上龍、村山由佳、高嶋哲夫、多島斗志之、島本理生、藤沢周、司馬遼太郎、高杉良、大石圭、奥田英朗、白石一文、岩井志麻子、新田次郎、吉村昭、旭爪あかね、篠田節子、乾くるみ、野崎まど、森絵都、宮木あや子、朝井リョウ(敬称略)などなど
ときおり、暗黒の時代というか、どす黒いものが潜んでいる時期というか、「絶対、仕事で嫌なことあったでしょ?」と明確にわかる読書の履歴があり、今あらためて振り返ってみると、興味深い。
当時はかなり深刻に病んでいたのかもしれないが。
きっと、その時の僕としては、闇を映した物語に入り込み、そこで負の感情を解き放とうとしていたのだろう。
いきなりファンタジーの世界に逃げ込んでいる時期もあったりする。当時の自分の痛々しい努力に涙を誘われる(笑)
そして、気づいたもっとも特徴的な変化。
それは、ある時期からリストの最後に至るまでのかなりの長期間にわたって、ビジネス書や自己啓発書を一切読んでいないということ。
リストの前半には、トム・ピーターズ、ロバート・キヨサキ、デール・カーネギー、松下幸之助、本田宗一郎、本田健(敬称略)をはじめ、「~の技術」「~の教え」「~の法則」みたいな本が多数並んでいたのが、ある時期を境にぴたりとリストに出てこなくなっている。
今も書店には頻繁に足を運ぶが、以前は平積みになっているビジネス書や自己啓発本からあれほど熱心に物色していたのに、そういうコーナーに足を運ぶことすらなくなったのは、会社勤めを辞めて、自然の中で暮らすスローな生活に入った時期と符合するのは、当然といえば当然だ。
なにせ、今の生活に必要なのは、ビジネスに定番の、技術や教え、法則ではない。しいて必要なものと言えば、農の技術や自然の教え、風や波の法則とかだろうか。
しかも、そういった自然に関することは、書物に求めるより、自然の中で体を使って学んだほうが、断然おもしろい。
どちらかというと、自分の身をもって体感したことを、あとから本で確認して、「なるほど。そういうことだったのかぁ。」と答え合わせをしたほうが、新鮮な気付きになるし、ダイナミックに自然と向き合えて、おもしろかったりする。
ビジネス書や自己啓発本を読んでいたころは、何かに追われるように、本に向かっていたが、今はどちらかというと、ふとぽっかり空いた時間をどのようにまったりと埋めようか、というゆるい動機にかわっている。
本屋さんでの過ごし方も、以前に比べてなんだかふわふわとした感じで、偶然の出会いに喜んだりして、あらためて本の楽しみ方が増えたみたい、とっても楽しい。
そんな今日この頃なので、今までと違う新しいジャンルの本も読んでみようかな。と、最近は、本の感想を書いているクリエイターさんのnoteを読んで回っているところです。児童書や絵本なんかも楽しいかもなぁ。