【逆算】この冬、親子で話しておくべきことは「あなたが勉強する意味」
東京などの都市圏では、
ここ数年中学受験が流行っているという。
なんだ、「中学受験」が流行ってるって。
そんなことあんのか。
私は北海道に住んでいるので、その流行はこちらまでは届いていない。多分、津軽海峡で止まってる。それでも、英語教室を運営しているので、保護者さんの意識が年々高くなっていることは手に取るように感じる。
現在、その都市部で起きている現象を
「第3次中学受験ブーム」と呼ぶらしい。
首都圏では10年連続で中学受験率が伸びていて、東京都教育委員会が発表した24年の東京都の中学受験率は過去最高の18.12%となった。
特に文京区、中央区、港区などの都心では受験率が高く、ほぼ二人に一人が中学受験をするという。
昔はクラスの勉強の得意な1割くらいの子が中学受験をしていた印象だが、最近は親が「公立中学ではダメだ」と思い込んで、勉強の不得意な子にまで早期から受験勉強をさせることが増えているらしい。
最近、このことについて、よく考える。
私は、中学受験すること自体は全然良いと思う。
私の生徒にも毎年何人かは中学受験する子がいるし、みな自分で「〇〇中学に行きたい!」と志望して、受験勉強も本当によくがんばった。
子ども自身が希望して本当にその中学に入りたいなら全然いい。でも、そんなケースばかりではない気がするから、私は警笛を鳴らしたい。
本人が希望していないのに、親が
「我が子を〇〇中学に通わせたいから」
「〇〇大学に行かせたいから」
「だからお前はがんばって勉強しろ」と言うのはやっぱり違うと思うのだ。
そして
「いい学校に行けば、選択肢が広がるぞ」も
「だからとりあえず勉強しろ」も、違うと思う。
確かに勉強はしたほうがいい。でも、
「なんのために勉強するのか」を我が子と一緒に掘り下げる必要が大いにある、と思うのだ。
今日は、中学受験のみならず、
「勉強する意味」について考える。
「とりあえず勉強しろ」
「頑張って勉強していい学校に入れば選択肢は広がる」
それは本当に正しいのか?
最近、少しづつ答えが出てきたから、
今日は私の話を聞いてほしい。
…なんて、中学受験に対し偉そうに警笛を鳴らしている私だが、我が家の三姉妹も小学校受験させて国立の附属に行かせたお受験組だ。第一回「どの口が言うとんねん大会」の開幕である。
うちの中学校はエスカレーター式なので、中学受験は実質ない。しかし附属の高校は無いので、これから高校受験はある。
私が娘を小学校受験させた理由は、
そこが私の母校だったから。以上。
では、なぜ私の母は私をその小学校に入れたのか。それは、そこが母の母校だったから。以上。
ちなみに、母がその小学校に通っていた理由は、家が近かったから。以上。
そんな安易な考えで娘たちは小学校受験し、今に至る。
田舎の小学校受験は良い。とてもゆるい。
お試しで受験する人も多い割に、都市部に比べて倍率も高くないし、お金をかけて対策をしなくてもサクっと入ることもある。
なので、私は教育に熱心な親ではない、と自覚している。
ただ私も人並みに「学歴主義」の気持ちはある。
やはり学歴は有益だ。学歴に人生を助けられることもあるし、なにより、良い大学に入ると面白い友達に出会える。それは確か。
正直に言おう。
私も娘には有名大学に入って欲しいと思ってる。
それは認める。
でもそれは、私が思ってるだけで、本人が望まないなら有名大学に入らなくても、なんなら大学に行かなくてもいいと思ってる。これも本音。
大体さ、どこなんだよ。
その有名大学ってのは。
東大か?旧帝大なら満足なのか?早慶上理か、はたまたGMARCHか。わかった!駅伝出てたらいいんだな。
そもそも親の話す「いい大学に入れ」は、
漠然すぎるんだ。
「いい高校に行かないといい大学に入れないぞ」
「いい大学に行かないといい会社に入れないぞ」
「いい会社に入れないと幸せになれないぞ」
そんなことは、ない。
私たちも大人になり、たくさんの人との出会いを経て、学歴と人生の幸福度は必ずしも比例しない事を知っている。いい会社に入っても、働きづめで全然幸せそうじゃない人はこの世にごまんといる。
そもそも、
その最終着地点の「いい会社」ってどこですかね?
三菱商事?電通?ゴールドマンサックス?
(え?「いい会社」の情報が古い?笑)
確かにどこも「いい会社」です。
でも一番大事なのは「子どもがそこに入りたいか」じゃないですかね。
「いい会社」に入れたいのは、
親の方だったりしてませんか?
もっと言えば「どこの会社に入りたいか」じゃない。一番に大事なのは、子ども本人が
「何になりたいか」だし、
「何をやりたいか」ですよね。
親は、まず
そこを一緒に考えてあげたらいいと思うんです。
ウチの子は、何が好きなのか。
何が得意で、何が不得意なのか。
何が向いてて、何が向いてないのか。
例えば、私は多分、銀行員とか経理とか数字を扱う仕事には向いてない。だって間違うから。あと、医療従事者にもなれない。だって間違うから。気を付けたってミスをする。私は不注意の特性が強い。これは生まれ持った性質だ。
でも、英語の先生にはなれた。
何かを間違えてたとしても命にかかわる間違いはほぼ無い。
そして何より、私は教えることが好き。
伝えることが好き。
子どもが好き。英語が好き。
よって、天職。
「自分を知る」が最も大事だ。
親は、子どもが「自分を知る」過程を手伝ってあげたらいいのだと思う。
我が子の性格と好み、適性をよーく見て
「あなた、こういう仕事も向いてるかもね。」
って。または、
「あなたは将来、どんな暮らしをしたいの?」って子どもと話してみたらいいと思うんです。
子どもたちは自問自答するにはまだ若いから、親という一番近い他者からの言葉で、そのヒントを見つけられるように。
都内のタワマンの最上階でブランド物に囲まれて暮らしたいのか、はたまた、人里離れた山奥で自給自足で暮らしたいのか。
もちろんそれは極端な例だけど、小中学生の子どもたちは、まだまだ知らない事も多いから、「こんな世界もあるよ」「こんな暮らしをしてる人もいるよ」って見せてあげて、その上で「あなたはどんな暮らしがしたいの?」「あなたは何がやりたいの?」って、聞いてあげたらいいんだと思う。
ちなみに、つい先日。
大掃除を終えたあとのうちの中一の双子姉妹にも聞いてみた。
「あなた達ってさ、大人になったらどんな暮らしがしたいの?」
二人そろって遅く起きてきてTVを見ながら朝ごはんを食べている時だった。私もコーヒ片手に一緒にダイニングテーブルの向かいに座り、質問したのである。
「えー、どんな暮らしってー?」
二人とも、目線をTVに向けたまま、ダラダラごはんを食べてる。
「大人になったら、こんな暮らしがしたい!っていうイメージ、なんかある?タワマンの最上階に住みたいとか、山奥で自給自足したいとか。」
「え、どっちも嫌だな。」
「高いとこ苦手だし、虫キライだし。」
「実はママさ、気づいちゃったんだよね。あなたたちが将来どんな暮らしがしたいのか。」
朝突如現れた、ミセス・デッカチャン、41歳。
「え、なに。」
「言ってみてよ。」
「あなたたちの理想の暮らしって、
推しに好きなだけ課金出来る生活じゃない?」
その瞬間、双子は二人そろって私の方を向き、大きく目をあけて
「そう!!!!!!」
と言った。
ほらね。わかるのよ。
誰だと思ってんのよ。ママだぞ。
「多分あなたたちの理想の暮らしは、推しに好きなだけ課金出来て、家にはそのグッズを飾れるスペースがあって、推しのライブの日は自由に仕事を休める生活なんじゃないか?」
「それ最高~!」
「タワマンより全然いいわー。」
その生活の是非は置いといて。
…ということは、だ。
「じゃあ、その生活をするために必要な要素を考えて行けばいいよ。例えば、推しに月いくら課金出来たら満足なのか、それを踏まえて余裕のある月収はいくらなのか。その収入を稼げる職種は何があるか。自営か、会社員か。」
「とりあえず、週休3日くらいのゆるい会社に就職したい。」
おい。
それなりのお給料もらった上に休みも多めに欲しいなんて、社会をナメんなよ。…という気持ちも更に置いといて。
ま、世の中、選択肢は色々ある。
「そしたら、まず推しのライブに行きやすい街ってどこだろうね。」
「東京とか?」
「そうね。この街は出た方がいいかもね。あと、休みも多くてお給料もいい良い会社ってどんなとこがあるんだろ?でも、もしほんとにそんな優良企業で仕事したいなら、どのくらいのレベルの大学に行くべきか決まってくるかもね。」
「数学と理科は嫌いだから、文系がいいな。」
「職種によっては学部も狭めていけるかも。でも、もし本当にそのくらい高いレベルの大学に入りたいのなら、市内では〇〇高校とか◇◇高校とかに行くのがいいかも。ってことは、内申点で〇ランクはないと厳しいから、あなたは今勉強しないとそこにはカンタンには行けないぞ、ってことよ。」
「たしかに。」
「なるほどね。」
「ということで、とりあえず冬休みの宿題やってくれ。」
「なるほどね。」
「でも、めんどくさいんだよな~。」
と二人は目線をTVに戻した。
まぁ、私の言葉がすぐに二人に響いたかどうかはわからんが、親がすべきことは、まずは子どもの「なりたいもの」「やりたいこと」がどんなに馬鹿げた夢でも、否定せずに聞くことだ。
夢を否定された子は、もう親に本音を話してはくれない。
私はこれからも二人と将来どんな風になりたいのかを話し合いながら、選択肢を一緒に調べてあげたらいいのだと思う。そしてそれを親として、たくさんテーブルに並べてあげたいと思うのだ。
まぁ、
私も親としてこれが正しいのかはわからない。
私もまだまだ情報や知識が足りないし、
やっぱり学歴志向が根強い親だとは思う。
でも漠然と「黙って勉強しろ!」とは言わない。
大切なのは、逆算的思考だ。
「中学受験しないとあの高校には入れないぞ」
「いい高校に行かないといい大学に入れないぞ」
「いい大学に行かないといい会社に入れないぞ」
「いい会社に入れないと幸せになれないぞ」
これは、中学から→大人へ、
現在から→未来へ、の考え方だ。
ちがう。逆算するんだ。
未来から→現在を見出す。
思い描く大人像から逆算して、今、中学高校をどう過ごすのかを決めるのだ。
「こういう生活がしたいから、これになりたい」
「これになって、これがやりたい」
「そうなるためにはこの学校に入った方がいい」
(※必要ないなら、行かなくたっていい)
「この学校に入るためには、この高校に行ったほうがいい」
「この高校に入るためには、中学受験したほうがいい」
それなら理解出来る。
前述の考え方との違いがわかるだろうか?
その上でたとえば本人が「将来は医者になりたい!」と言うのであれば、そりゃ大学は行かなければならないだろうし、親はお金をかけてでもがむしゃらに勉強させる必要もあるだろう。
でも、高校卒業後に地元で就職したいなら、今、そんなに無理させてまでガンガン勉強させなくてもいいんじゃないかって思うんです。
まず、ゴールを決めないと。
そしてそのゴールは、違うと思ったら途中で変えたっていいんです。そこまでの道は決して無駄にはならない。それは保証する。
そのゴールが決まってもないのに、がむしゃらに勉強させても、歪が生じる。
多分勉強しろって言っちゃうのってさ、それって、親が「不安」だからだと思うんだよね。もっと勉強しなくて大丈夫かな?って。将来ちゃんと職に就けるのかな?って。わかる。私もめっちゃ不安だから。
世の中の「勉強産業」は、親の「不安」の上に成り立っているもんな。ま、英語講師のお前が言うな、っていうね。そんなん「どの口が言うとんねん大会」の二回戦突入だよな。
でも親が「なんとなく我が子の将来が不安だから」という理由だけで勉強を強いていたら、いつか子どもに限界が訪れる。なにより、親子関係に支障が出る。
そんな「もっと勉強しろ」って怒号を飛ばして親子関係が悪くなるくらいなら、一緒に外の世界に連れ出して、いろんな物を見せて体験させて、自分は何が好きなのか、何に向いてるのかを一緒に見つけてあげたらいいと思うのです。
「いい学校に行けば、将来の選択肢が広がる」
それは確かに一理あるかもしれない。
でも、本来外で遊ぶべき”幼少期”や”小学生時代”という大切な時期に、家で受験勉強ばかりさせても、逆に選択肢や価値観が狭まることがあるのでは?と思うこともある。
勉強は大事。
それでも、季節を感じて自然を楽しんだり、いろんな場所でたくさんの人に会い、たまには旅行に行って違う土地の文化に触れたりして、色々な経験を積んで欲しい。
こんな世界もある、こんな人たちもいるんだと、価値観と視野をひろげて欲しい。
そこから、ひょんなことがキッカケで、将来の夢が見つかることも大いにある。
人生を変える「なにか」は、
わかりやすい顔をしていないらしいから。
何になりたいか、何をやりたいか。
それがまだ見つかってないのなら、中学高校で探したっていい。そういう意味では、選択肢が多い学校に行くのは賛成だ。
親としては、
それをあくまで「手伝って」あげよう。
親が先回りして決めてしまってはだめだ。
こちらが決めつけてはだめ。
本人が決めるのを待つのだ。
だから、難しいよね、親って。
口も手も出したくなるのが、親じゃん。
それでも、子どもたちの将来のために、ぐっとこらえよう。だって、私たち大人だもん。
世の中の子どもたちみーんなが、
自分に合った道を見つけられますように。
そして、
充実した人生を送ることが出来ますように。
2025年、私の、心からの願いを込めて。