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『きっと、またあえる』を観て、この世を捨てていく人達に途方に暮れる



なんでだよ、なんでなんだよ、と見ている途中からずっと考えていた。

スシャント・シン・ラージプート(Sushant Singh Rajput)。
1986-2020。
輝くような笑顔も、苦悩に涙する瞳も、はにかんだ頬も、水をはじく胸板も、もう全部この世にはいないんだ。


素晴らしい映画だった。
だからこそ、辛い。

こんな作品にこんな役で出た人が、その公開から1年も経たない内に死を選んでしまった、という事実にどうしていいのか判らなくなる。



辛さの底にいる時に、どうしたら自らを救えるか。

きっといろいろある。ある筈だ。間違いなくある。
なのに、どうしていいのか判らなくなる。

きっと無数にある筈のその「方法」のひとつに、「素晴らしい創造物に触れる」という行為がある、そうずっと信じてきた。
今だってまだ信じてる。いや、信じたい、と思っている。

なのに駄目だ。
だって、こんな作品に出た人が、そのルートを選んでしまうんだよ。
じゃあもうどうしたらいいっていうんだ。



『きっと、またあえる(原題・CHHICHHORE)』は、離婚した夫婦の間のひとり息子の大学受験の話で始まる。

スシャントが演じるアニは、息子の父親だ。
息子はかつて両親も在籍した「100万人が受験して合格は1万人」という、そらおそろしい競争率の名門大学を受け、そして落ちる。


インドの受験戦争はそれはもう熾烈なものなのだそうだ。
日本なら「第一志望がダメでも、第二志望なら」とか「仕方ない、浪人しよう」となるところが、絶望に落とされた彼は、突発的にマンションのベランダから身を投げてしまう。

危うく一命をとりとめはしたもののその命は風前の灯、体の状態が悪いのは医術を尽くすしかないけれど、何より本人に「生きよう」という気力が全く無い。
そう告げる医者に、父親は「大学に受かりはしたものの、そこで『負け犬』だった自分と友人達の話」を始める。
そしてかつての「負け犬」達を呼び集める。

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パンフ表紙より、手前が中年になった「負け犬」達、後ろが学生の時の姿(素顔は若い方で、中年姿は老けメイク)。
苦しむ主人公の元に全員が即座に駆けつける、そんな友情もたまらない。


物語の中で、父親は息子の行為に滂沱の涙を流し、ひどく後悔する。
あの時ああしてやれば、自分のあれがいけなかったのか、息子を追い詰めたのは自分ではなかったか。
幼い頃からの時間を思い出し、その輝きをいとしみ、より自らを悔やむ。
大学の合格不合格なんてどうだっていい。こころから愛する我が息子、お前が生きていてくれるならそれだけでいい。

映画のラスト近く、息子の発したある問いに、ベッド脇に控えた「負け犬達」が順に一言ずつ、同じことを答えていく。
その様子を見ながら、喉が詰まる程泣いた(正直に言うと、冒頭の方から延々泣いていたのだったが)。


ああ、途方に暮れる。
こんな映画に出て、こんな言葉を発する人が、そんな道を選ぶなんて。

そうじゃなかったらきっと言えた。
「どうしようもなくしんどい時は、この映画を見るといいよ」と。
きっと相手の本当のこころなど顧みず、そう残酷に言えたと思う。


でももう言えない。
こんなにも素晴らしい作品が、ひとのこころを救わない。

どうしたらいいんだ。
何をしたらいいんだ。

書いたって書いたって、誰も救わない。
自分の「書くという行為」で救えるのは、自分だけだ。

それは判ってる。もう痛切に理解している。
だけれど何とか、少しでも、髪の毛のように細く切れやすい一筋の何かでいいから届きはしないのか。
無理なのか。


かつてレスリー・チャンが自らの命を絶った時にもひどく考えた。

Show must go on、舞台は何があっても続く。それを見ている人達の為に。
観客のこころを慰め、笑わせ、泣かせ、日々の辛さや悲しみを忘れさせる為に。

けれどもそれを行なっている人達が辛い時にはどうしたらいいのか。
一体この人達は、誰にどうしてもらえばいいのか。
観客を幸福にするだけでは自身が満たされなくなってしまったら、一体周囲に何ができるのか。
夢を与える人達は、誰に夢をもらえばいいのか。


人々に夢を与えることがもう続けられなくなる程に辛く苦しいことがこの世には確実にある、という事実がひどく悲しい。
どんなに頑張ったってどうしようもなく満たされない、まっくろでつめたいところにすぽっと入り込んでしまうことが、たまらなくおそろしく、そして切ない。


ふいっとそちら側に踏み外す。
くろぐろとしたものを、目を見開いてずうっと見つめ続けてしまう。
何もかもに無感動になって、こころがぴくりとも動かない。
首の後ろにとんでもなく重たいものがずっしりと乗って離れない。
指の先が氷のように冷たくて、何をどうしても血が通わない。
わるい思いつきが次から次へとこころに浮かぶ。
やわらかくてあたたかいものを、ぎゅうっと握りつぶしてめちゃめちゃにしたくなる。



どうか、叫んでほしい。
泣いて叫んで喚いて、全世界に知らせてほしい。
暴れて転げ回って教えてほしい。


まだそっちへ行ってはだめだ。
口をつぐんではだめだ。


頼むから、どうか。

 

   



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