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もう涙を流したくないから。

兄の子供の話になり、母と姉が昔の家族写真が入っているアルバムを開く。次々と訪れる様々な感情を感じて僕は見るのを辞めた。僕は昔から写真を撮られるのが苦手でいつも兄弟で写真を撮る時は姉、兄の2人で撮ることが多かった。少しの恥ずかしさと少しの緊張、そして自発的な笑顔が作れないというのが主な理由だ。だからアルバムを見ても僕の写真は少ない。その代わりに母、父、兄、姉とそれに映る沢山の背景と沢山の感情はこれでもかとアルバムの中に入っていた。僕はその光景を見るといつも涙が止まらなくなる。昔の自分の感情と見てきたものを思い出すから、その内訳は必ずしも美しいものでは無い。父(ADHD.ASD.躁鬱.強迫性障害持ち)が3日連続発狂して、寝不足のまま行った運動会。その所為で昼のお弁当をあまり食べれずにいた事。兄にめっちゃ殴られて出来た傷跡を母の前では必死に隠そうとした事。全ての行動が誰かの悪へと変わっていった事。自分の発達障害を受け入れられなかった事。僕はしたくないと叫んでも変わらなかった信仰活動。死にたくなって家の前にある崖(家が山の上にある為)から飛び降りようとしたら母が玄関戸を開けて「おかえり。」と言って踏み止まった事。見たくない感情がそこには詰まっているから。この涙は仕方がないものだから。確かに綺麗に映っている写真もあるが、僕には直視出来ない感情が分かるから。けど少しだけ覗いた。少しだけ。涙が少し流れるぐらいだけ。そしたら生まれて数ヶ月の僕の写真が軽く100枚以上入っていた。僕は愛されていた。色々な感情を知らない僕が家族皆んなに見守られながら笑っていた。それは自発的な笑顔ではなく、本心から感じた笑顔だった。何故か一気に心が軽くなった。同級生にも友達にも親友にも言えなかった事が一つも無い僕をまた思い出したから。その時の僕が今の僕の心に乗り移った気がしたから。そしてこの気持ちを母に伝えたくなった。どんな言葉でも良いから伝えたくなった。そして「お母さん。」と言った瞬間、母が「ブゥゥー!!」と屁をした。その瞬間辺りはアンモニアを満員にさせて僕は自分の部屋に走って戻った。母が数年前に大腸癌に罹ってから母の屁は以前と比べ物にならないぐらい臭くなった。癌の摘出手術の所為で上手く便が排出出来ない為便が大腸に溜まりやすくなり屁も臭くなるそうだ。僕は部屋でまた泣いた。現実を感じたから。母が僕と父のイカれた人間を見守った結果の様な気がしたから。

父はまた何か些細な事で泣いていた。
そしてもっと些細な事で怒っていた。
もっと現実を感じた。

けど

あの頃に戻りたい。
でも今に戻れないなら、
絶対戻らない。

何故かそう感じた。

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