心理的安全性とは何なのか〜その誤解と本質〜(インプット備忘録6)
こんにちは。とあるベンチャー企業でひとり人事をしている朱夏です。
前回に引き続き、ミミクリデザインさんのWDAより、動画コンテンツの備忘録です。
先日は対話についてのお話でしたが、今回もそれに割と近しいものですね。
「心理的安全性」についてのお話です。
「心理的安全性」という言葉は、Googleでの取り組みが取り上げられて以来広まってきた言葉です。意味を説明できなくても、言葉の感じからなんとなくのニュアンスは読み取れるのではないでしょうか。
弊社は人材開発を生業としていることもあり、「心理的安全性」という言葉はもはや知っていて当たり前、という感じになってきました。
ただ、一方でこの意味をきちんと理解しているか、さらにこれを自ら実践しているか、というと、自信を持てる人・組織はそんなに多くないのではないかと思います(よくある言葉の“一人歩き“が起きている気がします)。
ということで、自戒の念も込めて心理的安全性についてまとめていこうと思います。
なお、動画は株式会社ZENTech 取締役の石井遼介氏のWebinerを録画したものになります。
(ZENTechさんについてはこちらをご参照くださいませ)
そも、心理的安全性とは?
読んで字のごとく「心理的に」「安全な状態」なわけですが、
まずはその逆、心理的“非”安全な状態を考えると分かりやすくなります。
◾️心理的“非”安全な状態=罰と不安が蔓延している状態
組織における罰というと、怒られたり皆の前で吊し上げにあったりなんかのイメージがあるかと思いますが、ここでいう罰とはそれだけにとどまりません。
・組織の課題を見つけて上司に報告したら、「じゃあやって」と丸投げされた
・新しい取り組みを提案したら「それ、うまくいくの?」の一言しかない
こういった、言った側からしたら日々の何気ない一言も“罰”に含まれます。
このような「チームのために行動しても罰を受ける」という不安が蔓延していると、人は罰や不安を避けるための行動を取るようになります。
すなわち、何か問題を見つけても知らない振りや、新しいことを提案せず今まで通りにやり過ごそうとするのです。
じゃあ「心理的安全性」がある状態とは何か。
それは、生産的で良い仕事をするために、健全に意見を戦わせることができる状態です。
具体的には①話しやすさ、②助けあい、③挑戦、④新奇歓迎という4つの因子で捉えることができるので、簡単に言うと
率直に意見を言っても
周りに助けを求めても
挑戦してみても
個性を発揮しても
安全が担保されている状態ということになります。
正解のない時代には心理的安全性が不可欠
心理的安全性にまつわる研究自体は約20年前から行われてきました。
昨今急に叫ばれるようになったのは、特に今の時代が複雑で曖昧な変化の激しい時代、つまりは「正解のない時代」に突入してきていることが関係しています。
これまでは、決まったものを作れば売れる、何が売れるのか予め分かっている、いわば正解がある時代でした。
ところが、今は何が売れるのかもわからなければ、一度ブレイクしたものがいつまで続くかもわからない。そんな時代になってきていることは誰だって肌感覚で気づいていると思います。
そんな時代にあっては、良いチームの定義も変わってきます。
決められた勝ちパターンがあって、それをより効率的にこなしていく在り方が正解のある時代だとすれば、正解のない時代においては、とりあえずやってみて、その結果から情報を集めて試行錯誤を繰り返していく、という在り方へのシフトが必要ということです。
この「やったことないけど、とりあえずやってみよう」を実現するためには、目の前で取り組もうとしている事柄への意義、意味を信じ、別々の価値観を持った人々が様々な観点から率直に対話をし、意義ある目的のために取り組んでいく姿勢が必要になります。
これが実現している状態とはまさに「心理的安全性」がある状態であり、まさにこれからの組織マネジメントにおいてなくてはならない要素なのです。
心理的安全なチーム=ヌルいチーム?
心理的安全性についてよくある誤解としてよく言われるのがこちら。
実際、「心理的安全性をつくろう!」と言って取り組んだ結果、なんだか緩いチームになってしまって「え、これでいいのか?」「こんなはずでは…?」と思ったことがある人もいるかもしれません。
私自身も、他者を攻撃しないようにすれば心理的安全性が担保されるのだと思って組織の雰囲気作りに取り組んだことがありました。
結果、確かに要らぬ口論や仲違いは減ったので、そういう意味では雰囲気が改善したと言えたのですが、これまで組織の中にあったはずの「切磋琢磨していこう」という気概も減ってしまった気がします。
これはどういうことなのかというと、仕事の“基準(Standard)”と併せて考えなければいけないということなのです。
上の図は、心理的安全性と仕事の基準のマトリクスです。
「心理的安全性」を用いて理想の組織を作ろうとしている人たちがイメージしているのは、右上の状態かと思います。
つまり、心理的安全性が高い故に組織の中で試行錯誤と学習が推進され、健全な衝突と高いパフォーマンスが起きている状態です。
この状態にするためには、仕事の基準を高くしなければなりません。
基準が低い状態で心理的安全性だけが担保されていると、コンフォートゾーンでありつつ仕事の充実感のない“ヌルい職場”となってしまうのです。
ここでいう「仕事の基準が高い」とは、目標が高いということではありません。
「妥協点が高い」ということです。
要するに、何か目指すゴールがあった時に
「まぁこれくらいでいいんじゃない?」
「ここまでやれば十分やったと言えるよ!」
と言えるハードルを高く設定するということです。
確かに、私自身、よく周りのメンバーに対して
「あ、いいですそんなもんで、はい!」
「まぁもうそれ以上は無理…ですよねぇ〜…」
と言ってそれ以上求めないようにしていたと言いますか、周囲にも求めさせないようにしてしまっていたな思い返し、この部分はとても耳が痛かったです……
心理的安全性がある→健全な衝突が可能
というところを無視して
衝突しない=心理的安全性がある
としてしまうと、心理的安全性の本質を見誤ってしまうということです。
これは肝に命じなければと痛切に思いました。
まとめ
長くなってしまいましたが、ダイジェストでまとめるとこうなります。
罰やルールで縛り、新しいアイデアにブレーキをかけるようなやり方では、これから加速する「正解のない時代」を生き残れない。
ビジョンや働く意義、個々人の能力やポテンシャルを活かした適材適所で、仕事そのものへの大義を持って取り組める環境があってこそ、新しいアイデアや試行錯誤が盛んなチームになっていく、というお話でした。
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過去を振り返って「あれと同じものをもう一度」という考え方ではもうやっていけない世の中になってきているんだなと、特にこの3〜4ヶ月で痛感しました。
一方で、未来を描くというのも言うは易し行うは難し……
未来を描くのって、少なくとも私にはとっても難しいです(・н・;)
どうしても現実の制約条件や「どうせやったって」という諦めが首をもたげてしまう。
すでに起きたことである過去を見つめる方が楽だし、みんな一律のルールがあったほうがわかりやすいとさえ思ってしまう自分がいるのも事実です。
そんな私自身を説得するのだって大変なのだから、赤の他人を説得するなんて、とんでもなく難易度が高いよなぁと思ってしまいます。
それでも、腐らずに。すぐに実現しようとしないで、ゆっくりやっていけばいいんだと腰を据える覚悟だけ持って。
一歩ずつ歩みを進めていきたいなと思った日曜日の夜でした。
それでは今日はこの辺で( ˘ω˘)