何日後に食べる?エミのサルデ・イン・サオール(鰯と玉ねぎのヴェネツィア風酢漬け)
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先々週、ヴェネツィアの建築ビエンナーレを見に行き、いつもの様に会場に程近いパルマのセカンドハウスを借り、いつもの近所のトラットリアで夕食。
私たちがリピーターと分かった店のご主人が「うちのサルデ・イン・サオールは美味しいよ。」と、サービスでお味見程度に出してくれたサルデ・イン・サオールは干し葡萄も松の実も入らない最もベーシックなのに、デリケートに仕上がっていて、久しぶりに好きな味を思い出した。
サルデ・イン・サオールとはヴェネツィア方言で「風味をつけたイワシ」という意味。
揚げたイワシをお酢で煮込んだ玉ねぎスライスや干しぶどうと一緒に寝かせた、南蛮漬け風のベネツィアを代表する郷土料理なのですが、簡単なのにこの食材のとり合わせが、とても特別な「雰囲気」を持った料理なのです。
甘辛、甘酢などの味付けが一般的な日本、中国と異なり、イタリアでは唯一シチリアで「甘酸っぱい」つまり砂糖と酢を使った味付けが多用されますが、シチリア以外の地方で「甘酸」味付けの郷土料理はこのサルデ・イン・サオールしか思いつきません。
シチリア島はイタリア最南端に位置しアラブ、スペイン、フランスに支配されていた歴史もある地方なので多数の文化がミックスした異国的な郷土料理が多いのも理解可能ですが、とここまで書いて、もしかしたらヴェネツィアは東方を始め各国との貿易で栄えた輝かしい歴史を持つ国(イタリア統一前はヴェネツィア共和国)。13世紀に「東方見聞録」を書いたマルコ・ポーロもヴェネツィア生まれ。スパゲッティはマルコ・ポーロが中国で麺類を見て再現したものというのも有名な実話。
だからこんなエキゾチックな郷土料理が生まれたのかもしれません。
(註:これは私の考察で、根拠、出典はありません。)
松の実を省略すれば、(それで十分美味しいのですが)激安の食材で簡単に作れるというのも魅力です。
前置きが長くなりましたが、久々のサルデ・イン・サオールで、通称エミことエマヌエラが昔作ってくれた時のことを思い出しました。
エミの話はレシピの後に。
<二人分材料>
・いわし 200g
・白玉ねぎ 300g-400g
*白玉ねぎがない場合ば普通の薄茶色の玉ねぎでOK。
*玉ねぎの量は鰯の倍にする人と1,5倍にする人に分かれます。
私はネギ類が好きなので倍にします。
・干しぶどう 二掴み>大さじ2程度
・松の実 一掴み>大さじ1程度
・ローリエの葉 1−2枚
*松の実はあった方が美味しいですが省略してもOK。
この材料写真で一人分程度
<調味料その他>
・お酢 (白ワインビネガー) 大さじ2(好みで加減)
・お砂糖 小さじ1程度を入れる人も五人に一人くらいいますが、
干しぶどうを入れる場合は干しぶどうで十分甘いので不要。
・オリーブオイル適量(玉ねぎ炒め用)
・揚げ油適量(鰯用)
・薄力粉適量(鰯用)
・塩 (胡椒は入れません、入れない方がデリケートに仕上がります。)
<作り方>
1・イワシは頭と内臓をとって洗い、水を切ります。背骨は残します。
2・1のイワシに軽く小麦粉をまぶし、175度の油で揚げます。
*175度というのが重要。焦げるほどには揚げないのと、180度以上に加熱すると折角のオメガ3が壊れてしまうので。
*少量作る時に「揚げる」のはちょっと面倒、揚げ物は台所が汚れて嫌、という方は、フライパンにやや多めの油を熱し二面焼くのでも十分美味しく出来ます。イタリア人には「邪道」と言われそうですが。。。
3・別のフライパンまたは浅めの鍋にオリーブオイルを熱し縦に薄くスライスした玉ねぎ、お酢、ローリエ、干しぶどう、松の実をしばらく炒めた後、塩を加え15−20分程度蓋をして弱火で煮ます。
*干しぶどうは玉ねぎの中で蒸れるので事前に水に浸す必要なし。
4・器に3の玉ねぎを1/3程度敷き、2のイワシを乗せ、イワシを残りの3の玉ねぎで覆います。深めの容器に入れる場合、大量に作った場合はイワシ>玉ねぎ>イワシ>玉ねぎの層を反復し、最後に玉ねぎで覆ってください。
<保存>
元々、保存食として考案されたレシピで冷蔵庫で3、4日は持ちします。最低24時間、味が馴染むまで待つようにしてくださいね。
*****
通称エミ、ことエマヌエラは私がイタリアに渡ったばかりの頃からの知り合い。
私の元ボスの親友の奥さんだったので、歳は近いけどお互いに選んだ友達というより、オギャーと産まれた時から身近にいた親戚の叔母さんのような存在。というか、そのように勝手に彼女を位置付けていた。もちろん彼女が私のことを姪の様に思っていた訳はない。
知性のある気の効いたジョークが得意な人で、彼女とのおしゃべりではお腹を抱えて笑い転げることも少なくない。
ビジュアルアーティストだが、ボローニャのダムス(DAMS)を卒業している秀才。親しい友達もダムス出身のジャーナリスト、大学教授などが多い。
イタリアでアカデミアと呼ばれる美術学校終了が大学卒業とみなされていなかった時代、唯一美術系で論理に重心を置いた実験的なコースを多く持つダムスだけが美術で学位をとれた時代に卒業している。
イタリア20世紀を代表するインテリの記号論学者で哲学者、小説「薔薇の名前」の作者ウンベルト・エコーもダムスで教鞭を取っていた。
エミが頻繁に私を食事に呼んでくれていたのは、別居中のカメラマンの夫と離婚へ、という頃だった。そして離婚をまだ十分に消化できない女性の多くがそうであるように、何となくいつもご機嫌斜めだった。ある時は「家は持ってる。私のものでもあるけど、夫のものでもある。娘たちはいる。私の娘たちだけど、夫の娘たちでもある。私だけのものを持っていない。」と。
そんな時でも機知に富んだジョークは絶やさない人だったけれど。
今ではその頃学生だった娘たちが成功して有名になり、別れた元夫との関係も良好で、当時よりずっと心穏やかに暮らしているように見える。
ある日、
「サルデ・イン・サオールを作ったから夕ご飯食べにこない?」
という電話。
特に約束はなかったので喜んで招待を受けた。
エミの作るものが何でも美味しいようにその日のサルデ・イン・サオールも美味しかった。
いつものように笑い転げながら食事を終え家に帰り、フェースブックを開けると、エミの親友の舞台監督アンドレアが
「昨晩のサルデ・イン・サオールすごくおいしかったよ。ありがとう。」
と書き込んでいる。
なるほど。
「じゃ、今食べてきたのは昨晩の残り物だったんだー。」
とふざけて憎たらしいコメントをすると、アンドレアから
「何言ってんだ!サルデ・イン・サオールは翌日の方が圧倒的に美味しいって知らないのか!」と速攻で返事。
エミも「そうだ、そうだ。」と加勢してくる。
そうですね。確かに。美味しかった。ご馳走様でした。
経験では作ってから48-60時間程度が最も美味しく食べられる様に思います。作ってから最低24時間、味が馴染むまで待つようにしてください。
エミからもらった美味しいレシピは他にもいくつか書きたいものがあるので、今日のところはこの辺で。