「違いを喜べる教室」をつくるため、二足のわらじを履いてみた。
こんにちは、Rootsプロジェクトで、学校連携の企画運営や生徒伴走を担当しているさくらです。
10年間教員として立っていた教室から、学校の外に飛び出し、カタリバ Rootsプロジェクトに入ったのが半年前。
私が教室で接してきた生徒から感じてきたこと、今回のキャリアイベント企画にたどり着くまでを、みなさんと一緒に巡ってみたいと思います。
◆言葉だけでは自信が持てない生徒たちに、自信を持って学校生活を送ってもらいたい
私が日本の学校で働いた間、多くの外国ルーツの中高生に出会いました。国際学級を担当をしている時は中1〜高3までが一つの教室にいたため、全員に同じことを教えるのではなく、それぞれに必要な学びを考える日々でした。
私が勤めていた学校では、日本語がまだ十分に身についていない生徒(日本語指導が必要な生徒と表現されます)は、国際学級で個別に日本語を学ぶことができます。私と一緒に熱心に日本語の勉強をしていた中学生の男の子がある日、「クラスのみんながいる体育の授業に行きたくない」と目に涙を浮かべてつぶやきました。(日本語学習がとてもうまくいっていると感じていただけに、彼のそのような姿を見て「私は何か大切なことを忘れているのかもしれない」と、ハッとさせられました。)
学校生活になじめない生徒は何人かおり、ふと、彼らが日本の学校生活を自信を持って過ごすには、何かとても高いハードルがあって、日本語を教えるだけではその壁は超えられないのだと気づきました。
複数の言語で表現する力、母国での学びや国を越えた経験、その生徒にしかない経験をたくさんしてきたのに、日本の教室に自信を持って向かうためには、どんなに上手に日本語を教えてあげられたとしても、日本語指導だけでは十分ではない。
言葉以外で生徒の突破口になるものは何だろう。
そう思うようになってから、外国ルーツの生徒がリーダーシップを発揮できるよう、英語や中国語を主言語とするイベントを企画したり、境遇が似ている先輩の話をきく進路ガイダンスを実施したり、、
コロナで学校の風景が一変、変わるチャンスがきている
そうして試行錯誤している中、新型コロナウイルスの影響で、学校のICT化が進み、一人一台のPCを持つようになり、学校の風景が一気に変わりました。学校の中だけではなく、もっと広い視点で「教育」が変わるチャンスが来ているのかも!と感じたのです。
それをきっかけに、私は、教室の外に出てみようと、教員をパートタイムに切り替え、二足目のわらじとしてNPOカタリバの一員になりました。目の前の生徒と教室をずっと見続けていた世界から、日本を見渡して社会全体で考えていく、そう語るカタリバの人たちに出会って「どーんっ」と響いたのを覚えています。
◆「小さな自分の振り返り」・・・積み重ねる場が生徒の自信につながる
カタリバの一員になって半年間、外国ルーツの生徒たちに対して、生活やキャリアの伴走をしたり、学校と提携して個別最適な学びを届ける仕組みづくりをしてきました。
子どもたちにとって(大人にとっても)、異国の地で暮らすという経験はときに自分の無力感と向き合わなければならず、「自分の今までの大切な経験の価値を認識する」ことを難しくします。
このイベントの企画担当という役割を担うことになった時、カタリバでつながっている生徒たちに、イベントを通して自信を持って自分の人生を歩む気持ちを持ってほしい。
日本社会の壁を目の当たりにし「自信がない」と話す生徒たちに、「あなたは今まで色々なことを経験してきて、それが強みになるんだよ」ということを、どうやって伝えられるだろうか。
「自分はこういう人だよね」、誰かといっしょだから向き合い受け止められる
あなたの人生・経験を振り返ってみましょう。
そんな風に言われても、自信を失っている状態では、自分を見つめても嫌なところ、今できていないことが目につくばかり。私だって、キャリアに悩んだときにそのように言われるのはつらいと思ってしまいます。
どうしたら楽しく、自分のこれまでの経験を見つめることができるだろうか?
そんなふうに考えて取り入れたのが、「I am from poem」という自己理解のためのワークと、ワクワクする未来に自分に必要だと思うものを想像し、選ぶ「未来へのトランク」というワークです。プログラムのさいごには、自分の選んだ未来を仲間に宣言します。
「I am from poem」では、
「わたしは______________から来ました」という構文に沿って、自分にとって大切なキーワードを入れていきます。
小さい頃に好きだった場所・人
愛着を持っていたもの
心に残っている景色
「未来へのトランク」では、自分の過去を振り返って見つけたキーワードから未来に持っていきたいものを選び、さらに、今は持っていないけど、未来では持っていたいものについて、グループで話し合いながら、足していきました。
「自分を語る」という成功体験が、次の一歩を踏み出す勇気へ
最後の発表では、「今までの自分」と「これからの自分」を繋いで、1人1人が自分の言葉で語ってくれました。
「自分は人の役に立てる」「自分の将来が楽しみ」、そんなふうに感じてそれぞれの人生を歩いて行けること。「学び・生きる」ことの喜びは、「自分への肯定」から始まる、と実感させてくれた参加者の言葉でした。
人前で話すことが苦手だからと発表を予定していなかった生徒が、他の人の語りをきいた上で「自分も発表する」と言って未来のトランクの中身を共有してくれる場面もありました。その生徒が勇気を持って表現できたのは、自分にチャンスがきて、それを掴みたいと思ってくれたからなのかな、と。
今回のイベントで行ったような「小さな自分の振り返り」の積み重ねは、生徒たちにとっての次のチャレンジの踏み台になると思っています。
◆目の前の生徒と自分、という世界から出てみて学んだこと
イベントの企画運営を通して、私自身も生徒たちといっしょに自分のこれまでを振り返りました。特に思い出されたのは、学校で働いていたときの生徒に抱く想いの葛藤です。
私は大学時代、日本語教師になりたいと思って日本語教育を学びました。
日本語教師というと、日本語学校のイメージが強いですが、実は、小・中・高の教育課程でも日本語教師が入っていることがあります。私が所属していたような「国際学級」で国語の時間のかわりに日本語を教えたり、放課後の時間を使って日本語や教科の補習をしたり…。「日本語教師は食べていけない職業」といろいろな人に反対されながらも、日本の中学・高校で自分の可能性に気づけずに過ごしている外国ルーツの生徒たちの力になりたいと思い、まずは学校現場に入るために教員採用試験を受けました。
いざ、中学校の国語の先生になってみると、
「みんなが同じことに取り組み、みんなが同じ基準を目指す」教育
がありました。
教室には外国ルーツの生徒も何人かいましたが、私自身、授業で言語に配慮する余裕がなかったり、なんとかリライト教材(教科書の本文をやさしく書き換えた教材)を用意しても特別扱いに思われないように廊下の片隅で生徒にこっそりと手渡すしかできなかったり。
「みんなに同じように」接しなければいけない
そういうプレッシャーの中にいました。
そんな中、あるタイルーツの生徒が保健室でパニックになって大泣きしていたことがありました。それは先生たちの中で精神的な問題として扱われていました。私の目には、その生徒の行動が、日本語も生まれた国の言語も充分に習得する機会が与えられなかったことが原因で、思考する言語を持てずにいるからなのではないだろうかと感じました。
その生徒の叫び声は「私には自分を表現する声(ことば)がない」という「魂の叫び」に聞こえました。
「自分を表現するための言語を一緒に育てることができれば彼女は泣かなくても済むかもしれない」
言いたかったけど、言えませんでした。
「自分の学年の生徒・担当する生徒ではないから口出ししてはいけない」
と、自分を説得しました。
そんな葛藤を過ごしたから、
「生徒一人ひとりが違うことが前提だから、それぞれのアプローチで接することが当たり前」
という教室の雰囲気を作ることが私の夢です。
「みんなに同じように接する」ことがいつも正義だなんてことはない。
けれどそのような認識の変化を起こすのは、学校の先生だけに責任を背負わせる問題ではない。日本の学校教育全体で、日本社会全体で考えていくことなんだ、と学校の外に出てみて初めて気づかされました。
教員として働いていたときは、
生徒と先生、という世界に生きていて、課題を解決するためには教員が何とかしないといけないと思っていました。
外に出て初めて、社会の側もいっしょに変わっていこうと活動している人たちがいることを知りました。いろんな人に頼りながら、抱え込まないように、「生徒一人ひとりが違って当たり前」という関わりができるように、私自身も今後の活動を続けていこうと思っています。