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死に損なった2人のコンテンツ大学(現実を夢のように生き、夢を現実のように生きる)~~第1回テーマ:「冷えた令和」から「微熱の昭和」へ
第1回「前半」口上:歌謡曲の微熱 2020年冬から2022年夏までの2年半のコロナ禍。当初はリモートを嘆く声が専らだったが、リアル再開の頃にはリモートを望む声に反転した。反比例して、授業で歌謡曲を聴かせると「J-POPよりずっといい!」という学生が激増した。60年代後半のアメリカンポップスを聴かせても同じだった。どうしてなのか。 学生たちと討議して分かった。第1は「詩的言語」問題。16ビートにのせたJ-POPのリリックに比べ、8ビートにのせた昭和のリリックは情報量が半分。
映画「ここにいる、生きている」と、バタイユと吉本の全体性 体験デザイン研究所・風の谷 第1回7/18 19時 by宮台真司
長谷川友美監督「ここにいる、生きている。」(近日公開)解説 テーマは、世界中の沿岸部で生じている海の砂漠化(磯焼け)だ。原因は海水温の急上昇。百年オーダーで対処できない。切口は、天然昆布の枯渇と高騰だ。我々の生活形式が既に変容を強いられている。気付いているのは漁師とグルメだけ。程なく誰もが気付くだろう。 問題は、原生自然の間接化だ。分業編成の複雑化を背景に、経済を市場に閉ざされたものだと—「交換」で完結すると—観念してしまった。だが270年前のケネーと70年前のバタイユと
体験デザイン研究所・風の谷第1回イベント「原生自然と人」7/18 19時~ ことカフェ(西荻窪)口上4「屋上に上がって同じ世界に入った者が手を携えて地上に降り立つ」 by宮台真司
80年代半ばまでは、どんな団地も、校舎も、社屋も、伴がかかっていなくて、屋上に昇れた。屋上に昇ると、今と違って高層建物がなかったので、地平線まで見晴るかせて、ぼわーっとした街頭音を聴けた。そこに行けば、地上を生き辛い「同類」を見付けられた。 僕は、中学高校紛争後の学校が生きづらかったから、体育館の壁面にある非常階段をいちばん上階の踊り場まで昇り、弁当を食べたり、本を読んだりした。同じ場所に時折訪れるNと親友になって、一緒にアマチュア無線技士の免許を取り、そこで無線交信をした
体験デザイン研究所「風の谷」 第1回イベント 「原生自然と人」口上3「共同身体性がないと、仲間も恋人も家族もできない」 by宮台真司
93年に東京都立大学に着任した途端に或る体育会系サークルの部長が研究室を訪れた。インターハイを目指した合宿が成り立たなくなった。協働的・共同的な達成を目標に出来なくなった。強化合宿に誘っても「フィットネスのために入ったので」などと断られるのだと。 このモードは今も変わらない。その20年前。73年に僕は麻布中学の空手部に居た。夏休みには志賀高原で合宿。冬休みと春休みは校内合宿した。雪降る中で砂場に水を張り、腰まで使って組手した。夜中にこむら返りする者も出たが、合宿終りには共同