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【授業】議論で大切な「非攻撃型自己主張」

中継やニュースなどで国会の議論を目にすることがあります。

あれを見る度に思うのは「生徒たちに、こんな議論はしてほしくないな」ということ。

特に野次を飛ばし合う様子は不快でしかありません。個人的には、あんなものは議論とは呼べないと思います。

では、どうすればいいのか? 僕は議論の授業において「非攻撃型自己主張」を大切にしています。

〈わたしの授業思想〉

議論の授業において、私が大切にしているのが「非攻撃型自己主張」です。これは

「話を最後までしっかり聞いた後で、相手の人格ではなく内容そのものに反論すること」

堀公俊『問題解決ファシリテーター』より

です。私が「非攻撃型自己主張」を大切にするのには3つの理由があります。

第一に、生徒の防衛反応を防ぎ、議論をより活発にするためです。

多くの生徒は「こんな事を言ってバカにされないだろうか」「バカにされるくらいなら黙っていたほうがいいのでは」と考えてしまいます。

これを「防衛反応」と読んでいるのですが、この防衛反応を防ぐには「この授業では何を言ってもバカにされない」という安心感を感じさせる必要があります。

そのための一番の方法が「非攻撃型自己主張」を身につけさせることなのです。

第二に、話を最後までしっかり聞くことを習慣化できるからです。

話の途中で口を挟まれるのは嫌なものです。嫌な思いをした生徒は、次の機会では発言しなくなってしまうでしょう。

逆に、しっかり(時にはうなずいたり、メモを取ったりしながら)話を聞いてもらえると、嬉しい気持ちになります。

後で反論されるとしても、話しているときに嬉しく感じた生徒は、次の機会にっも発言してくれるでしょう。

第三に、人格と内容を切り分ける練習になるからです。

「仲がいいあの子はいいことを言っているはずだ」「あいつは嫌いだから意見もレベルが低いに違いない」

こんな風に、人格(関係性)を内容の善し悪しの判断に影響させてしまう生徒は少なくありません。(国会でも「派閥」という名のもとで、これが行われていますね…)

しかしそれでは、意見の内容について考えを深めることは出来ません。

それどころか、危うい意見を無批判に受け入れたり、せっかくの良い意見をドブに捨てることになったりしてしまいます。

人格(関係性)に基づいた「思考停止」の判断をさせないためにも、「非攻撃型自己主張」が大切なのです。

〈私の工夫〉

私の議論の授業では「非攻撃型自己主張」という言葉とその意味・意義を伝えた上で、その実現のために3つのルールを示しています。

3つのルールとは

①他の人が発言しているときは発言も挙手もしないこと
②攻撃ではなく反論をすること
③反論は意見に対してすること。人に対してしないこと 

です。

①はわかりやすいと思います。挙手まで禁止するのは、先述の「防衛反応」を防ぐためです。

また話を最後まで聞き、理解してから反論するということを身につけさせるためでもあります。

途中で反論を思いつき、手を上げてしまった生徒は、そこから先の話は聞いていません。自分の反論を言うことに意識が向いてしまうためです。

②の「攻撃」と「反論」には、明確な違いがあるわけではないのですが、このルールによって「相手を言い負かしたい」という気持ちからの発言が減ります。

そして「良い部分もあるけど、この部分は納得がいかない」という理論的な発言や「もっとこうした方がいいのでは」という代案を含む発言が増えたように感じています。

また、反論を受ける側にも「このルールがある異常、反論は攻撃ではない」と伝えています。

攻撃ではないのだから「やり返そう」などと思ってはいけないということです。

反論に納得できなければ反論に反論してもいいし、納得すれば意見を変えてもいい」とも伝えます。

反論しあって議論を深め、より良い結論にたどり着くことが、議論をする目的だからです。

③は「非攻撃型自己主張」の核となる部分です。「人」ではなく「内容」に着目すること。これは折に触れて何度も伝えています。

〈まとめ〉

ここまで読んでいただいてわかるように、もし国会議員の方々が私の議論の授業にいたら、評価はCでしょう(笑)

非攻撃型自己主張を身につけさせることで、議論をより活発に、建設的にすることが出来ます。

未来社会の形成者たる生徒たちには、ぜひ身につけてほしい力だと思っています。

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